3 呉色
夕食のあとは研究室にこもるのが日課だった。
排気口を十個以上つくった薄暗い部屋は蒸し風呂のように暑いが、作業に没頭しているうちは、ちっとも苦ではなかった。
銀蝋を指で伸ばし、飴細工のような曲線をこしらえる。銀蝋とはバラカム水銀と呼ばれる素材を、製造者自身の血液で固めたものだ。我々はこれらを組み合わせることで、おのおのの武器を完成させる。
作業台には様々な形状の部品が新生児のごとく並んでいた。総数三百以上にも及ぶ、これらの部品は、風水技師の力を最大限に引き出す方程式といえよう。生年月日、気質、体質から、綿密な計算を経て割り出されたものなので、形状や数は異なっており、それゆえ、扱える闘士も限られていた。
おれは最後の部品を重ねた布の上に置き、頬の汗を指で拭った。
「続きは明日にしよう」
設計図と部品を交互に眺め、計画どおりに進んでいる工程に、おれは満足感をおぼえた。
新作は躁線手甲と呼ばれる類の武器で、牛の角を思わせる殻が闘士の拳から肘を覆うような形状をしていた。この手の意匠は強力な打撃のみならず、衝撃波を放つこともできるため、剣や槍に匹敵する人気がある。
おれは軽量化に加え、反動が少なくなるよう工夫を凝らしていた。実用に漕ぎ着けられたら、革命的な作品になるのは必定だ。
汗で重たくなった作業着を脱ぎ、深呼吸をすると、どっと疲れがやってきたが、横になっても、すぐ眠れそうにないことは経験上わかっていた。神経が昂ぶっているうちは寝床の上をのたうつばかりで、ちっとも休まらぬ。
吸いこめば喉を癒せそうなほど粒の大きな夜気に誘われ、おれは散歩に出かけた。学び舎の敷地内をうろつくだけだが、気分転換には効果的だった。
寝巻きの上からマントをかぶり、中庭から講堂の裏手の森へ入っていった。灯りも持っていったが、足元を確かめるには月灯りだけで充分だった。何度も歩いた道なので、どこに何があるかは頭に入っていた。
裏門の近くまできたとき、前方に強い光が見えた。距離の割に、はっきりとわかる。光源がこちらをむいているのだろう。
足を止めると光も同じように静止した。そのあと光は消え、馬車が駆けていく音が聞こえた。靴が地を擦る音が鳴ったかと思うと、闇に闇を塗り重ねたような違和感が眼前を塞いだ。
「森羅か」
聞き慣れた声が尋ねた。
「呉色?」
おれは目を細め、親友の姿をまじまじと確かめた。
「早かったな」
「近ごろは夜道を走ってくれる馬車も多い。余った旅費を奮発させてもらったよ」
「人でも撥ねたら大変だぞ」
「投光機を使った」
「ああ、さっきの光か」
投光機は呉色の発明品で、文字どおり、光を出す小型の装置である。どんなガタガタ道でも、油の層で包まれた光源は常に安定しているという優れものだ。
「御者は運賃より高い額で買いとりたいと言ってきた。ゆずりはしなかったがね」
「夜を走る馬車には、もってこいの品だろうな。お前のそういうところは、さすがだと思う。おれと違って器用だ。感心する」
おれたちは中庭の方へ歩きはじめた。
「研修はどうだった?」
数日前から、呉色は研修生代表として闘技島へいっていた。
「四神踏での業務体験。その他、雑用。特筆に値するようなものはない」
「怒っていたかい? 鎖岩さん」
実を明かすと、はじめに打診されたのはおれだった。武器づくりを優先させたい気持ちから、呉色に代わってもらったのだった。
「誘いを蹴ったんだ。当然だろう」
「だよな」
出場するのが弦とわかっていたら、ふたつ返事で引き受けただろう。知人が四神踏に出場するのは珍しいことではないが、長年苦楽をともにしてきた友人が出るのは、これがはじめてだった。
「弦と相方は勝ったのか?」
呉色は「おいおい」と笑った。
「結果は協会の通達より早く知らせてはならない。そうだろ?」
予想どおりの言葉が返ってきたので、おれは呉色の表情を盗み見た。
