第6話 あっけない真実

 では何故、そんな美しい花籠が廃れていく様子を指をくわえてを放って置いたのか。曰く「彼」によるとそこがポイントなそうな。

 大きな流れの中であれよあれよと寂れていく。それこそ「彼」が求めた四季の中の花々と恋である。見捨てられた想い。見捨てられる里。そこに咲き乱れる真っ赤な花々。そんな栄華を誇った花々もいずれ枯れていく。

 その上で、町民たちの苦しみがこもった血の涙あってこそ、より花の美しさと、終わりを迎えることになる町の退廃さや満開を迎える木々が映えるのである。桜だって死体が埋まっているといわれているのだからより血の涙は花々と土地に染み込んでいった。

 そしてここからは仙人というか、「彼」ならではかもしれないが、そんな華やかな美しい町がさびれていくのもまた、眺めていたい好みだった。趣味嗜好という感じ。儚い。桜のように簡単にその美しい花を散らすように人々は儚い。その様子に悶える人間こそ儚いのだ。美しいものが失われていく。栄えて人々が行き交っていた大通り、大きく青々とした街路樹に夕方ほのかに灯る街頭。職人たちの美しい機織りの手捌き。ああ失われていく儚い。そして人間たちの魂も離れていく。儚い。そして世の中の人々の記憶からも失われていくのだ。そんな感じである。

 では、そんなことのために町ひとつを殺したのか。そうである。「儚い」を詰め込んで箱庭にしたのであった。


 言っておくが、いずれの和歌たちを侮辱したい訳では無い。この「彼」の身勝手だ。「彼」の解釈とその感想で作られた幻想のようなものであり、実際の歌の本当の意図はわからない。もちろん、歌人感覚も本当の考え方も送られた相手も和歌集に選んだ撰者のこともわからない。完全なる「彼」のわがままで、頭のネジひとつ外れたやつなのである。

閑話休題。


 この程度なのである。「彼」の満足というものは。「彼」はこれこそ傑作、誰かに見せびらかしたいとか思っているようだが、そこには振り回された人々に失われた文化たちがたくさん眠っている。でも人間が嫌いなわけじゃない。だから漢字の勉強もしたし、和歌集だって読み込んだ。人間たちの動きが愛おしいし、尊いものである。

 ただ、感覚が違うのだ。例えるなら、動物園で檻の外から動物たちをかわいいと動画を撮る。町作りシミュレーションで街が発展していくのを見るのが楽しい。そんな感覚が近しいといえる。

 じゃあ廃れた町はいいのか。そういう言葉には、だってさ、人間だって廃墟とか好きじゃん。仙人差別はいかんぞって言葉が返ってきた。閉口するしかない。と、一部始終を仙人になりたての「彼」の後輩は思った。そして書き残す。まだ人の感覚が残っているうちに書き残したのだ。人の感覚こそ、すぐに忘れてしう、なんとも儚いものなのだ。

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ゆめのひと @usiosioai

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