聴こえないメロディー
十六夜 水明
聴こえないメロディー
もう、夕日は地平線のように連なっている住宅街に炎を纏いながな隠れようとしている時分となった。
まだ明るいとはいえ、夏ということもあり相当な時間だ。刻々と夜の気配を纏っていく町を、その歌声を探すように歩く。
辿り着いたのは、住宅街から離れた小さな公園だった。辺りは薄闇に包まれているとはいえ、まだ日は沈んでおらず太陽の茜色を空が反射して、輝くような茜色に染め上げられていた。
そんな中、耳を澄ますと公園の中から先程より小さくなった歌声が聴こえる。
少し奥から聴こえているような気がして、湊が奥に進むと道路から見えないようにしているのかのように大木の裏手に1人用のブランコがあった。
そして、白いワンピースを着た少女がブランコに座り、空を眺めながら
湊は、その恐ろしく美しい光景に幽霊を見ているような心地だったが、寂しげな少女の瞳を見て、それは明らかに生きている人間の少女だと確信した。
「ねぇ、君1人?」
明らかに、不審者顔負けのセリフに心の中で苦笑しながら湊は思い切って少女に話掛けた。
しかし、少女は困ったような顔をして考え込むようにしてうつむいてしまった。湊がその様子にあたふたしていると、決断をしたかのように顔を上げ、手を動かし始める。
湊には、見慣れた手の動きだった。
手話か! そう思い、湊も手話で少女と会話をする。湊の親友は、大きな事故で声が出せなくなってしまった。その親友の見舞いにいくうちに、湊も手話を覚えてしまったのだ。
突然、自分と同じように手話を始めた湊に戸惑いながら、少女は湊に手話で語り始めた。
『私ね、生まれた時から耳が聞こえないの。だから、さっき話しかけられても分からなかったの』
お兄さんはさっき何を言っていたの? と少女は付け加える。
『あぁ、さっきは1人でどうしたの? って話しかけたんだ。こんな時間に1人なんて危ないだろ?』
『そうなんだ』
話によると、少女は小学校6年生。その割には、体が小さいから小学校3年生位に見えてしまった。
『さっき、歌っていたよね』
『うん。でも、1人の時にしか歌わないの。みんな上手だって言うけど、耳が聴こえないの子の中でだもん』
世間には通用しないよ、と少女はいうが、湊はそんなわけない、と返す。しかし、少女は聞く耳を持とうとしない。
『私ね、歌手になりたいの。いま、音楽を聞くことは出来ないけど、いつかこの耳が治ったら聞いてみたいんだ』
『ッ?! 音楽は聴くだけじゃない、感じるものなんだよ』
明日は、中学の後輩のコンサートがあるんだ、一緒に行こう、そんな言葉が湊の口から出た。
翌日、公園の近くにある市民会館の入口で湊と少女は合流した。
昨日の白いワンピース姿とは違って、柄物のTシャツに半ズボンと幽霊とは似つかない姿だった。
『緊張してる?』
『うん、だって聴こえないのにコンサート来るんだよ。こんなの初めてだよ』
人混みとなっている市民会館入口に足を進めながら、湊は、楽しんでくれるだろうか、とそわそわしていた。
コンサートが始まった。
幕が上がり、吹奏楽部の部員全員が礼をし席に着く。
そして、はじまった───。
───ッパパ──パ!、ッパパ──パ!
トランペットが突如として音色を奏でる。
ホールに音が反響し、音の振動が体の芯に訴え掛けてくる。ビリビリとホール内の空気が振動しているのが分かる。やっぱりこの感じがいいんだよなぁ、と思いながら湊が少女に視線を向けると彼女はとても驚いた顔をしていた。
そして、演奏は続く。
フィナーレ、演奏している全楽器が1つになり、物語と化した音楽は終わりを迎えた。
観客の拍手の渦、汗が滴る部員たち。ここまでが音楽なんだ。
そういわんばかりに少女の方を見ると、少女は目尻に涙を貯めながら『ありがとう』と手話で湊に伝えたのだった。
本当の音楽を体で味わってくれたのなら、そして、感動してくれたのなら、これ以上に嬉しいことはない。そう思い、胸がいっぱいになるのを感じながら、湊達2人は会場を後にした。
あれから、10年が経った。
少女は、一体どうしているのだろう。
久しぶりに思い出した、名も知らぬ少女に想いを馳せながら、湊はTVをつけた。
そして、見覚えがある顔の女性が映った。
『昨日、歌手の
そんなニュースキャスターの解説を前に、湊はただ、立ち尽くす。
「良かった……。夢が叶ったんだね」
ふと呟くと、涙が湊の頬を伝って流れていた。
家のリビングでは、あの少女と昔、聴きに行ったコンサートと同じ曲が流れていたのだった。
〈終〉
聴こえないメロディー 十六夜 水明 @chinoki
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