呉色にとっても弦は親しい人間のひとり。余裕があるというのは勝利したということだろう。もしも残念な結果に終わっていたのなら、陰りがあって然るべきだ。
「ジロジロ見るな」
「すまん、気になって」
「大きな番狂わせがあった。それくらいは教えてやる」
呉色は躊躇いがちに言った。
弦たちは勝ったのだろう。おれは、そう結論づけた。根拠は呉色の瞳に宿る興奮の色。そこには大きな収穫を得たような輝きがあった。
宿舎に着くなり、呉色は研究室に寄ると言い出した。荷物を置くためだ。翌朝、続きをするため片づけていなかったので、おれはそのことを告げた。
「構わん。当分、使うつもりはない」
呉色は早速、おれのつくった部品を見つけた。なぜか、おれと呉色の部品は共通しているものが多かった。試しに交換したことがあるが、そのときは問題なく作動した。
「これが闘技島いきを蹴ってでもつくりたかった武器か」
呉色は設計図を拡げた。
「やめろ」
おれは半ば、ぶんどるようにして奪いとった。絵に例えたら、まだ下書きの段階だ。
「完成してから、とくと見せてやる」
「また甘ったれた仕掛けをほどこしたのだろう」
皮肉な笑いを浮かべながら、呉色は言った。呉色にとって、おれの考えは滑稽千万と映るらしく、この話題になると自我の奥底より毒が出るのが常だった。
「必要な配慮だよ」
おれは控えめに考えを主張する程度にとどめた。声高に主張したところで、話は平行線を辿るだけだ。適当にあしらうより他、やりすごす術はない。
呉色は、おれと部品を交互に見たあと、諭すような口調で続けた。
「俺は、お前を否定したいわけじゃない。自らでっちあげた大義名分を笠に、本心を偽り続けていることが、我慢ならないというだけの話だ」
「わかった、わかった」
おれは目を逸らしたが、呉色がこちらを強く睨んでいるのはわかった。それどころか、口元に力をこめ、勢いよく言葉をけしかけようとしている姿まで、ありありと伝わってきた。付き合いが長いと、些細な変化で相手の心がわかってしまう。
部屋中に漂う金属と薬品の匂いに、おれたちの沈黙が合流した。このまま話が終わればいいと、おれは思ったが呉色は違った。
「快挙を成し遂げたんだぞ。誰も触れることのできなかった球体の謎を、あと少しで解明できるところまできている。それなのに、なぜ反動のことなんかにこだわる?」
「議論をするには遅い。おれは疲れているし、そっちも同じだろう」
このときになって、おれは呉色の様子がおかしいことに気づいた。獲物を狙う猫のような勢いで、おれを説得しにかかるのは珍しいことではないが、今夜は声の端々から悲しみの色が滲んでいるような気がした。
「闘技島へは、お前がいった方が、遥かによかった。いって、手当たり次第に試せばよかったのだ。相性のいい闘士が見つかったかもしれん。そうすれば……」
確実に一線を超えた発言だった。闘士への敬意を忘れているどころか、軽蔑に近い感情すらあった。
「恐ろしいことを言うな」おれは頭が痛くなってきた。「あれは誰にも懐かぬ獅子のような槍だ。作動したら最後、つくったおれですら、管理できる保証はない」
「作動させるのが先だろう。そうか、また反動が気になるのだな」
「あの球体は、とてつもない力を秘めている。だとすれば、それに付随する影響も同じくらい大きいことになろう」
「作動してはじめてわかることだ」
「おれのつくった武器のせいで、闘士が犠牲になるなんて耐えられない」
「森羅は彼女らを見くびっている」
「どうとでも言うがいい」
おれは研究室を出た。
「悠長に構えているがいい。だがな、俺は見つけたぞ。運命を」
背中越しに呉色が告げた。
銀蝋記 町田製梨 @palepear
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