10■身体なのか? 自認なのか?(1)
ウィークエンドの歴史をひもとくと、「女性とは誰のことか?」について、発足当時からずっと議論されてきたことがわかります。そして、2008年現在のところ、参加要件を設定するための焦点となっているのは、主に「身体(外見)」と「性自認」です。ここからは、3人のブッチ・レズビアンのインタビューを紹介することで、もうひとつの視座を提示したいと思います。ここで言うブッチとは「フェミニンではない」「外見的にも言動の面でもステレオタイプな女性ではない」という意味で用いています。「男性的な」とか「男っぽい」という表現は使いません。いずれのインタビュー協力者も「男っぽくふるまう」ことを意図していないからです。
▼Aさん(50代)のコメント(1)
性別を変えたいと思ったことはないが、30代までは胸を取りたいと思っていた。着るものは男ものばかりなので、胸があるとフィットしない。自分の胸は大きいほうなので、取りたいと思い続けていたが、40歳を過ぎるころになって、もういいかなと思うようになった。
胸を取りたいと思っていたころには、手術の後遺症の話ばかりに耳にしていた。腕が上がらなくなったとか、大きな傷跡がついて上半身裸になれなくなったとか。自分はそこまでして胸を取りたいとは思わなかった。年齢とともに自分の身体に違和感を抱かなくなっていった。
***
わたし自身、高校生のころまでは漠然と「男になりたい」と思っていました。女でいるのが嫌なら男になるしかない、というように、二元論的な生別規範にとらわれていたのです。けれども、身体を変えることと男になること(=女ではなくなること)は、あまり繋がっていませんでした。いまでも決して繋がってはいないと思います。まんこをちんこに変えたいと思ったことはありませんが、胸が邪魔だと感じることは過去にありました。いまでもあります。しかしそれは、「男になりたい」からではありません。他者の視線によって自己身体が女性に振り分けられ、それによって女性の役割を押しつけられたり期待されたり、あまつさえ「女性の自覚」を強制されるのがとても嫌でした。
正直に言って、「女である」というのがどういう感覚なのか、わたしにはわかりません。わたしには乳房があり、いまのところはまだ孕む可能性のある生殖器が備わっており、かろうじて月経が起こります。そのような身体は「女性の身体」と名づけられ振り分けられますが、「だから自分は女性だ」という実感は必ずしも結び付きません。かといって「男になりたい」とか「自分は本当は男なのだ」とも思わないので、乳房を切除し、SRSを受ければ、「本当の自分」になれるとも思いませんし、そうしたとしても、おそらく「自分は男性である」という感覚も得られないだろうと思います。
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