逃亡

何がここまで私を歩かせたのかわからない

どうしようもなかったといっても誰も聞きはしないだろう

あの町の影の中でひととき眠りにつき

目ざめたときには

なんだかおかしくて笑っていた

ああ

こんな道はどこかで歩いたし、後戻りなんかしなかった。


ゆっくりと日が落ちて

私はなんだか懐を探っている。

遠いところで赤い空が唸っているぞ

そこに行きたいが何かが足を進ませない

鳴いているのだ

呼んでいる

あの柱時計の響きにおびえていた頃に

私を遠い町から呼んでいた

懐かしい獣が。


後ろを探り見ながら

私は明日へと逃げる

青い服を着て

透明なガラスの指を緑色の手袋に包んで

塗り固めた白い肌と

嘘で鮮やかに染め抜かれた唇を持つ恋人を残して


街は

「明日もクダラナイダロウ」

と、優しくささやいている

朝の光は

壊れかけた私の告白を待っている


手のひらには恋人の残り香がこぼれ、

行きずりの女がそれを見つめていた

私は、あの頃

今日を捨てたのだ

誰にも分からないように

私自身を捨てるために。

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ロマンチズムの専制 一ノ瀬 薫 @kensuke318

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