待ちきれない

呂兎来 弥欷助(呂彪 弥欷助)

☆ミ

 長かった。いや、時間にすれば一年なんて、あっという間に聞こえもする。

「ようやく帰れる……」

 風呂上がりにビールを仰いだせいか、フラフラとベッドに倒れ込んだ。目をつぶれば、この一年間が走馬灯のように駆け巡った。


 何をしたでもない。

 ただただタイミングが悪かっただけだ。

「四国に支店を新しく出すことになったから、君ちょっと行ってくれないか?」

 疑問形だが、会社員の定めだ。覚悟を決めるしかない。

「かしこまりました」

 返答をし、社長を見送ってからムクムクと感情が騒ぎ立てる。

『単身赴任か』

『娘が受験を控えているのに』

『一人暮らしなんてしたことないぞ』

『ちょっとってことは……せいぜい三ヶ月か?』

髙木タカギさん、大丈夫ですか?」

「え……」

「顔、真っ青ですよ!」

 タクシーが去ったあと、後輩の笠井カサイにはメチャクチャ心配されたっけ。


「はは……」

 思わず乾いた笑いがこぼれる。

 あのあと、『早くて三年じゃないか?』なんて新山ニイヤマ店長に言われて絶望したな……。

 そうだ、そう思えば『早かった』んだろう。けれど、初めて一人暮らしをした俺にとっては辛い辛い日々で、一年は長かった。

 幸いなことは、娘が無事に合格したことだろう。

朱美アケミが一人暮らし……俺と入れ違い……」

 寂しいが、応援しなくてはいけない。

 朱美はどんな学生生活を送るのだろう……。卒業をしたら、家に戻ってくるのか。また三人で暮らす日々は戻ってくるのか……。

 昨日のように思い出せる。テレビを見て笑ったり、些細なことで喧嘩をしたり。喧嘩を解決してくれたのは、妻の美味しいご飯のお陰だった気がする……。


 気づけば窓から日が差している。朝だ。

 時計を見れば、時間は充分にある。新幹線の時間に問題はない。荷物はほとんど送っていて、残っているのは小旅行する程度の荷物だけだ。

 この一年で培われていた会社員の体内時計に感謝をする。それと、新山店長にも。

 数ヶ月前だ。新山店長から連絡があったのは。

「よう、元気にしているか?」

 相変わらずの明るい声に、つい甘えが出てしまった。つまらない返答をしてしまった俺に対し、新山店長はサラリと流し、

「今度俺、部長に昇進するんだよ」

 だから? と思ってしまった俺の心をよんだかのように『だから』と言われ、ドキリとした。すると、

「髙木をここの店長にして戻してくれって、頼んどいたから」

 あのあとは……『ありがとう』と『おめでとう』を言った気がするが、記憶がグチャグチャだ。

 新山のお陰だ。俺が東京に戻れるのは。


 来たときと同じようになった部屋をパタリと閉める。そして、スマホを数回タップし、歩き始める。

「あら、おはよう」

「おはよう」

「今日帰って来るんだから、わざわざよかったのに」

「待ちきれないんだよ」

「ふふ、待っているのは私の方なのにね」

 妻の笑い声が心地いい。

 ああ、これからはまた、この笑い声を毎日聞けるのか。

「今度から、週に一日はご飯を作るよ」

「どうしたの? 急に」

「この一年で、俺も成長したんだと知ってほしいんだよ」

『休日の一日を担当すれば、君も一日休日ができるだろ』と続けたら、『いつまで続くかしら?』と冷やかすように返ってきた。

「そうだな……定年したら三日くらいはできるように頑張らないとな」

 意を決して言ったのに、

「そういうの、何て言うか知ってる?」

 想定外な妻の声。何かと聞き返せば、

「『フラグ』というの。へし折って、無事に帰って来てちょうだい」

 よくわからないことを言う。

「『ふ……』? へし折る?」

「もう……とにかくね、決意は聞いたわ。三日坊主で終わると思って期待しないから、安心して帰って来て。それじゃ」

「え? ……ちょっ……」

 慌ててスマホを見るが、虚しく通話時間が表示されている。マジか。本当に切ったのか。

 まぁ、いい。確かに、妻の言う通りだ。口にしただけで、実行しなくては意味がない。

 有言実行の目標を新たに、駅のホームへ向かう。


 これからまた、新たな毎日が始まる。

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