見る目があるはずの占い師

 安いという理由だけで借りた木造建築の古い一軒家に帰り、赤く昔ながらのかまぼこ型の錆びたポストを開けると、中には封筒が入っていた。丁寧に開けると、四、五枚、便箋が入っていた。中身は占いの結果報告や感謝の言葉、たまに説教などが書かれている。デパートはご親切に、私宛にデパートに届いた手紙を、住所を封筒に書いて一斉に送ってくれるのだ。

 一応わざわざ書いてくれたんだと、嬉しいのもムカつくのも全部読むようにしている。返信はしようと思えばできるが、再度来店する価値を高めるように、あえて送っていない。読み終えると、手紙をお褒めの言葉とご意見に分けて、段ボールの中に大事にしまった。


 あれから一週間が経ったある日、開店して1時間も経たないうちに、彼女はやってきた。メガネでもおさげでもない。ましてやスーツ姿でもなく、確実に生まれ変わっていた。シースルーの白いブラウスに、柔らかなタンクトップ、きめの細かいアコーディオンのようなグレージュのプリーツスカートを履いて、白いレザーのショルダーバックを肩にかけていた。ストラップを柔らかく持った右手にはマットでシンプルな肌色のネイルが施されていて、耳には金色のアクセサリをつけて、ゆらゆらと輝いていた。まだ少し恥じらいが見えているが、男が目を離さない、立派な一人の女性になっていた。

 「あらー!あゆみさん!可愛くなってー!どうですか?お変わりありましたか?」

 「へへ。ええ、男性に声をかけてもらうようになりました。可愛くなったねって」

 「お力添え出来たみたい良かったです。本日は?」

 「今日は、どんな男性が私に相応しいか、見てほしいです」

 「わかりました。ささっ、お掛けになって」

 そう言うと、彼女は少し足を踊らせながらウキウキの表情で席に座った。

 「さてさて、どこか悪いところある?この前は目だったけど。そういえば、なんのお仕事をしてらっしゃるの?」

 「経理です」

 「なら、手首とか、あとは座り仕事でも背中は悪くなりやすいですからね」

 「いや、全然大丈夫ですよ。それよりも、目を触ってください」

 職業さえ聞けば、悪くなりやすいところがわかるはずと思ったのだが、彼女の答えは、斜め上の方向へと飛んでいった。

 「えっと、前回と同じでよろしいですか?」

 「いや、目を直接触ってほしいんです」

 「えっ」

 困った。これまでは、セクハラなどは避けてきたが、これに関してはどう言い訳をすればいいのだろうか。キラキラしている瞳で凝視され、私は本当に触らないといけないのかと、首裏から汗が滲んできた。

 「あ、危ないですよ。あんまり、指を突っ込むというのは」

 「お願いします!コンタクト越しで良いですから!は、はずみますので……」

 私はその言葉に呪われ、ふうと言葉を吐きながら、彼女の隣まで来てしまっていた。上目遣いで、惚けた顔を私に見せてくる。そんな顔しないで。私は、お金のためにやってるだけなんだから。

 「で、では行きますよ。痛かったら、言ってくださいね」

 「はい、お願いします」

 親指を、彼女の茶色い瞳孔に標準を合わせて、コンタクトの薄い膜を、ゆっくりと触った。少し乾いたレンズからは、角膜の楕円を感じられる。背筋に罪悪感が、スゥーっと登ってきた。ううう、気持ちが悪い。

 「痛くないですか?」

 そう質問しても、彼女は目をとろけさせて、優越感に浸っていた。まぶたが落ちて面積が減ってしまう。早く終わらさなきゃ。

 「み、見えます。綺麗な革靴の、年上の男性。変わる前のあなたに、唯一話しかけてくれた人です」

 「あの人かなあ」

 彼女が発言した瞬間に、目の位置が少しズレてしまった。

 え、私、直接触ってる……?

 そう思った瞬間、すぐに親指を離し、急いで席に座った。私今、どんな顔してるんだろう。冷静さを取り戻そうとしても、目尻が震えて止まらない。痛々しさを、自分の目でも感じとっているのか。

 目を瞑って、余韻に浸っている彼女を待つこと一分。開いて私を見ると、彼女の白かった目は、雷のように充血していた。

 「やっぱり痛かったんじゃ……」

 「良いんです!ありがとうございます!」

 私の発言に割り込み、目を見開きながら、三万円をおいてそそくさと出て行った。出て行った時に入ってきたエアコンの冷気が、私の顔を舐めていく。その時の風に、なんだか寒気がして、気持ちよく感じられなかった。仕事。仕事よね……。


 それから、彼女から進捗の手紙が毎日送られてきた。三日間は上り調子に見えた。嬉しい楽しい生きててよかったと、明るい文章が連なり、三日目には、私が好きそうだと、可愛い箸置きサイズの犬の置物が一緒に同封されていた。しかし、その後の四日間は、恋愛に疲れが見えたり、男性への不満が高まっていた。言葉選びも怖くなってきて、まるで当然かのように同僚の女を監視したり、意中の人をつけているということが書いており、最初は太客できそうなどと考えていたが、今じゃ、また来るのかしら……と、多少の恐怖と日に日に増えてくる不安を抱えて過ごしていた。

 

 そして彼女は、とうとう開店前にやってきた。目はパンパンで、涙が大量に溜まってから大粒になって流れ、それは一部赤いメガネに溜まっていた。服はこの前みたいに可愛いのに、髪の毛がボロボロで、わらように荒れていた。

