見る目があった占い師

 「九十八、九十九、百……」

 何度も何度も数え直し、全て本物であることを確認する。部屋の中には誰も居ないのに、誰かにこの大金が見つかりそうな気がして、辺りをキョロキョロと眺めてしまう。犯罪を犯したわけじゃないのに、苦しい罪悪感が肋骨を締め上げる。そのあとに、自分のものだ、全部自分のものだと、優越感で少し体が浮遊したような感覚に襲われる。そしてまた重力でどん底に落とされ、また重力が無くなっていく。気持ち悪くなるというのを繰り返し、部屋中を動き回っていたら、息切れを起こしてしまった。

 ガタン。

 わっ、風か……。窓の鳴る音、自転車のベル、自分の足音まで、近くに誰かいると錯覚を起こしてしまう。友達に連絡を取って泊まってもらうとも考えたが、百万円を持っていると知られたら、奪われるかも知れない、本当の友達じゃなくて、お金の関係になってしまうかも知れない。不安が不安を呼び、助けを求めたくても、体が受話器のボタンを押せなかった。

 きっと体調が悪いんだ。私は急いで布団を敷いて、百万円を抱えながら横になった。掛け布団から足が出ると、そこから引っ張られる想像をして、赤ちゃんのように体を屈ませる。お願い、寝かせて。

 もう一度、一万円札の渋沢栄一の顔を眺める。これ、全部、私のもの……。浮遊感がまた私を支配して、その感覚のまま、布団の暖かさが私を包み込んだ。

 

 はっ。顔中に汗の雫が張り付いている。

 暗い。いったい何時間寝てしまったのだろう。あっ、メイク落としてない。千鳥足で洗面所に行き、洗面台のライトをつけると、私の親指が真っ赤に染まっていた。

 「きゃあぁぁあ!」

 血がポタポタと落ち、洗面台に流れていく。ほのかに、鉄の匂いが漂ってくる。視界の上には鏡が見えていて、嫌な予感が脳裏をよぎった。顔を震わしながら、恐る恐る、後ろに誰かいないか、鏡を確認した。

 私だ……。

 恐怖に染まった顔をした私しか映っていない。よかったと思う反面、やつれている自分が、どうにかしなければと焦らせる。

 親指を洗おうと蛇口をひねり、透明な水が赤く染まりながら穴に流れ落ちていく。それだけでは落ちず、石鹸を出して洗うが、真っ白なハンドソープも、だんだんと見たことのない赤色になっていく。私、これからどうしたら良いんだろう。百万円を持ってるからいけないのかしら、泡銭と言うほどだし、どこかで大胆に使ったほうが良いのかも知れない。それとも彼女に返す?いや、会いたくない。そう思いながら紅色になった泡を洗い流すが、親指はまだまだ赤かった。さっきと何も変わらない。親指からまだまだ血が落ちていく。どうしよう、どうしよう。

 それから、何度も何度も親指を洗った。擦り過ぎて痛くなるほどに、親指を掴んでぐるぐると洗う。手のひらについた血は落ちるのに、親指だけはどうすることもできなかった。

 バタン。

 音のする方を見ると、寝室のふすまが閉まっていた。そして、リビングの扉が、ゆっくりと開き始めた。まるで入りなさいと誘うように。足元にぬるりと風が通っていく。

 「嫌、嫌よ」

 誰もいないはずのリビングの奥に向かって、私は口で抵抗した。足が岩のように動かなくて、確認することも、逃げることもできない。やっ……。こぼれ落ちた血液が、私の足に当たり、反射で膝を上げた。動ける。行くか、逃げるか。私は振り返り、玄関の方へと一歩動いた瞬間、

 「先生……?」

 ガチン。どうやら、次は全身がが硬直してしまったようだ。確かにリビングから、声が聞こえた。幻聴か、私の気がおかしいのか、リビングから無数に反響する彼女の呼び声や笑い声が、私を取り囲むように恐れを擦り込ませる。失神しない自分が不思議でしょうがない。肌寒いのに、服の中は蒸れて汗をかいているのがわかる。呼吸がどんどん荒くなる私に、耳元から。

 「あなたのせい」

 「嫌っ‼︎」

 私は虫を払うように勢いよく耳を叩いた。刹那、腕がガタガタと震え始め、同時に親指の先端から血潮が溢れ出てきた。ボトボト流れ、肘まで血が伝う。火傷が血に触れ、目を強く閉じて声を抑え、痛みをじっと耐える。少しずつ慣れ、若干目を開けれるようになると、足元には浅い血溜まりができていて、液体の生温かさが酷く気持ちが悪い。

