美しくはない物語

青切

井藤と上井

 高校二年生の夏休みは、多くの若者にとって青春のピークである。

 その貴重な時間を、どうして井藤と上井はドブに捨てたのか。

 それは夏の魔物のせいであったろう。

 人を恋路に走らせるだけでなく、熱気で脳を腐らせ、怠惰な生き物にすることも魔物の仕事であった。

 加えて原因は、井藤と上井の資質にも求められた。

 二人は同じくらい愚か者であった。


 七月末日。

 薄汚い一室で、井藤はぼんやりとテレビを眺め、上井はひとりで将棋を指していた。

 寝転がっていた井藤が大きなあくびをしたところ、背中越しに「同時将棋」と上井がつぶやいた。

 それに対して、井藤は振り向きもせず、「何だい、それは」と声をかけた。

 「ぼくがいま考えた、新しい将棋の遊び方だよ」と上井が応じた。

 「なるほど。それはおもしろいのかい?」と井藤。

 「それはやってみなければわからないな」と上井。

「ルールはむずかしいのか。その、同時将棋というやつは?」

 井藤の問いかけに、上井は首を振った。

「その名の通り、いっせせのせで、同時に駒を動かすだけだ。あとは、ふつうの将棋と同じだ」

 井藤は顎をさすりながら、「まあ、いい。やってみよう」と言った。

 これがすべてのはじまりであった。


 歴史的な第一局がはじまった。

 のんびりとした声で、ふたりはいっせせのせで駒を動かしはじめた。

 結果、勝負は井藤が勝ったが、対局後、場は静かな興奮に包まれた。

「意外におもしろいな、上井」

「ああ。もう一局やってみよう、井藤」

 「しかし、ルールは調整が必要だな」と井藤が言うと、上井も「そうだな。遊びながら、直して行こうか」と答えた。


 以降、夏休みの間中、ふたりは寝食を忘れて同時将棋にのめり込んだ。

 どちらかが新しい戦法を考え、勝利を重ねるともう一方は対抗策を思いつき、巻き返した。

 また、どちらかがルールの変更を提案すると、白熱した議論が延々とつづいた。


 そんな中、夏休みの中盤過ぎに、その事件は起きた。

 なんと、上井に、クラスの女子からプールへのお誘いが来たのだった。

 通算成績で上回っていた井藤はほくそ笑みながら、「行って来いよ。その間にぼくは、井藤システムの改良でも考えているよ」と口にした。

 その言い草に上井は、泣く泣く、用事があっていけない旨を返信した。上井が人生におけるゆいいつのチャンスを逃した瞬間であった。


 そんなこんなで、ふたりの夏休みは終わった。手つかずの宿題だけを残して。

 通算成績は井藤三一六勝、上井二九一勝だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

美しくはない物語 青切 @aogiri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