銀蝋記

町田製梨

1 訪問者

「わたい、巴華といいます」 

 あの娘がきたのは夏至を過ぎたあとの、ひどく蒸し暑い午後であった。縦長に結った髪はつやのある栗色で、むらのないことから生来の色と推察された。背は低く、肉づきもよくはなかったが、若さは横溢しており、面とむかって言葉を交わすと、童女を相手にしているような朗らかな気持ちになった。

「あなたが森羅さんね」

「そうだが」 

 このような間抜けなやりとりに応じてしまったのも、巴華の無邪気な口調にほだされた結果である。きけば、ナントロからトキンゴウまでの道のりを馬車で三日かけてやってきたそうだ。若い娘が供も連れず、たったひとりで。非常識にも程がある。

「いかなる用があって、ここにきた?」 

 おれは相手の正体をいぶかった。一介の学徒にすぎないおれに、十四歳(と本人は言っていた)の娘が訪ねてくる理由など、これっぽっちも思い当たらなかった。

「わざわざ尋ねるまでもないでしょ」 

 巴華は口角を持ちあげた。

「組むの、あなたは」 

「もう一度、頼む」

 わけがわからぬまま、おれは再度、問うた。すると、

「わたいと組んで……ください」 

 いかにも不慣れな敬語が返ってきた。

「組むだけじゃわからん。腕を組む、足を組む、色々あるだろう」 

 この娘は、おちょくっているのだろうか。おれは噛んで含めるように説明した。 

 次の瞬間、左の頬に衝撃が走った。

「風水技師でしょ! 組むといったら、四神踏に決まってるじゃないのさ。わたいは闘士になりたい。そのためにきたんだ!」 

 顔を真っ赤にしながら、巴華は叫ぶような調子で言い放った。随分と感情の起伏が激しい娘だ。それとも、少し前のオドオドした態度の方が偽りだったのか。

「知った口をきいているようだが、四神踏が何かわかっているのか?」 

 おれは頬が熱を帯びていくのを感じながら、巴華の手首を握った。

「離して」

「随分と細いな」

 頼まれたとおり、おれは指を離した。

「持てる武器といったら、せいぜい短刀くらいだな」

「じゃ、でかくて軽いのをつくってよ」 

 この言葉には、さすがのおれも呆れてしまった。 

 四神踏の舞台に立つのは闘士だけではない。彼女たちの武器をつくる相方、風水技師もいる。我々は万物に宿る神秘と、その内幕を暴き、技術として結晶化させる。選ばれし少数の誉れを胸に研鑽の毎日を送る、影の存在だ。

「お前と組むなんて、ひとことも言ったおぼえはない」

「巴華」

「?」

「お前じゃなくて、巴華。名乗ったんだから、そう呼ぶのが礼儀でしょ」

 ひとさし指を立て、おれの胸を突くように動かす。腹の立つ仕草だが、正論であった。おれは反省し、穏便に帰ってもらうにはどうすればよいかを頭の片隅で思案しはじめた。

「それに四神踏くらい知ってるってば。見てきたばかりだもの」

「本当か?」 

 直近の四神踏が行われたのは五日前。闘技島から、ここまでの移動日数を差し引けば、なるほど、計算は合う。

「やっと認めてくれたようね」

 巴華は強気な声で言った。

「紹介状があるの。わかるよね、鎖岩さんて」

「わかるも何も」 

 鎖岩さんは、おれの先輩だ。そして、四神踏で活躍する風水技師の中でも指折りの存在。あの人が紹介状を書いてよこすとなれば、よほどの人材に違いない。 

 おれはあらためて巴華を見た。が、目の前にいるのは、色のいい返事を期待し、目を爛々と輝かせている娘以外の何者でもなかった。鎖岩さんのお眼鏡にかなうほどの実力があるようには思えない。 