 血の池はとどまることを知らず、溜まった血はすぐにくるぶしまで触れ、思わず下を見てしまった。すると血溜まりから、眼球が浮いて出てき始めた。怖がりながらも、足で払うと浮いたまま無抵抗に流れていくが、また一つ、また一つと増えていき、フジツボのように充満して私を一斉に覗いた。

 ピンポーン。

 「もうやめて‼︎」

 「大丈夫ですか?ゆ、郵便ですけども」

 喉が割れそうな私の叫び声に対して、玄関の奥から、柔らかな男性の声が聞こえた。すると、足元にあった大量の目玉は無くなり、血溜まりもすぅーっと引いていった。しかし、親指はまだ血痕のように赤黒く血が残っていた。

 ゆっくり手を壁に触れ、つたいながら、左足、右足と床をずり脚を交差せずにゆっくりと玄関まで歩いていく。扉はあるはずだが、暗くてよく見えず、妙に廊下が長く感じてしまう。手のひらと足の裏に感じる摩擦熱が、動きの遅さを煽りつづける。

 早く、早く着いて。

 手が硬い出っ張りに触れ、よく触るとそれは電気のスイッチだった。すぐにつけ、玄関に明かりが灯る。見えた。冷えるドアノブに触れ、祈りながらひねりゆっくりと開けると、そこには夜の景色には場違いな、郵便配達のお兄さんが立っていた。

 「うわっ、すいません。どうしたんですか?は、鼻水出てますよ」

 「おばけが、おばけが!」

 人が来たという急な極度な安心感で、何から話せば良いかわからず、全てを集約するであろう単語を発した。

 「とりあえず、顔拭いてください」

 そう言って、彼はポケットから白いハンカチを出してきた。受け取ると、滑らかで金色の刺繍が入った上品な布は、久しぶりに人の温もりを感じた気がして、膝を屈んでハンカチを強く握った。そして初めて、私の涙が滑らかに顎の先へと落ちていった。

 「ここに、ここにいていただけませんか?」

 「そ、それは、僕にも仕事があるので」

 私はいただいたハンカチで顔を拭き、できるだけ長くいてもらうために、お礼を何度も言いながら、また来たときに洗って返すように伝えた。ふとハンカチを見ると、母印のようにくっきりと赤い指紋のついてしまっていた。ここでも突きつけられる現実に耐えられず、私は直接温もりを感じようと、思わずお兄さんの腕を掴んでしまった。

 しかし、反射的に身を引いてしまった。

 熱を、一切感じ取れなかった。

 単に冷たかったのではなく、腕の中にある、血流のほのかな熱でさえわからなかった。空洞の筒のような、芯のない硬い腕をしていた。

 数秒腕を見つめていた私の視界に、一通の便箋が写り込んできた。そこには汚い文字で「先生へ」と書かれていて、私は無言のままそれを受け取った。

 「それでは僕はこれで」

 行ってほしくない。どうにか留めるために、さっき感じた違和感を掘り出そうとした。

 「あ、そういえば、なんでこんな時間に?まだ全然暗い……」

 そう切り出して顔を上げた瞬間、男の姿は消えていた。ただ夜が黒く覆い、近くにある壊れかけた電灯が明滅を繰り返しているだけだった。道路を確認しても、誰一人見当たらない。住宅街の電気さえ一つもついておらず、どこか別の世界に迷い込んだのではと真面目に考えてしまう。

 多分、彼女の呪いに苛まれていたのだろう。盛り塩、お札、この前買ったお清めスプレーも頭皮から足のつま先までかけて、心を休めようと、汗が滲んだ布団にに寝転がり、便箋を開けた。

 「先生へ、先生のおかげで、運命の人は見つけられなかったけど、人は見た目じゃないんだぞってことがやっとわかりました」

本文もなかなか汚く、真っ直ぐかけておらず読みにくい。宛名が書いてないから誰だかわからないが、私のおかげで幸せなのだろうと、少し安堵を取り戻した。

「中身です。たとえ目が見れなくても、その人がどんな人かで判断するようになりました。それで最近、優しい声の人に出会ったんです。こんな私のことを気にかけてくれるとてもいい人です。一度は顔を見てみたい。先生、最後のお願いです。一回でいいから、目を、貸していただけませんか」

 ああ、あああ。あああ。逃げなきゃ。

 私は思いっきり布団から飛び出し、近くにある百万円を手に、しようとしていたが、百万円が、無い。部屋中を駆けずり回り、やっと見つけた場所は、さっきまでいた玄関だった。

 急いでしまい、何もないところをころんで、そのまま四つん這いになってまでお札を抱きかかえた。

 はあ、はあ、私の、私のお金。私の。

 「目的地に、到着しました。ルート案内を、終了します」

 ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン。

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見る目がある占い師 小南葡萄 @kominamibudou

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