辻斬り

夜々檸々

辻斬り

 人が人を殺す理由。それは、仇討ち、殺意が芽生えたことによる衝動的な行動、恨み、好奇心――このほかにもあるだろう。そして、これらは恐らく、ごくありふれた理由だ。しかし。他者への愛が理由で殺人を犯す者もいる。

 それが、ある南蛮人の少年が十四か十五歳にして、辻斬りとなった理由だ。愛というものは、人をこんなにも変えてしまう。



 辻斬りは、悪行である。



 だが、愛で人が変わるというのは、悪いことなのか良いことなのかは、判らない――。



 ◆ ◆ ◆



 一人殺してしまえば、二人目三人目はもう同じ――。



 大小の星が瞬く、月のいない夜空。辺りは真っ暗な闇に包まれており、しん、と静まり返っている。昼間は人々が行き交う、隣村に続く道にも、今は誰もいない。二、三個の供物を置かれた穏やかな表情の一体の地蔵が、真っ暗な道を見つめて佇んでいる。

 そのとなりに身を潜める、齢は十四か十五の少年は、自分にそう言い聞かせる。彼の身体は小さく震えているようだが、それは闇に包まれた、明かりのない夜道に一人でいる恐怖からではない。今から果たそうとしていることが上手くいくか判らない、という恐怖からだった。



 それは、見ず知らずの――もしかすると今宵初めて会うのかもしれない――他人を、両腕で抱えるようにして持っている刀――今ではあまり見かけなくなりつつある太刀――で斬り殺すという非道な行い、辻斬りである。



 元来この少年は、そんな残虐行為を働ける人間ではない。とても心優しい人間だ。それでも、その行為を働こうとしている。自分勝手だと解っていても叶えたい、たった一つの願いのために。

 それは、今の医術では治せないと言われてしまった、大好きな人の病を治したいというものだった。この時代では、辻斬りを行い、千人の人間を斬れば悪病が治ると言われていた。それを心の底から信じた少年は、そうすれば治せると、治ると思っているのだ。

 少年は、目をぎゅっと固く閉じる。大丈夫だと、自分に言い聞かせる。自分は千人斬りを果たせる、と。



 それから間もなく、陽気で大きな独り言がこちらに向かってきた。それは、酒を呑んで気が大きくなっている男のものだった。少年は地蔵からほんの少し顔を出して、その様子を伺う。暗い夜道では、男が持っている提灯の明かりがよく見え、どこにいるのか一目で判った。男は、少年のいる方向へ向かってきていた。

 少年は、男が自分の存在にまだ気付いていないと判ると立ち上がり、地蔵の陰から静かに出た。そして、男に向かって歩き出した。太刀を左手で持ち腰に添え、男からはなるべく見えづらくして。

 男は少年がそうとしているとはつゆ知らず、千鳥足で気分良さそうに歩いてくる。少年はそのすれ違いざまに、素早く太刀を片手で抜いた。立ち止まってからではなく、歩きながらである。



 それは、歩行しながらの居合斬り。

 抜いた勢いそのままに、刃を叩きつけるようにして男を斬った。



 突然降ってきた刃を避ける暇も声を上げる暇もなかった男は、袈裟斬りを喰らい肩口から斜めに反対の腹まで斬り裂かれ、そこから勢いよく鮮血を噴き出し、膝から崩れ落ちるようにして絶命した。それからほどなくして、鮮血は勢いをなくしたが、傷口から止まることなくだらだらと溢れ出ている。

 少年は噴き出した血潮を浴びて、身体の正面と頬は真っ赤に染まったいる。男を斬った刃からは、血の雫が垂れている。

 男が死んだと判ると、少年は太刀の血振りを行なった。血の点が数個、地面に規則正しい模様を描いた。そして、自身の懐から懐紙を取り出すと、刃を拭く。



 その時だった。



「ひっ!」


 少年の背後から、少し若い女の小さな悲鳴が聴こえた。男の手から落ちた提灯が、淡く辺りを照らしていたため死体が見えたらしい。

 少年は懐紙を持ったまま、ぐるりと悲鳴のした方へ向いた。そこには、こちらに背を向け、地面に這いつくばる女がいた。とっさに逃げようとして、腰が抜けたようだった。


「――た、助け……!」


 少年はそんな叫びを聞いても躊躇うことなく、再び太刀を振り下ろし、叩き斬った。女の背目掛けて。

 その重みと、鋭い刃を同時に背に受けた女は、逃げる間もなく息絶えた。

 少年は二人の人間を斬っても、息ひとつ乱していない。落ち着いた様子で、再び血振りすると、新しい懐紙を取り出し、太刀の刃についた血や脂を拭い取った。その懐紙は死体の近くに捨てる。地面を蹴って提灯に土をかけ火を消すと、最初の男を斬った時に落とした鞘を拾いに行き、太刀を納める。そして、来た道を――地蔵が佇んでいる方へ――戻り始めた。


 その道中。ふと、先ほど身を潜めていた地蔵が目に留まった。その地蔵は変わらず、穏やかな表情で佇んでいる。距離があったと思ったが、綺麗だった供物のひとつに血がついている。いつついたものだろうか、少年はそれを考え、男を斬った時だろう、と答えを出した。

 少年は血のついたそれを拾うと左の袖に仕舞い、右の袖から笹の葉に包んだ握り飯を取り出すと、地蔵の前に置いた。そのまま少し地蔵を眺めていたが視線を外すと、何事もなかったかのように道を戻っていき、そのまま姿を消した。



 ◆ ◆ ◆



 翌日。

 辻斬りが出たと騒ぎになった。少年もそれを知ったが、少年は喜びもせず悲しむこともなく、いつも通りの様子で過ごした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

辻斬り 夜々檸々 @066_NeiNei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