第4話
「宝、お願いだ。教えてくれ」
陽介は差し向けられたナイフの刃先から、赤黒い血が滴り落ちるのを凝視した。
「この石に……一体何の価値があるんだ?」
宝はナイフを向けたまま、しばらく押し黙った。陽介はその時になって初めて、周囲で無数の虫が鳴いていることに気がついた。
様々な虫の声が混然一体となって、辺りを囲んでいる。宝の口元は震え、薄く開きかけた。
虫の鳴き声がピタリと止まった。
「前にも言っただろう……石が訴えかけてくるんだよ」
「なんだと?」
ふざけているのか、そう言う語気を含めたのは宝の口調があまりにも重く、真剣だったからだった。嘘であって欲しいそんな気が、陽介にはあった。
「俺だって……俺だってこんな石欲しくはないッ! でも、無理なんだ……石が、俺に訴え掛けてくるんだ。連れてってくれ、運び去ってくれって……」
陽介は首を振った。
「嘘じゃない! この石が、俺に! 俺に話しかけてくるんだよッ! 起きてる時も、寝てる時もずっとッ!」
叫ぶ彼の表情はどこか悲しげだった。まるで、欲望を吐露しているというよりも、苦しみを訴えているような叫びだった。
「陽介は、お前は物欲は自分の中にしか存在しない。外からはやって来ないと言ったが、それは間違ってる。奴らは、外から俺達を操ろうとするッ! 魅入られたら最後だ。もう、どうすることも出来ない」
宝はそう言って、ナイフを再度突きつけるように振るった。
「頼む陽介、一緒にこいつを運んでくれ。出なければ、俺は……俺はお前を……」
ヘッドランプを反射したナイフの刃先が艶めかしく輝いた。
ほかに選択肢はなかった。今出来る、最も簡単な解決策は宝の指示に従う事だった。陽介は何も答えず、一度頷いただけで担架を握った。
山道は嘘のように静かで、空にはゆっくりと月が再び顔を出した。
山道を歩きながら、陽介は本当にそんなことがあり得るのだろうかと考えた。石が人間に訴えかける、常識的に考えればそんなことはあり得ない。だが、宝のあの表情。そして、あそこに集まっていた人々と髭面の男。しかしそれも、一種の精神疾患であると考えられなくもない。石が訴えかけてきていると知覚しているのは結局自分なのだ。
懐疑的な視点で自分を納得させようとしていた陽介だったが、次第に宝の言っていた事が事実かもしれないと思い始めた。
いつの間にか、彼もまた、この石が欲しくなっていた。
理由も理屈も分からなかった。何の脈略もなく、欲しいとふと思ったのだ。石を所有していることや、それがそばのあることを考えると途轍もない多幸感に襲われる。反対に、この石が宝の物になってしまうと考えると――
無性に腹が立った。
周りで、虫が鳴き始めた。1つだったその声は、連鎖するように増えて数分もしないうちに周りを囲む大音声になった。
だめだ。陽介は思った。このままでは、自分もこの石に取り入られてしまう。
「宝、少し休憩しないか?」
陽介は前を行く宝に話しかけた。
「ダメだ。もうあと少しで車道に出る」
宝は振り返りも、立ち止まりもせずに冷たく言った。
陽介はそれでも何度か懇願したが、全てに宝は無反応でひたすら歩みを止めなかった。
問答を繰り返している間も、石への奇妙な執着はどんどん肥大化していく。
ダメだ、このままでは――
陽介は突然、担架から手を離した。いきなりの負荷に担架が勢いよく跳ね上がり、石は地面に転がった。
よろめいた宝は倒れ伏し、ポケットに入れていたナイフが滑り出た。
「陽介ッ! 何やってんだ!」
陽介はため息を吐き、地面に落ちたナイフを拾うと、宝の事をじっと見つめた。
虫が鳴き止んでいた。
血まみれのナイフと手を土で拭い、陽介は宝の事を一瞥した。
血まみれでもう動かなくなってしまった宝の両目が、開かれたまま空を見ている。強い風で雲が流れ、月が再び隠れた。
罪悪感はない。心には幸福があった。これで、石は自分の物になる。手に付いた土を払い、陽介は笑った。
彼は少しの間、地べたに座り込み、石を眺めた後、運ぼうと手をかけた。
が、石は動かなかった。腰に力を込め、踏ん張ってみたが石はびくともしない。勢い余った陽介はそのまま後ろに転倒してしまった。
こんなに重かっただろうか? 宝と2人で持ち上げた時は、ほんの軽石程度の重さで1人でも難なく運べるような感じがあったが、今手元に残った感触は巨石のそれだった。
先ほどまで石を持ち上げようと気張っていた手がじんじんと痛む。たとえ、重さが分散されていたと言っても、1人で持ち上げられないような重さではないはずだった。
しかし、どうやっても石はその場から動くことはなく、途方に暮れた陽介は思わずそこに寝っ転がった。
雲った夜の空を見つめていた陽介はふと、髭面の男の話を思い出した。
この石はより標高の高い場所で産出されるもの。彼は転がってきたものだと言ったが、それは違うと陽介は考えた。もしもこの石が転がって来たのだとすれば。多少なりとも角が取れ、丸みを帯びているはず。だが、この石は全体的に角ばって、削れたり断裂したりした形跡がない。
もしか、この石は何百年もの間、人間の心に取り入り、人に手によって移動してきたのではないかと考えた。この石は複数の人間がいなければ、持ち上がりもせず、運べもしない。しかし、複数人も石の元に集まれば、争いが起きる。だから、石はあの場所でずっと留まっていたのではないか。
陽介は顔に付いた宝の血を拭った。
彼はぼんやりと、どうやって石を運ぼうかと考えた。1人ではどうやっても運ぶことは出来ない。しかし、誰かを誘えば、その人間もこの石に魅入られてしまう。
その時は――
陽介は無表情でため息を吐いた。
おわり
石 諸星モヨヨ @Myoyo_Moroboshi339
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