第2話 夏の一夜

 突然だが、生物は基本的に暗闇を怖れるものだ。夜行性の生物も多くいるが、それは狩猟を生業とする生物が圧倒的に多く、逆に昼行性の生物は草食系が多く、夜間は巣穴にこもり眠るものだ。当然、通常は人間も昼行性の生物であり、仕事などの理由で昼夜逆転生活を送っている人以外は基本的に日があるうちには活動し、日が落ちたら休み、明かりを消して眠りに就くのが一般的である。


 そして子供の個体は、その種族を問わず、基本的に好奇心が旺盛であり、本能的に暗闇を怖れるようになっている。たとえ捕食者側の立場であったとしても、子供は弱く外敵にとっては格好の獲物になりうるからだ。


 そして「私」もそれは例外ではなかった。


 小学生中学年当時、私は夜間テニスを習いに家から1.5kmほど離れたテニスコートへ歩いて通っていた。今なら考えられないことではあるが、当時は子供の夜間外出も今ほどうるさくなく、また前述の通り山陰地方の山間部にある我が家の周辺は人

通りもない静かな田舎であるため、人による犯罪も滅多になく、親も祖父母も周辺住民も気にもしていなかった。


 夜7時過ぎに家を出発し、1km先の役場の夜間窓口で当直の職員からコートのカギを預かり、8時までにコートへ到着してカギを開けて照明を点けて先生を待つのだ。


 テニスコートは小さな運動公園のある小高い山の上にあり、下には24時間稼働の工場があり、近くには野球場が併設されており、大人たちがソフトボールをしているとき以外は1本の蛍光灯の街灯がひとつあるだけの寂しい場所である。


 8時から9時半までの練習で、終わり次第コート整備して照明を消し、水銀灯の消えたあとの残照の中カギを閉め、先生が車で帰ったあとに私は暗い斜面を下って来た時と逆の手順で帰宅していたのだ。


 今だから言うが、暗い野球場を挟んで反対側にある駐車場にはよく数台の高級車が停まっており、練習終わりにわざと野球場の倉庫の陰を利用して遠回りをしてそれらの車の近くへ陣取り、ロケット花火や煙玉を(不自然に縦やら横に揺れている)車に

投げ込み即座に撤収し、慌てて車から降りて叫び声をあげている男女の声を聞きながら何食わぬ顔で反対側の道から下り坂を駆けって下りていたりと、小さな(?)イタズラもとい寄り道をして帰ったりしていたが、時効である。



 ある晩、夏の蒸し暑さが引き、幾分涼しくなったものの昼間の延長戦であるかのごとく蝉の声が木霊する夜。


私はいつもの通りテニスコートにカギを閉めて先生の車を見送ると、事前にリュックの中に忍ばせていた爆竹とドラゴン(田舎の悪ガキ必需品の格安噴出花火である)を手に取り、線香に火を点け(ライターやマッチと違い火が見えにくいためばれにくいのだ)いつも通りの巡回ルートを回って帰ろうとしていた。


 その日は残念ながら標的(?)はおらず、拍子抜けしながらそのまま無人の駐車場を横切り帰路に就こうとしていた。


 まん丸には幾分か足りない月が夜を照らし、若干ひび割れた駐車場のアスファルトも灰色に見えるくらいには周囲も明るかったため、私は悠々と口笛を吹きながら50m程度先の出口を目指していたところ、不自然さに足を止めた。


 先ほどまで散々五月蠅かった蝉の声が鳴りを潜めていることに気付いたのだ。


 夜の静けさとは違う、沈黙の中、工場から響く機械の唸り以外の音が消えた中、山の木々が作る影の中に不自然に暗い場所に気が付いた。現代でこそ街中に頻繁に出没しているが、田舎あるあるで唯一の夜間の警戒対象であるクマやイノシシかと、一気

に警戒度を上げた私は、即座にフェンスに覆われた野球場に逃げ込めるように、チラリと自分の立ち位置を確認してズボンのポケットにねじ込んだ爆竹を左手に出して身構えていた。


 しかし、その場所からは獣特有の音や動きが感じられず、私はソロリ、ソロリと後退こそしながらも半分安堵していた。


 その時だ、そこから少し離れた場所、木々の隙間から月に照らされていた箇所が不意に黒く塗り潰されたことに気付いた。


 そこだけではない。パッと見で照らされてシダや草が見えていた場所が、風が吹くように順に黒に塗り潰されていくのが分かった。


 身の危険を感じる警戒心とは別種の悪寒に前身の毛穴が収縮した気がし、直後全身から脂汗が噴き出した。


 忘れもしない空き家での遭遇と同種でありながら、その何倍もの危機感と焦燥に駆られ、しかし体はピクリとも動かず、小刻みに震える膝を限界まで制御し、倒れるように近くまで来ていたフェンスにつかみ掛かり、自分の背ほどの高さのフェンスに飛びつき、野球場内へ滑り込んだ。


 越える際、さび付いたフェンスの上部で袖から出た腕の一部を削り出血したりしたものの、火もついていない左手の爆竹をフェンス向こうへ投げつけ、動転しながらも追加で出したドラゴンの導火線へ震えた手で火を点け、フェンス越しの駐車場へ投げ込んだ。


 火薬特有の煙と匂いが付近に漂い、噴き出る花火の光と煙で山側が見えずらくなり、私はようやく少し落ち着きを取り戻し、一目散に野球場を一塁側から三塁側へ突っ切り、そこのフェンスを越えていつもの道へと躍り出て、帰路の道を走り抜けた。


 役場へカギを届けるのも忘れ、学校の持久走の時よりも本気で走り抜き、家に着く頃には息が切れ、酸欠寸前であった。


 その日はさすがに夜の自室の闇が恐ろしく、また、寝る前の便所も足が進まず、普段と違う私に祖母も不思議がり、結局祖母の隣で一緒に眠った。


 次の日、祖母と歳の離れた妹と墓掃除へ先祖の墓所がある山へ(先祖はその土地の豪族で城主だったため城跡近くの山に墓所がある)向かい、落ち葉を集めたり墓の汚れをタワシで落とし、沢の水で清めてお参りを済ませると遠くに野球場が見えた。


 駐車場がある場所は山の陰に隠れて見えなかったが、その真上の位置に白っぽい広場のような物が見えるため、祖母に聞くと無縁仏を有する墓地公園だと教えられた。


 そしてその日の墓参りは祖母が前日用事があり出来なかった迎え盆の墓参りだと教えらた。


 それを聞いた私は昨日の衝撃を思い出し、帰ってから祖母へ前日の体験を話したところ、以前より何度かそういったモノを見たことがあることを知っていた祖母はようやく昨日の私の様子に合点がいったらしく、


 「迎えが来なかった人らがおまえに迎えて貰いたかったんかもなぁ」


 と、私の頭を撫でながら言われ、ひどく狼狽し

 

 「先生んとこいけばいいんに、なんで俺んとこくんの!?」


 と言ったのだった。


 



 ちなみに、テニスの先生は隣の市で代々、禅宗の寺の住職を務めている歴とした坊主の家系である(現在は寺を継いで住職になっている)

 

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暗いと、黒い 櫻井 恵 @sakurai_meg

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