本作は主人公玲子と、玲子の叔母を名乗るオリビアとの会話を中心にストーリーが進む。
「情報を扱う技術」を玲子に教えるオリビア。
その教育のテーマは「情報の悪魔」だった。
そもそも情報の悪魔とはいったい何なのか、存在するならその目的はいったい?
読者はそんな風に始めは思うかもしれないが、どんどん読み進めていくとやがて悪魔が……(以下は本編をぜひ)
本作のテーマは、一見難解であるがオリビアの言葉がわかりやすく、よくまとめられていて非常におもしろく読める。
また、オリビアのコスプレやシャンメリーでチキンパーティなどがいい具合に抜け感があり、玲子も生徒として極めて優秀であり、言葉という情報にどんどん惹きこまれていくのを感じた。
オススメです!!
そこに見えてくるのは、人間が築きあげる現実の異常さとゆるみの多さ、亡羊さ……
切り口が辛いようで、おかしな甘味もおぼえます。
過酷なようでも、なんでもござれのこの世には、当然のごとく情や情け、愉楽の余地もあるのです。
とにもかくにも……書きあらわすのが、非常にむずかしい内容だと思いました。
どこにでもいそうな女子が変化していくようすを見ていると、その子を引き取った女性の正体が気になってきます。
主人公ちゃんのそういった素質をみぬいて現れたのか?
ただいま、このふたりの関係、行く末がかなり気になっております。
私ごときがレビューをしていいのか悩むほど、かなり読者を選ぶ、なかなかの問題作。
作者様の前作を読まれて同じような作品を期待すると、ちょっとついて行けないかもしれない。
アダム・スミスを出すまでもなく「分業」により世の中は進歩してきた。
車を作る人もいるし、家を作る人もいるし、政治を専門にする人もいる。
専門家はより正しいものを導こうとする取組によって、右へ左へ振れながらも、正しいところへ導いてくれると考える。
だが、実際はそうでもない。
やはり「悪魔」はいる。
自分の私利私欲や独占欲や間違った正義感。
皆、自分が求める方向にバズりたいのだ。
もはや、それが普通。
そんな中、調べろというが、それはエリート又は多数派のおごりの部分もある。
例えば、限界知能と言われる方は調べても適切な判断ができるだろうか。
既に洗脳されて”タコつぼ”に入った方が正しい結果を良い方だと認識できるだろうか。
(人は神により創られたもの、地球は平面でできていると信じる人もいる。いや、私たちが間違っているのかも…)
宇宙のエーテル説、熱素説など、かつて信じられていたが誤りだったこともある。
全て一から調べなければならないと主張するなら、「分業」による”進歩”をあきらめろというのだろうか。
現代風に言うなら、これほど『コスパ』が悪いこともない。
「レッテル張り」というのも、ある種の思考のコスパの行き着く先だ。
淘汰の先に現状があるとするなら、それらは、きっと求められたもののはずなのだ。
この複雑な社会に対して、すべてを調べ、考えるのは無理。
だが、自分が熱狂し始めたら、冷静に調べ、考えてみることも必要な気がする。
そんなことを、このレッスンは考えさせてくれる。
今は「多様性の時代」といわれる。
強制されない反面、認めなければならない。
これは肌に触れながら考えを進めていかなければ、理想論だけでは難しい。
オリビアのレッスンの目指すものがどこにあるかは分からない。
だけど、「あなたは目先の主張に踊らされるな」と言うだけだけでなく、「この現状をより良いものにするためには、どうすればいいのだろうか」との考えに至り、歩き出す人を一人でも多く生んでもらいたいと思うまでだ。
きっと、オリビアのレッスンには、それだけの価値がある。