友達という存在

「ねぇ。xxx。私とは、私であり、私という存在は、xxxにとってどのように絡み合っているのかな?xxxのことまだ理解できた気しないよ。」私は答える。


私には親しい友達がいる。幼稚園から今に至るまで、ずっと同じ学校なのだ。

親友というより、腐れ縁。なにかをするわけではなく、目的もなく集まり、ただただしゃべり、時間が過ぎていく。そんな日もたくさんある。


私の友達。私の何かを与える存在の話をしよう。そんな友人の紹介をしよう。


そいつの名は橘優香。こいつは明るく、爽やかなやつだ。傍からみると、いい人間に見えるかもしれない。本当のこいつは性格が悪く、悲観的でネガティブだ。いわゆる私と同じくらいひねくれている。信じられない人間には、明るくふるまい、信じられる人間には、性格が悪くなる。そうなのだ。普通の人間の性質の逆なのだ。そんなことも信じられないの?とも思うこともこいつの前では、なぜそんなことも信じられるの?となるのだ。意味が分からない。意味がわからないことは怖い。幼い私は子供ながら、その人間に恐怖していた。だが、私はこいつの性質を理解することができれば、私の人生に糧になると思ったのだ。今思えばなにもならなのに。数週間の退屈しのぎのために。私は思考した。橘優香という人間を。こいつには、信じられることと信じられないことの境界線はどこなのだろう。どこに対し、どこまでの割合で信じられるのだろう。人間にはああいう態度だけれど、動物、無機物、植物にはどんな反応なのだろう。どのような刺激に対して、どうなるの?実験動物を見るように、実行した。

例えば、私は野良猫を背後に忍ばせ、はなした。階段の前に立ちふさがり、通せんぼした。タンポポの茎を折り曲げ、その場でプレゼントした。その結果、橘は、

私という存在に恐怖していた。怖いという感情が伝わってきた。と同時に私を愛おしそうに私を見つめていた。ああ、そうか。私が橘を理解できないように、橘も私を理解できなかったのだ。ただそれだけ私は普通ではなかったのだろう。なんて無様だ。私はその日、地球上で一番滑稽だった。私の実験が終わり、その出来事から数週間後


橘は私に言った。「xxxいいよね。私はただ、信じたいと思えるものに近くいてほしいよ。私は、理解できないものが好き。理解することはひどくつまらないことだから。xxxは、私の中の信じられる価値と信じられない価値の境界線が知りたいんでしょう?教えてあげる。私は恐怖を愛している。この世の中で恐怖を与えることのできる存在はなんだかわかる?他人だよ。私には理解できない人間がいて、その人のことを強く知りたいと思うんだよ。知って、考えて、理解してそれで私は、恐怖を克服する。これが、私の考え。私は恐怖を克服するために生まれてきた。でもね。xxxの腹のそこが見えない。なにも見えない。すごく怖い。今、ここから逃げ出したい。でもあなたを理解することができたなら、私は恐怖を克服することできる。なぜって?

あなたほど壊れてる人間そういないもの。なんだろうな。正常に狂ってる。壊れて、崩れて、なにもないに、それでも生きようとしている。私には理解できない価値。それを理解したい。私と友達になろう。末永くよろしくね。」


その時も今もこう返した。「うるせぇ馬鹿」

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私だけの日常 @akane01

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