あをの瓊音(ぬなと)

松嶋豊弐

第1話

 靑褪めた蒼玉サファイヤ、湧き水の藍玉アクアマリン、碎けぬ金剛石ダイヤモンド、血の紅榴石ガァネット──

 ささやきに似た瓊音ぬなとと滲む白色のしなたり。

 瓊凝人ぬごりとはあらゆる寶玉たからだまを生む。

 山を掘り寶玉を採るは、自然おのしかを壞す依つてに近頃はいましめられてゐる。其れ故、人の手に依らぬわざとがましうない麗しき寶玉を得る爲に、遺傳子のこしづてみを書き換へ、尿路結石しとぢゆひしの仕組みを使ひ、寶玉を身軆からだの内に形作る瓊凝人ぬごりとを人は造つた。遺傳子のこしづてみを思ひのまゝに改め、石作りの手立てとするは人の道にそむくと誹りを受けたが、人權ひとばかりよりも自然おのしかが先立つとされ、今の世では瓊凝人ぬごりとは敬はれてゐる。

 兵庫縣は寶塚市、雲雀丘ひばりがおかの屋敷住むあふひは、蒼玉サファイヤを生む瓊凝人ぬごりとである。

 葵のたつきは至つて易しい。一日ひとひ一度ひとたび二度ふたゝび、移しの露を放ち、蒼玉サファイヤを生めば豐かに暮らしてゆける。

 捷克チェコ共和國より取り寄せたモォゼルの硝子盃フリュウトの脚にやわらかう指を掛けながら、寶塚の泉に湧く炭酸水あわみずを口に含む。ヹルサイユ樂派かなづながれたるフランソワ・クゥプランの『王宮きみつみやのコンセェル第肆』の自動演奏おのかなでの遊びを耳にしながら、しみ〴〵と朝を迎へる。

 白き皿に盛られた柘榴ざくろの實を葵はむ。川西市の『柘榴の女王めぎみ』、多田滿子みつこから贈られた柘榴は瑞々しうて、ひとたび噛むと、紅色の汁が溢れ實が口の中で彈けた。こころよき口當りを愉しんでゐると、呼び鈴が鳴つた。

 まさきのこゑがして、葵は表へ向かふ。

「やァ〳〵、おはやう」

 多田滿子の息子、柾は葵の戀人こひびとである。

 この男子をのこごは、川西市は花屋敷に住んでをり、雲雀丘からはさう遠うない。きつと步いて來たのであらう。

「やァ。おはやう」

 柾は葵を抱き締める。

「ちよつと……」

「惡かつた、惡かつた。朝はおまへが勃ち易いものな」

 柾がさつと離れるが、葵はきまりが惡さうにする。

 逢瀨を重ねるうち、殊に柾とまぐはふ時に、蒼玉サファイヤやなしに蓮色橙玉アパラチヤ・サファイヤが出がちになつてしまつた。蓮色橙玉アパラチヤ・サファイヤは甚だ珍しうて値打ちがある爲、喜ばしうはあるのやけれど、惱ましきは蓮色橙玉アパラチヤ・サファイヤが出ると身軆に障りがあつて、葵は三日も寢てしまふのである。身軆には惡い。