 「どうしたの!」

 「うええぇ、男なんて、男なんてぇ!」

 事情を聞くと、仲良くしていた先輩と昨日もデートをする予定だったのだが、待ち合わせに着いた目の前で、ドタキャンの連絡が入ったらしい。しかも、彼女の目には彼が写っていて、その腕には知らない女を抱えていたという。恋愛初心者の彼女には相当な苦しみだっただろう。少し恐れを抱いていた彼女に、私は1人の女として、同情と、男に対しての嫌悪を隠しきれなかった。

 「あんまりね……大丈夫?」

 「だいじょばないです!先生の言うことちゃんと聞いたんですよ⁈貯金をはたいて、イメチェンしたのに……やっぱりあの女が」

 「運が悪かったんだわ。今日は家で休みなさい」

 「もう一回、もう一回占ってください!」

 「ダメよ、流石に心が乱れすぎているわ。冷静になってからまたおいで」

 「お願いします!冷静になるために!五万、いや、じゅ、十万払いますから!私を救ってください‼︎」

 警備員でも呼ばないと収まらなそうな圧と、十万円という金額の圧にやられて、ボロボロの彼女をテントの中に入れてしまった。とりあえず、時間稼ぎのために、ロウソク一つ一つに火をつける。今日はどうも、その光が不気味に感じた。

 「目を、目をお願いします!」

 「いや、この前はコンタクトだったからギリギリ許せたけど、今日は直接触ることになってしまうわ。絶対ダメ!」

 あくまで一人の客だというのに、誤って、大きな声で制してしまった。彼女は私の声に少しびっくりした顔を見せ、そのまま鼻水を出しながら泣きじゃくってしまった。ああ……。私はテーブルの下にあるバックからティッシュを取り出そうと、腰を折ってすぐに見つけ、握り込み急いで顔を上げると、そこには分厚い渋沢栄一が、少し困ってそうな顔を見せつけていた。

 「こ、これどうしたの?」

 「百万円です。お願いします。自分が何しちゃうかもうわかんないんです。私にはもう先生しかいないんです!どうか!どうか‼︎」

 私はいつの間にか、息を荒げていた。それに気づいた瞬間に、一旦呼吸を落ち着かせて、今見える現実に目を通す。

 百万円……。

 私の脊髄があらぬことを考えてしまう。これを貰って、このデパートが逃げ出そう。そう思い立った瞬間、金の呪いは、私の心臓を掴み取ってしまった。彼女との関わりは今日が最後。これで終わり。数分の辛抱よ、私。

 「しょうがないですね……」

 自分でもなぜやっているのかよくわからない演技をしながら、泣き止んでさらに腫れ上がった目をした彼女の前に立った。油っぽい手汗を垂らしながら、親指をゆっくりと近づけていく。なぜ彼女は、私なんかに心酔しているのかわからない。もしかしたら、全ての責任を、私に押し付けたいだけなのかも知れない。そのために、百万も積む必要があったのかと思うと、絶対に必要ない。おそらく、彼女はここ一週間、ずっと冷静になれていなかったのだろう。今日を境目にここを逃げて、詐欺師とでも思われよう。そうすれば、彼女も冷静になれるはず。少し高い授業料だとは思ったが、その考えは一瞬で払われてしまった。今の私の目はきっと、ドルマークが写っているのだ。お金をもらわずに冷静にさせる手立てを、私は考えられなかった。

 親指が、角膜に当たる。生暖かい、ピタッとしたぬめりが指にくっついていく。そして触れた瞬間、瞳孔を中心に、一気に赤い亀裂が白目中に広がった。

 「ヒッ……」

 「ああ、癒される。さあ先生、私を占ってください」

 と言われても、何を占えばいいんだ。どうしてあげれば。

 「つ、疲れが見えます。それは身体、精神、全てからです。冷静さ、冷静さを取り戻してください。病院にいって、しっかり休めば」

 「そんなの占いじゃないです!もっと!ちゃんと見てください!」

 彼女はそう言うと、私の手首を掴み、親指を奥に押し込んだ。

 ぐちゅ。

 確かにそう聞こえた。指が硬いゼリーのような眼球で奥に滑り、熱が私の指を通り抜け、目元から大量の血が飛び出してきた。

 「きゃああ‼︎」

 「ありがとうございます、ありがとうございます先生。どこですか?先生?先生?」

 彼女の瞑っている目から、血が止まらなくなっている。彼女は腕を伸ばして、尻餅をついてしまった私を探していた。

 「やめて‼︎出てって‼︎」

 「なんでそんなこと言うんですか?元はと言えばあなたのせいで私は不幸せになったんですよ。あなたのせいです」

 あんなに綺麗だった彼女は、顎から血を溢しながら「あなたのせい……あなたのせい……」と言って、テントを出ていった。私は通報をするために追いかけようと、無意識に手をかけると、その先には燭台しょくだいがあり、少し溶けたロウソクが、私に向かって倒れた。

 ジュッ。

 熱いっ‼︎床には倒れず火事はさけたが、私の腕にくっつき、火が私の腕をじっくりと熱していた。すぐに消し、ロウソクを剥がしてその場に捨てた。痛い痛い痛い……。腕を抑えながら暖簾をくぐると、すでに彼女の姿は無くなっていた。そして不思議なことに、垂れていたはずの血が、床に全くついていなかったのだ。そして親指にも、どこにも血が付着していなかった。

 夢?悪い夢なのね?お願い、夢であって。そう思い込みながら戻ると、テーブルには百万円が、新しい持ち主を待っていた。身体中が、スッと青ざめたのがわかる。反動にじわじわと痛みが強くなる火傷に耐えながら、震えた手で札束を持ち上げた。番号を確認しながらパラパラとめくると、全て連番になっている。つまり新札。本物だ……。

 すぐに他のロウソクも消して、お札をバックに突っ込み、お休みの札を置いて、私は逃げるように家に帰った。

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