『蝉時雨』 作者後書(2024/9/19)

 人間のように理性を獲得した動物が、例え性的なものであろうと己の欲求に対して主客関係を意識しない訳がない。エロティックな関係が猥褻と言われる所以は、その関係性にある。なぜ亀甲縛りにされた女の裸体がエロいのか、それは、(私は男であるので)欲求対象となる女性の了解を得ない範囲で、欲求主体(この場合では私)の思いの通りに対象を操れるからだ。

 欲望を欲求の対象に意のままに投影できる状況程卑しいものはない。それを我々は半ば本能的に心得ているから、性的な行為においては明確な主従の関係をつけたがる。自分が相手に優位な状況を、自らの手で作り出そうとするのだ。その行為の目的さえわかっていれば、第三者から見れば、その行為だけで性的な興奮を感じられる。実際、昨今のあらゆるポルノ作品にそのような場面が登場する。

 本作において作者自身が最もエロティックであると感じたのは、冒頭の二人のやりとりである。主人公『俊』は、本文中にあるとおり『明確にセクハラの意思を持って』咲の脚に手をかけたわけであるが、この行為こそ、『俊』が『咲』に対して優位に立とうとする気持ちの裏返しである。そこで『咲』が『俊』の行為の目的に感づいて拒絶的な反応を見せれば、一瞬なりと『俊』は『咲』より優位な立場となったわけであるが、しかし『咲』はその行為に対して特に気にする様子を見せない。『俊』はそれを『私の意思に気が付いたことは、これまでに一度たりとなかった』と語っているが、果して本当なのだろうか。万が一『咲』が『俊』の目的に気づいていたのだとしたら、それはなかなかに卑しい。『俊』の目的に気づいてなお気づかないふりをしているということはつまり、相手の意のままにさせない。これ即ち『咲』は『俊』より優位な立場に立とうとしているということになる。『咲』も『俊』を自身の性的な欲求の対象と見ている証拠となり得る。

 更に次の場面では、偶然にも『俊』は屈んだ『咲』のシャツの中身、即ち彼女の上半身の裸体を見てしまうわけであるが、例え偶然の出来事であったとしても、これは『咲』の了解を得ない範囲で『俊』が己の欲求を彼女で満たしているわけであるから、上下の関係が存在している。少々品の無い話になってしまって申し訳ないが、風が吹いて女性のスカートがめくれ上がり下着が見えてしまったといった状況に、男性は興奮を覚えずにはいられない。スカートがめくれ上がるといった変動は、そのスカートを履いている当人の了解を得ない範囲で、偶然の重なりによって起こるものである。何者かが意図的に発生させたものではなく、当人の意を解せぬところに起こるものであるから、当人の意思が束縛された状態と、周囲の人物の欲求に沿った状態が同時に発生する。するとそこに、主従の関係が偶然にも成立してしまう。だからエロティックなのだ。

 この時の『咲』も全く似たような状態であるが、やはり『咲』は『俊』にシャツの中を見られたことに対して、特に気にする素振りを見せない。そしてここに、新たな関係性を感じる。もし『咲』が『俊』に中身をいるのであるとしたなら、これまた非常にエロティックである。彼女が『俊』の性癖のツボを押さえており、『俊』の性的興奮を誘発させる目的で、あえているのだとしたら、『俊』は『咲』に意思を操作され、『咲』の欲求を満たすための良い操り人形となっている。これは見かけよりかなり強烈な主従の関係である。

 これは少々わかりにくい表現であったかもしれないが、『咲』の首元から一滴の汗が、『俊』の眼球に滴り落ちる場面が続く。汗というものは生理現象であり、当人の意思の通らぬところで発生する現象であるから、当人の意思は自然に拘束された形となる。老廃物である故他人には見られたくない部分が露見しているわけであるから、例え偶然であってもそれを目撃した人物との間には主従の関係が成立し、どうしても目撃した人物が支配的な立場となる。が、しかし、この時『咲』の体内で発生した汗を『俊』の目の中に落とすことによって、『俊』はその汗に驚きと不快感を感じて飛び上がったわけだから、『咲』に支配権がある。

 また汗というのは、身体の表面を伝う感覚が皮膚を通して神経に伝わるものであるから、およそどのあたりで落ちるかは想像に難くない。とすると、目の中とまではいかなくても、『咲』には故意に『俊』へ自らの汗を落とそうという気が合ったのかもしれない。すると先ほどのスカート理論と同様、『俊』に対する『咲』の強烈な支配欲を伺える非常にエロティックな場面となる。

 両者のあやふやな主従の関係を決定づけたのは、お祭りに行く道中、『咲』が『俊』に背後から抱き着いた場面である。夏の暑苦しい中、『俊』の背中に抱き着き自らの身体の膨らみを押し付ける行為、それは、相手の望まない状態を作り出し、状態を解こうとする相手の意思を自身の性的な魅力によって抑えつけようとする試みであり、『咲』が『俊』に対して強欲なまでの支配欲をむき出しにした場面である。

 私はここを物語の最高潮としたかったのであるが、それ以前の語りの中で、『どこをとっても彼女に敵う箇所が見当たらず、それがいつしか私の中で僅かに劣等感へと変化した。』と『俊』は既に白旗をあげてしまっていたのだ。これでは既に二人の関係性は決定づけられていたも同然であり、ただ主人公の語りを反芻するだけの、なんの面白みもない場面となってしまった。私の今作における最大の失敗である。

 そもそもにして、今作はいろいろな箇所で理論の破綻が目だった。二日間の突貫作業とはいえ、もう少しまともな設計に仕上がるはずであったが、何せ恋愛小説自体書くのが初めてであったこともあり、かなりの試行錯誤があった。結果としてあの着地で良かったのかもわからない。様々な感想を受け取った。

『バランスがとれた良い作品であった』

 非常に温かいコメントばかりで感謝の限りであるが、恋愛小説であるならば、もう少し不安定な要素があっても良かったかもしれない。なんにせよ、今回の企画では色々と勉強をさせられた、良い機会であった。

 最後に、主宰犀川よう先生並びに選考委員の皆さま、この作品を開いてくださった読者の皆様、そして、参加者の皆様に心からの感謝を表明し、作者の悪足掻きとさせて戴く。

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蝉時雨 にわかの底力 @niwaka_suikin

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