老い活
黄金アオ
第1話 老い活
「ああ、やっとこの日を迎えられた」
担当の看護師が部屋を出て行ったことを確認すると、栄次は頬を緩ませ天井を見上げた。
どれほどこの日を待ち望んだことか。
栄次は、憧れの老人ホーム生活をするために毎日欠かさず老いるための活動『老い活』に専念し続けてきた。
働き盛りだった栄次は、仕事がデキるタイプの人間だったが、お人好しが故に仕事を抱え込んでしまい、最後には狭心症を患った。
当時は企業戦士の黄金期だったこともありすぐにお払い箱にされた。
それから数日と経たぬうちに『走れぬ馬に人生は賭けられない』と書置きして妻が蒸発した。
栄次は生きる目的を完全に失った。
想定していなかった『まさか』を順調に転げ落ちていった栄次は、気が着けば酒瓶片手に路上で目を覚ますことが多くなった。
今日も酷い頭痛と共に駅前の路上で朝を迎えた栄次は、新たな『まさか』に遭遇した。
黒塗りの車から、見るからに高級そうなスーツを身に纏った老いぼれた男性が専属運転手に支えられやっとの思いで降車したかと思うと、出待ちしていた医師と看護師数人に付き添われ立派な建物へと入って行った。
「なぜあんな老いぼれジジイが丁重に扱われるのに、命がけで会社にも家族にも尽くしてきた俺がこんな惨めな思いをしなくちゃいけないんだ」
ただでさえ目覚めの悪い朝に強烈な格差を見せつけられ、栄次は思わず世の中に対する不平不満と胃の中のモノを人目を憚らず全部路上にぶちまけた。
駅へ向かう人々は憐みの視線すら向けてはくれないが、駅前では勝手に野菜を売り捌く老婆に主婦のオバサン達が集まっている。栄次は閃いた。
「そうか、老いればいいんだ。老いたらみんな優しくしてくれるし、さっきの老いぼれジジイみたく介護施設に入れば何もせずともボタン一つで全部やってもらえる。それに何より『老人』だからという理由で大抵のことは勝手に許される」
―――こうしちゃいられない、一日も早く老いなければ
栄次の老い活が始まった。
何日かぶりに戻ったアパートは、吸い殻やコンビニ弁当の容器、食べかけのカップ麺が散乱していた。好都合だ。
栄次は一日も早く老いるために積極的に不摂生、不衛生に取り組む必要がある。
厳選して買い込んできたこってり系カップ麺と添加物まみれのコンビニ弁当、甘いジュース、強い酒を布団近くに配置した栄次は、まだ昼過ぎだったが強い酒を何口かグイっと飲み込むと、そのまま万年床に潜って寝た。
昼夜逆転生活は不健康の基本だ。
夜になり目が覚めると、間髪入れずに強い酒を煽りコンビニ弁当とカップ麺を食べる。食後に一服しながら甘いジュースを飲むことで、しっかりと気分が悪くなれる。
辛ければまた横になれるし、まだイケそうであれば暗い部屋の中で酒を飲みながら昼過ぎまで下世話なテレビ番組を眺めるか、つまらないラジオを聴いて過ごし続けた。
―――老い活を始めてどれだけの月日が経過したのだろう
久々に見た鏡に映し出されたのは、六十前後の生気のないロマンスグレーが似合う初老男性だった。
しばらく見入っていると脳が久々に刺激を受けたせいか頭がジンジン痺れる感覚がした。そして、あることに気が付いた。
「見た目は老人でも実際の年齢は一つも増えていないじゃないか」
当たり前のことに今さら気付いた自分の愚かさに膝から崩れ落ちた。気が付くとカーテンから漏れる光が茜色になっていた。
朝焼けなのか夕焼けなのかなんて、もうどうでもいい。金ももう尽きた。
今さら後戻りなんて出来やしない。
栄次は腹を括った。
消費者金融から限度額いっぱいに借り回った足で久々に公園へ行き、ホームレス達から戸籍をいくつか買った。
すぐに書類を取り寄せ一番足がつかないものを選び、回らない頭でどうにか記載内容を暗記した。
とにかく老人ホームに入りさえすれば、後のことはきっとどうにかなる。
栄次は手頃な施設を探し、残った金で諸々の手続きを乗り切ると念願の老人ホームへ入所した。
「敏夫さん今日から宜しくお願いしますね」
担当の看護師が部屋を出て行ったことを確認すると栄次は頬を緩ませ天井を見上げた。
「ああ、やっとこの日を迎えられた。辛かった日々も今日でおしまいだ。記念に一杯といきたいが、もう疲れた。寝よう」
栄次は清潔なベッドで久々に深く眠れた。
念願の老人ホーム生活。鳥のさえずりと穏やかな陽射しで目が覚めた栄次は、周囲を見渡しつぶやいた。
「はて、ここはどこだったかな?」
老い活 黄金アオ @ao_kugani
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