八つ墓

朝吹

八つ墓


 わたしの墓が土石流に押し流されていくのを、わたしは見ていた。雨脚が少し弱くなった鳩色の夜明けのことだった。

 八基並んでいる墓のうち端にあったわたしの墓は、そこだけ地盤が弱いのか長い年月のうちに元から少しずつ傾いてはいたが、野分により地面がえぐれ、墓石は土塊と共に山肌を滑り落ち、濁流に呑まれてしまったのだ。

 それはわたしの墓だった。半ば埋もれて基底部が枯葉と同化したような古ぼけた墓だった。

 墓の下に何があるかって? もちろん遺骨を納めた甕だろう。だって墓だし。

 ところが並んだ墓の下には何もない。だからそれは供養塔のようなものなのだ。わたしの墓を除いて。


 雨が上がった後、あらためてわたしは墓のあった場所に行ってみた。地面ごとごぼっと外れて流されたようで、そこには墓があった痕跡もなく穴がぽっかりと開いている。

 午後の陽ざしが筋状に黄色く落ちる山の中、八基から七基に減った墓の上に蜂が飛んでいる。

 邑人が供養のために建てた墓。あまりにも山奥の隠された墓だった。そのうち邑の消滅と共に全てが土中に埋もれていくのだろう。

 剥き出しになった樹の根が縄梯子のように折り重なっている崩落の爪痕を辿り、わたしは山の下へ出た。川の中にどうやら全ては落っこちて、そのまま里まで押し流されていったようだ。


 

 海外で開催された夏季五輪の総集編を俺はテレビで観ていた。母の声はテレビを観ながらでも聴き取れないということはない。

「ほら、お墓。田舎の山に八基あったでしょう。それが七基になってしまったそうよ。流れた落ちた墓石は下流で見つかったそうだけど、今回の台風で畠の一部が大変なことになっているって」

「墓の数なんて憶えてないよ」俺は大学から配布された就活情報冊子をめくるふりをした。

「八年前にも同じことがあったのよ」

「そうだっけ」

「同じ墓が山から流れたの。それもこれも、お上の仕打ちが酷かったせいね」

「ああそう」

 少しだけ苛々して俺は母の話を遮った。江戸時代の因縁がまるで昨日の話のようだ。

 しかしそれに関してはこちらの方がおかしいのかもしれない。土地と台帳に縛られていた昔の人が何百年と語り継いできた伝承。それが、大きな戦争を挟んだここ一世紀のあいだに人が流動して全国に散らばることでぷつりと途切れ、急速に消えていっているのが今なのだ。よその土地で生まれた子どもに土着の話を語りきかせたところで、その土地で育たない子が昔語りに真剣な興味を持つはずもない。そんな風潮の中、俺はまだ現地を知っているだけましだろう。


 谷底に女童を投げ棄てて逃げたんやけど結局は一族もろともお縄になってな。


 父の田舎には、子棄て谷と呼ばれている谷がある。

 濃厚な土と緑の匂い。父母に連れられて山深い里に遊びに行くたびに、散歩のついでに祖父母は土地に伝わる古い話を俺に語ってくれた。昔のままの細い道。お寺に残る墨で描かれた古地図と見比べてみても、護岸工事をされた川以外、ほぼ当時のままの集落だ。砂壁ごと崩れ落ちた古民家の残骸が点在している見事なまでの限界集落。

「鉄砲水でここいら一帯が押し流されて。人手が足りんものやから、流れ者を受け入れてたんやな」

 田舎への帰省は退屈なだけだった。初回こそ、カブトムシを獲る気満々で虫かごまで新調して行きの車に乗り込んだのだが、樹液に群がる大量の虫を見た瞬間、その迫力に園児だった俺は悲鳴を上げて逃げ出した。それからというもの帰省ときくと、俺の顔はむすっとなるくらいだった。

「往来の盛んな町中や宿場になら高札台があってお上のお達しが掲示されているのやろうけど、どうせその当時のここらの人らは字も読めんかったやろう。誰もそんなことは知らんしな。よく働くんで重宝されとった」

 しかし追捕の手はこの山奥にも伸びてきた。

「子どもがいたの」

「そう。あなたと同じくらいの歳の女の子」

 祖父母は子棄て谷の前で歩みを止めた。ガードレールも何もない。覗き込んでみると、切り立った斜面の下には山から落ちてきたとおぼしき大岩がごろごろと折り重なっている。俺がリードを引いている犬ですら怖れて近寄らない。