 葵と柾は求め合ひつつも、葵の身軆を考へて、肌が觸れるは憚る。言はずもがなまぐはひも控へてゐる。戀人こひびとであるのにも拘わらず、お互ひに觸れる事すら叶わぬ。

「どうにも遣る瀨無うて、日々身悶えさせられてゐるよ」

「嗚呼、わてもや。辛うてかなわん」

 二人はお互いの手にさへ觸れぬ。

ふと、屋敷の前に黑いクゥペが止まつているのに氣がついた。

 大きな黑の背廣の男が車から降りて來る。

「濟みません。羽束葵はつかあふひ樣で御座いますか?」

「へえ、わての事で御座いますが……」

 疑はしう思うたが、柾はもう遲かつた。

 がつしりとした背廣の男は、藥を嗅がせて昏らませ、葵を擔ぎ上げた。

 こゑを出す閒もなしに、黑のクゥペは葵を乘せて走り去つた。

 柾は立ち盡くすまゝであつた。


 葵はしづかに微睡んでゐた。


 ………………、

 …………、

 …………、

 ……ん。

 ……、

 さう、たしかに。

 きつと……、

 夢を視た。


 ちぎれながらに、繋がつてゆく缺片。

 忌まはしい前觸れ。

 葵は目をそむけたうなつた。しかしながら、どないにもする事がでけなんだ。

 目をそむけることが赦されぬ眞、或いは幻。

 暗き霧の中に射すひとすぢの光の行く先。

 ざわめきさざめいては、葵のなづきに流れ込んでゆく。


 明日を羨んで、光射す薔薇窗ばらまどで首を吊る文樂人形。


 つやゝかな水銀みづかねの湖。


 ハンス・ベルメェルの人形ひとがたが微笑む。


 いにしへのうたの雅やかさ。


 儚きすみれの呪ひ。


 モォリス・ラヹルの和琴やまとごとの響き。


 ひたすらにおちてゆくわたくし。


 オモヒカネノミコトがかろやかに舞ふ。


 とよめる月の波は碎ける。


 ポキリと折られた言葉。


 媾はひ合ふ異形ことがた球軆關節人形たまからだせきふしのひとがた


 リヒャルト・ヴァアグナアが滅ぼす日耳曼ゲルマンの神々。


 そして…………、

 ……。

 …………。

 ………………。

 ……………………。

 ………………………………。


 光、匂ひ、濕り。

 ひとつぶの雫の落ちる音────


 葵は目を覺ました。

 嗅がされた藥の甘き匂ひがかすかにした。

 腰掛けに縛りつけられ、全くの眞裸に剝かれてゐた。身軆が動かせぬ。脚を開く形で据ゑ置かれ、葵のたをやかな男根へのこがありありと見えた。驚きと恥づかしさを覺える。

「お目覺めかい」

 うやうやしうも厭らしう背廣の男はこゑをかける。

 恐ろしさで葵は口籠もる。

「何も怖い事をしやうつてんぢやないョ。君には蓮色橙玉アパラチヤ・サファイヤを數多く生んで貰いたいんだよなァ」

 居丈髙な東聲あづまごゑが濕つた部屋に淺ましう響く。

 腹筋はらすぢを撫でる手は、やはらかで艷やかな黑の縮れ毛に辿り着き、葵のつるりとした玉莖たまぐき搾精器ほづしぼりが取り付けられた。金具かなづまが冷たい。

「おや〳〵、勃つてゐないぢやないか。困るなァ」

 背廣の男は注射器うちそそぎを取り出して、葵の内腿に刺す。

 刺された痛みの後に、みどり色の藥が襲ひ來る。熔けた鉛の如き渦が身體の内をはしつた。

「アアァ……」

 花の莟の如くに萎へていたものが、見る〳〵うちにすぢ打ちながら、彈けんばかりに大きう勃つた。

 搾精器ほづしぼりが動き始めた。上に下にと蠢きながら、震へる弓形ゆみなりを嘗めまはす。苦しみに似た悅びに身悶えする。搖れながらに雙つのふぐりがせりあがつてゆく。

 にはかに怒張いかりばりからほづが噴き上がつた。ころりと、白きしなたりに濡れた蒼玉サファイヤが轉がつた。

 背廣の男は苦々しきかんばせで舌打ちをする。

 「違ふ! やり直しだ」

 搾精器ほづしぼりが再び動き出したが、放つたばかりでさとうなつてをり、葵は苦しみを覺え、身をよぢらせる。男莖をはせは萎へたままであつた。

 忽ちに、腰掛けの穴から艷めかしき黑色の張型が現れ、尻に押し當てられた。

「嫌ッ……!」

 張型のおほよそが、ぬめりけを帶びた汁に覆はれると、葵の桃色の初々うひうひしき菊座に押し入つていつた。やにはに菊門に差し入れられ、辛さを覺えた。尻の奇しなる前立腺まえだてすぢを衝いてゆき、玉莖をねち〳〵と責めたてると、又大きうなつていつた。二つもの祕所ひどころを責め上げられ、狂ひさうであつた。

 さながら爆ぜるが如く、倅からは白き淚が溢れたが、寶玉たからだまは此の度には出てなんだ。白うに淸らかな露が太腿よりしたたり落ちる。

 「おまへ、巫山戲ふざけるな! 何故、蓮色橙玉アパラチヤ・サファイヤどころか寶玉たからだますらも出ないんだ」

 「ひィ、何卒お赦し下さりませ……」

 三日の閒、葵を責めさいなんだが、日頃の寶塚での暮らしでしか蓮色橙玉アパラチヤ・サファイヤは生まれぬと考えへ、背廣の男は諦めて葵を逃がす事にした。此の度の事を外には言ひつけぬと取り決めをして、妖しうて暗い部屋から外に出た。

 葵は今、東路あづまぢにゐるらしい。

 向かへに來給へと柾に電話いなばなしを掛けた。

 柾は葵をかへりみつつ、心解いたこゑやつた。

 待つ閒、葵は虛ろになつたと思うた。

「葵!」

 着くや否や、人目も憚らず、葵を抱き締めた。柾の溫かさに淚が頬を傳つた。

「言はんならん事があつて……」

 葵は言葉がなか〳〵出なんだ。

「あゝ、心安うしてくれ。ゆつくりでええさかひに……」

 柾がやさしうに背中をさすると、途切れ〳〵に譯を傳へた。

「あ……、わてな……捕まつてゐる閒に、蒼玉サファイヤを生めへん身體になつてしまうた……わてはもう瓊凝人ぬごりとでなうなつたんや。此れまでの暮らしはでけへんかも分からん。たとへ見捨てられてもしやあない思ふわ……」

 柾は葵をきつう抱き締めた。

「何もなうてよかつた。其ないな事があるものか。蒼玉サファイヤなんぞは構はぬ。葵の身軆に障りがなうなつて、此れからは好きなだけおまへを愛でる事がでけるんや。此の度の事は、とんでもなしに恐ろしい事やつたろうけど、こら目出度めでたいやあれへんか。心安うせえや。俺がいるねんさかひな」

 目頭に淚が溜まる。

「さうか、さうか。ありがたう……」

 二人は額をつけ、そして口づけを交はした。

 長き、長き口づけであつた──

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あをの瓊音(ぬなと) 松嶋豊弐 @MatsushimaToyo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