2 風水師と風水技師

 すべてのものに意味がある、そう考えたとき、どれだけ新たな発見ができるかが感性の尺度であり、それをどこまで正確に記録できるかが知性の尺度である。 

 自室へ戻ったおれは、壁に刻まれた母校の金看板を黙読した。 

 親元を離れ、単身入学した七歳のころから、一度も疑うことなく口にしてきた言葉だ。はじめて読んだときは、一生の課題と出会えた喜びに震え、その意味を理解しようと一心不乱に考えた。二十歳の誕生日を迎えた現在においても、その気持ちに変化はない。 

 おれは窓を開け、雲の流れを見た。空は暗いが、早くも月が煌々としていた。窓から入りこんだ風は卓上に置かれた暦のページをなぶったあと、更なる獲物を求める勢いで廊下へと吹き抜けていった。

「夏至のあとはいつもこうだ。天地がざわついている」

 おれは乱れた机を整理しながら、ひとり呟いた。

 ととん、ととん、と床を打つ音が聞こえた。

「どなたか?」

「僕です、森羅さん」

 一期下の友人、亜贈がこたえた。

「どうぞ」

 戸を開け、おれは招き入れた。 

 亜贈は相も変わらず、紺色のローブをまとい、室内でも帽子をかぶっていた。古式ゆかしき風水師の正装だ。代々続く風水師の家系の出身者だけあり、伝統を重んじることにかけて、亜贈の右に出るものはいない。

「さっきは大変でしたね。もう帰ったんですか? あの娘は」

「だと思う」 

 おれはわざとぶっきらぼうにこたえた。

「勝手にとりついで申し訳ありませんでした。名指しで呼んだものですから、てっきり、お身内か、お知り合いと」

「気にしなくていい」おれは窓を閉めた。「気の毒だが、あの娘はどうかしていたのだ。闘士という仕事を、役者か踊り子と勘違いしているようだった」

 外では蝉が鳴いていた。悲しい旋律が特徴的な種で、日没の前後から鳴き出す習性があった。その調べに感傷の念を掻き立てられたのか、亜贈は「胸が痛みますね」と、こぼした。

「物心ついたころから、お爺様は、風水は人を守り、育むための力と、おっしゃっていました。いくら国を維持するのに必要だからって」

「武器づくりにその知恵を応用するのは伝統への裏切りかい?」

「そうですとも」

 亜贈は首肯した。

「更に言うなら、女性に武器を扱わせるなんて危険すぎます。ましてや、捕らえたゼケリと戦わせ、その勝敗でもって賭けをするなんて」 

 亜贈は話を途中で切った。この手の主張は四神踏がはじまった当初から声高に叫ばれていた。他国で暮らす人々の中には、若い女と醜怪な生物を戦わせる競技が存在することを、奇異な文化ととらえるものが多い。四神踏は、これまで何冊もの旅行記に登場しては、方々で毀誉褒貶にさらされてきた。競技を彩る美意識を讃えた識者の筆でさえ、根底にある残酷さは認め難いという結論に至っていたくらいだ。賛成反対をめぐって分裂するような事態こそ免れているが、倫理的な決着は風水技師の間でも宙に浮んだままである。

「深刻に考えすぎだぞ」 

 おれは亜贈に同情をおぼえた。亜贈ほどではないが、おれも三代続く風水師の家系である。本音を明かせば、風水を争いの原動力に活用するのは反対だ。しかしながら、世の移り変わりにいちいち抗うのも、愚かなことと感じていた。

 異界から現れた生物ゼケリは、どの角度から見ても忌むべき存在である。そのため、可能な限り無残な死を与えてやれと望むものが多い。そういった需要が存在した上で、やつらを倒すには風水技師の手による武器を使うより他はないという現実がある。闘士たちの美しい姿を見物したいという客は後を絶たない。複雑を極めた問題は、個人の信念を超えた領域にまで達している。

 加えて、四神踏はレド国にとって欠かすことのできぬ信仰であるばかりか、国益の大半を担う貴重な収入源でもある。古来より受け継がれてきた教えによって精神を育み、次の世代へと継承させていくのが正しい国の在り方ならば、レド国ほど、それを実行している国はないと断言できるのだ。 

 正しく批判するためにも、おれは伝統より変化を重視し、武器職人になることも厭わぬ構えだった。もちろん、おれなりのこだわりを導入しながらではあるが。

「卒業したら、僕も森羅さんみたいに、残って研究を続けるつもりです」

 照れ臭そうに亜贈は言った。 

 先月すべての講義を終えたおれは、本来ならば、トキンゴウを出て、四神踏に関わる役職に従事しなければならぬ身であった。おれを含む同期数人は、研究生として残ることを志願した。亜贈もそうなりたいと言っているわけだ。

「残ってどうする?」

「文献の整理と、それから新しい理論の加筆にかかろうと思っています。森羅さんは順調ですか? 反動を少なくする研究をしているって窺いましたけど」

「誰からきいた?」 

 亜贈とは同じ講義を受けた仲ではあるが、個々の研究について意見を言い合った記憶は皆無だ。秘密主義を謳っているわけではないので、知っていても不思議ではないが、会話の中で急に出てくると試されたような気がして、つい追求するような口調になってしまった。

「呉色さんです」

「あいつか。しょうがないやつだな」 

 呉色は、おれと同期の研究生である。自分でいうのも照れ臭いが、親友あるいは盟友と呼んで差し支えのない、唯一の男である。

「隠すことありませんよ。素晴らしい試みじゃありませんか」

 ローブの裾を握り締め、鈴飾りを揺する。そんな亜贈の姿を見るや、おれは痛ましい何かを感じてしまった。

「まだ何も成し遂げてはいない。褒めるなら、そのあとだ」 

 胸を湿らせていたのは凝結した冷や汗だろうか。謙虚にこたえたつもりで、むしろ尊大な印象を与えてしまったのではないかと、いらぬ自己嫌悪を抱いてしまった。

 反動とは、闘士たちを襲う謎の症状のことである。戦いを終えたあとに生じる、傷の痛みでも神経の疲労でもない、正体不明の苦痛である。詳しい因果関係が認められないため、この問題に取り組む風水技師は少ないが、原因は武器の方にあると、おれは考えていた。

「お手伝いできることがあったら、声をかけてくださいね」

 すっかり亜贈は、おれを同志と看做していた。握手を交わし、これから共同戦線でも張ろうという勢いであった。

 亜贈が去ったあと、おれの脳裏に浮かんだのは、巴華の面影だった。もっと詳しく事情を尋ねても誤りではなかったのではないかと、後悔の念が起こってきた。

 握り締めた手首の感触と血管の振動が続けて蘇ってきた。

「いいや、あれでよかったんだ」 

 おれの使命は反動のない武器をつくることで、世間知らずの娘に偽りの知識を教えることではない。亜贈のように国の現状を憂うでもなく、近年急増している妨害派に共鳴するでもなく、おれはおれの考えに基づき、完璧な風水技師として人生をまっとうしたい。そう願っていた。

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