「ここに子どもを投げ棄てたのよ」

 何百年も前のことなのに、二人は谷に向かって両手を合わせた。

 俺は谷底から眼を逸らした。こんなの、絶対に大怪我をする。

「投げ棄てるなんてひどい」

「棄てたんやのうて、本当は女の子を逃がそうとして、下に隠しただけなんやろう」

 でも見つかってしまってね。と祖母は暗く呟いた。



 前半が終わった五輪特集番組を中断して、定時前の短い報道が流れている。冒頭は今回の台風による各地の被害を伝える映像だ。列島を横断した大型台風は北上して温帯低気圧に変わっていた。

 祖父母の田舎に帰省した何度目かの夏。俺は小学六年生になっていた。その時も、台風が過ぎた後だった。

「退屈」

「何云ってるのよ。外を歩くだけでも都会にはない発見がたくさんあるわ」

 地元出身の父が溶け込むのは当然として、田舎暮らしに憧れる母もここぞとばかりに自然を満喫していた。俺が父と一緒に渓流釣りに出かけている間、母は祖母に習って草木染や漬物づくりをやっていた。

「今どき薪で入れるお風呂なんて他では経験できないわよ」

 電気は通っていたが、水は井戸からのくみ上げで、風呂は薪風呂。

「薪で炊いたお風呂は身体の芯から温まるのよ」

「ほら、お前もこっちに来て薪をくべてごらん」

 野趣あふれるアクティビティいっぱいの彼らとは違い、小学生の俺だけが田舎に馴染めず暇だった。

 高速道路のサービスエリアで買ってもらった単行本の漫画を読み終えてしまうと、ひとりっ子の俺は遊び友達もいない山奥の田舎で未知の惑星に辿り着いた異星人のように漂っていた。過疎化で子どもがいない上、幼小中学校も山を二つ隔てた向こうなのだ。公園すらない。

 ところがその夏、俺には女の子と遊んでいた記憶がある。

「これは何」

「あけび。秋になったら食べれるよ」

 葡萄のお化けか恐竜の卵みたいなそれを女の子は近くの樹に足をかけて手を伸ばし、ひょいともいできた。

「いらない」

「あ、そう」

 山全体を濡らした台風の名残りが大粒の水滴となって落ちてくる。俺が拒否すると、女の子はあけびをぽいと投げ棄てた。野蛮なほどに蔓を延ばしているあけびの他にも、名も知らない花や樹がぎっしりと生えている。夏の木漏れ日がちらちらと眼に痛い。里山は都会育ちの俺にとって、異世界の密林のようだった。

「何してるの」

 俺が見かけた時、女の子は野山を巡る川に沿って、てくてくと歩いていた。

「探しもの」

「手伝うよ」

 俺は申し出た。このど田舎で初めて逢った同年齢の子どもなのだ。逃してなるかという気持ちだった。

 女の子は草木染めの端切れで長い髪を束ねていた。俺は訊いた。

「何を探してるの」

「このくらいの大きさの毬」

「毬?」

 女の子は手でかたちを作ってみせた。俺の脳裏には、まだ大きくなる前の畠の西瓜が想い浮かんだ。

 流されてしまったのだと云って、女の子は川を指した。台風の後なので増水し、水は灰褐色に濁っている。

「探すのは無理じゃないかな」

 水の勢いを見た俺は率直に云ったが、上流から探して歩いてきたのだと、女の子は背後の山に向かって手を振った。

 なので俺も、「毬、毬」と口にしながら女の子と一緒に探すふりをした。嵐の後の川には絶対に近寄ってはいけないと親から云われていたこともその時は忘れた。女の子の探している毬はゴム製だろうか。それならきっと沈まずに浮いて流れているだろう。しかし台風の後なのだ。川の流れはごうごうと激しく、仮に毬が見つかったとしても、棹の長い網でもなければとても掬い上げることは出来なさそうだった。

「無理かなぁ」

 やがて女の子も諦めた。

 俺と女の子は雲と陽ざしが細かな明暗をつける山のふもとで一緒に遊んだ。木の幹に隠れて、どの木に隠れているかあてっこをしたり、小石を投げて山の実を落としたり、樹を揺すって雨粒を互いの上に振り落とした。冷たい水玉は一粒ずつに太陽の金色を秘めていた。

