11■身体なのか? 自認なのか?(2)
▼Bさん(30代)のコメント(1)
ものごころがついてから15歳くらいまでは、自分が女として見られたり扱われるのが嫌だったし、ちょっと変な人だと思われたほうが、あれこれ干渉されることもないだろうと思って、スキンヘッドにしたり下駄を履いたりしてヒッピーみたいな恰好をしたりして抵抗していた。
自分の身体も嫌だった。第二次性徴期に胸が膨らんできたり、腰つきが丸くなったりして、自分の身体が鈍重になっていく感じが耐えられなかったから。身体を変えたいと思ったこともあるけれど、昔から男は大嫌いなので、男になりたいと思ったことは一度もない。
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「女として見られたり扱われたりするのが嫌」だというのは、Bさんに限らず、女性のカテゴリにくくられる多くの方がたが体験していることだと思います。「女なんだから〇〇しなさい」とか「女のくせに△△するな」とか、「性別」を理由に行動や振る舞い制限をかけられることの理不尽さに対する怒りと屈辱が、ここにはあります。また、「自分の身体が嫌だ」と感じるのは、Bさんのコメントに見られるように、自己の身体イメージと現実の身体のズレによるものでもありますが、自分を「女と見なしたり扱ったりする」他者の視線とも無関係ではないように見受けられます。外部からの「女」の押しつけに対する抵抗が、自己身体の変化への抵抗と重なっているわけです。「女だと思われたくない、なりたくない」と抗っている自身の身体が、いわゆる「女の身体」へと変わっていくことへの、戸惑いや違和感、嫌悪感は、外部と無関係に自分のなかから自然発生したわけではありません。社会や他者との関係において生じた自己身体への嫌悪感は、その後、やはり他者との関係において解消されていくことになります。
▼Bさん(30代)のコメント(2)
いまの自分は「選択的女性」。意識的に「女性」を名乗っている。女性の身体でいるのは苦痛だったし、かといって男っぽくふるまったり、男の方向につくり込むのも嫌だった。そういう人を端から見るのも痛々しい。もっと楽になれる道があるのではないかといろいろチャレンジしてきたけれど、ずっとチャレンジしつづけるのもしんどい。楽な身体を求めることは諦めて、あえて自覚的に女性のカテゴリに入ったら、結果的にはずいぶん楽になった。性別を尋ねられて「女性です」と答えると、性別二元論に疑問を抱いていたことのない人が「ああそうなのね」と軽くスルーするけれども、自分のなかでは多くの紆余曲折があった。なんの違和感も抵抗もなく「女性」と名乗っているわけではない。
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Bさんにとって、身体観と性自認は密接に入れ込みあっていたようですが、女性であることを意識的に選択したことで、身体観も楽な方向へ変化していったことが、このコメントから見て取れます。Aさんの言う「もういいかなと思うようになった」「年齢とともに自分の身体に違和感を抱かなくなった」というコメントと、Bさんの「楽な身体を求めることは諦めた」というコメントは響き合っています。自分の身体(への違和感)と折り合いをつけるには、ある程度の時間的経過を必要とします。また、この場合の「諦める」とは決してネガティブな決断ではありません。自覚的に女性のカテゴリに入ることも、もうひとつのチャレンジであったととらえることができます。
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ブッチ・レズビアンにとって「女であること」とはどういうことか? コンタ @Quonta
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