 あるいは……おれは別の可能性を考えてみた。名誉を求め、闘士を志願する命知らずが多いらしい。巴華もそのひとりではなかろうか。

「とにかく見せてくれ。話は紹介状を読んでからだ」

「うん。ちょっと待って」 

 大っぴらに鞄を開け、巴華は中身を並べはじめた。

「随分と、派手好みだな」 

 入っていたのは鮮やかな布地ばかりであった。意外と裕福な家の出かもしれない。それでも闘士を志願するとなれば、やはり名誉に魅せられたくちか。

「まだなのか?」 

 荷物を全部出しても紹介状は見当たらなかった。巴華は慌てふためきながら「本当にあるの」と主張する。見ていて気の毒になるほど不利な状態だった。

「どこからきた? 素性を教えろ」

 片づけを手伝いながらきいてみた。身の上話をさせた方が諦めもつくだろう。

「ノア」 

 巴華の返答は素早かった。

「……色街からきたのか」 

 髪型で気づけなかった自分を、おれは恥じた。ノアはレド国一の歓楽街である。四神踏という賭けごとが、この国の財政を支えているため、長期間の滞在を促す施設、すなわち悪所の存在が腫瘍のごとく誕生していた。

「色街なんて呼ばないで。ここだって、よそじゃ変人街って呼ばれているのよ」 

 目線を合わせ、悪戯っぽく笑う。明らかに、巴華はノアの出身者であることを誇りに思っていた。裕福な家の娘なんて、とんだ思い違いであった。

「誰かにかつがれたんじゃないのか?」 

 おれは立ちあがり、巴華が鞄の留め金をしめるのを待った。

「わたいを信じてないの?」

「そんな目で見るな」

「手紙なんかなくたって、やる気さえあれば問題ないでしょ。鎖岩さんのお世話になったのは本当なの。それから琳水さんにも」

「あのふたりは有名人だ。憧れる気持ちはわかるが、勝手に名を語ってはいかん」

「あなただって、いつかは闘士と組んで四神踏に出るんだしさ」

「余計なお世話だ」 

 もはや限界であった。

「その程度の力で闘士になろうとは思いあがりもいいところ。百歩譲って紹介状の話が本当だとしても紛失するなんて言語道断。そうだろう」 

 おれは肩で息をしながら、咳の発作を必死になって押し留めていた。

「失くしてないってば。どこかにあるの。ついでに、もう百歩譲れるなら、そんなの順番の問題と思わない? 違う?」 

 懲りずに噛みついてくる巴華は性質の悪い小動物そのものだった。

「そうやって相手を押し退けながら生きてきたんだな。悪いが、そんな色街仕込みは、ここでは通用しないぞ。理がすべての礎となる町、トキンゴウでは」

 言ったあとで、やりすぎだと思った。しかし、こうでもしないと諦めないだろうという気がしていた。

 案の定、巴華は泣きはじめた。

「もっと、いい人だと思ってたのに」 

 マントの裾で涙を拭う。泣きたいのは、おれも同様であったが、そうするわけにはいかなかった。下級生たちが遠巻きに、こちらを眺めていたから。

「外へ出よう。馬車乗り場まで送っていく。もう遅いというなら、宿屋を教える」 

 おれは巴華の背に手を当て、校門まで歩いていった。 

 そのついでに教えてやった。闘士になるためには、それなりの適性が必要であること。適性が認められたら四神踏協会スロウンベムに登録を済ませること。登録を済ませても相方の選出はスロウンベムが行うため自由に決められないこと。トキンゴウは風水技師を養成するだけの場所なので、そこへ赴いたとて望みは叶わないこと。 

 巴華は黙って聞いていた。いや、きちんと聞いていたのかはわからない。教育係の繰言をやりすごす生徒のような、態度だけの拝聴だったかもしれない。 

 街の中央まできたとき、ようやっと巴華は口を利いた。

「それでも」 

 と、言いかけ、こちらをむく。泣き腫らしたあとの瞳は痛々しいくらいに美しく、気づいたら、おれは見蕩れていた。

「わたいは誰かと組むより他はないんです」 

 巴華は街の賑やかな方へと駆けていった。 

 その姿を、おれはしばらく眺めていた。 

 学び舎から講義の終了を知らせる鐘が響いた。室内で耳にするときと違い、街中だと残響がどこまでも伸びていくふうに聞こえた。その音は、色褪せた青空の上、雲同士が囁き合う言葉のようでもあった。


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