「お面」

 大きな葉と茎を使って女の子が作ってくれた仮面をつけると、里に生きる獣になったような気がした。眼の部分に穴をあけた葉っぱを通して眼球に迫ってきた夏山。

 運動クラブに所属している俺が息を切らしていても女の子は慣れた様子で山肌を踏みしめ、難なく歩いた。見れば、足許が草鞋だった。

「また明日ね」

「俺、明日にはもう帰っちゃうんだ」

「ふうん」

「来年の夏にまた来るよ。ここは父さんの田舎だから」

「逢えるといいね」

 背中を向けると髪の毛を一つに束ねている布をひらんひらんさせて女の子の姿は山へと消えた。

 帰宅した俺はさっそく祖父母に訊いてみた。二人の返事はこの近くに女の子などいないという。俺は別れた女の子が人家の見当たらない山奥に向かって登って行ったということは黙っておいた。 

 夕陽に照り映える雲の色。折り重なる山は真っ黒な影になっていた。


 翌朝、焼き上がった陶器の皿やら、採れたての野菜やらを車の後ろに積み込む父を手伝いながら、俺はきょろきょろと辺りに眼を配っていた。

「またおいで」

「お世話になりました」

 舗装された道路に出るまで、車一台がぎりぎり通れるでこぼこ野道を慎重に下っていく。窓の外を見ていた俺は「あ」と声を上げた。

 山から流れる川の流れが分岐して田畑に向かう疎水のあたりで、あの女の子が水の中から何かを拾い上げていた。それは人間の頭部だった。

 通過する車の中の俺に気づくことなく、女の子は頭蓋骨を毬のように胸元に抱えて山に歩き去った。


 

 翌年、中学生になった俺は部活の練習を理由に田舎行きを断った。母の実家が一駅向こうということもあり、両親が不在の間はそちらに泊まればよかった。

 父の田舎に帰省するのは両親だけになった。想い出すのも怖ろしい気がした女の子のことは記憶が薄れるにつれて、本当にあったことなのかどうかも確信が持てなくなっていた。

「山の中の八基の墓よ。ほら、潜伏していた切支丹キリシタンの」

 さっき聴いた母の話が俺の頭を揺り動かす。子棄て谷。祖父母が小学生の俺に教えてくれた昔話。

 他所から流れ着いて邑におったものを、追手がかかってな。

「八人の切支丹を邑の人らは逃げえと云うて山に逃がしたんやが、最後は山で捕まって、ここでない他所で捕まった切支丹と一緒に刑場に引き立てられてしまったということだ」

 逃げる途中、彼らは女童を谷底に落としていった。それが子棄て谷の由来だ。

「切支丹と分かると親族一同連帯責任で、信徒でない者も容赦なく十字架に架けられて殺されてしまう。やから、わざと落としたんやろう。子どもだけは逃がしてやりたかったのやろう」

「親と離れたくなくて縋る子をきっと無理やり谷に突き落としたんやろうねえ」

 しかしその女童も結局は見つかってしまった。邑の者は不憫がって、こっそり彼らの墓を山の中に建てて供養した。

「女の子の分だけは遺体が野ざらしに遺されていたもんで、谷底から骨を拾って埋めることが出来たんやって」

 八人いたはずだ。探せ。

 松明を持った藩の役人が何日もかけて山狩りをした。谷底に隠れていた女童は餓死寸前のところを捜し出されて、連行するまでもないと慈悲のお沙汰でその場で首を落とされた。

 女の子は蛇のような濁流を見ていた。

 よほど大切な毬なんだねと俺が云うと、女の子は曖昧な顔をつくり、

「べつに無くてもいいんだけど、あんなものを探して拾うのはわたししかいないから。わたしのことを知っている人はもういないから」

 そう云って、ぼんやりした顔で里を見ていた。

 発火するように記憶と記憶が繋がった。

 また落ちたのかよ。

 俺はレンタカーをネットで予約して荷造りを始めた。所要時間を算出してみると、最短で夕方には現地につく。

「少し長く向こうに泊めてもらうかもしれない。畠をなおすのを手伝ってくるよ」

 母ばかりでなく、今から行くと電話で伝えた田舎の祖父母も愕いていた。

「それは助かるけど、大学の方は大丈夫」

「大丈夫。課題もほとんど終わってるし、大学は九月半ばまで夏休みだから」

 免許を取得してから走行距離的にはまだ運転初心者の俺だが、行程のほとんどが高速道路なのはかえって助かる。子どもの頃はだるいだけだった薪風呂も、今なら興味をもって沸かせそうだ。

 またあの女の子に逢えたら、相談の上でもっといい場所にあの子の墓を作ってやろう。あけびの花の下なんかどうだろうか。



[了]

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八つ墓 朝吹 @asabuki

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