第3話
石の前から立ち去るように見せた2人は、そのまま道をそれ、藪の中に5時間ばかり身を隠した。
藪の中から目を凝らし、外を見る。月が隠れたせいで辺りは恐ろしいほど暗かったが、時折強い風が吹くだけで人の気配はない。
「もういいだろう」
静かにそう呟くと、隣でもぞりと宝が動き始める気配がした。
日はすっかりと暮れ、辺りには深い闇が降りている。一番最後まで残っていた老人が立ち去ってから、既に1時間以上が経っている。
辺りには風の音と鳥の鳴き声が時折聞こえるだけで、あとは無音だった。
宝はため息を吐き、立ち上がった。
昼間の暑さが嘘のように、空気は澄んで、冷え切っている。しかし、全身に走る鳥肌が、果たして寒さのせいなのか、それとも今からしようとしていることへの緊張感なのかは判別できなかった。
陽介と宝はおぼつかない手つきで、持ってきたステッキと毛布を使って簡易の担架を作った。闇は深く、念のために持ってきていたヘッドランプだけが唯一の明かりだった。
陽介は枝の揺れる音や、藪のざわめきに驚き、何度も振り返った。確かに石や砂の自然物でも、持ち帰るのは犯罪である。しかし、陽介が感じていた不安や焦りはそれとはまったく異なっていた。
昼間見た大勢の人。誰のものでもないという事は、誰のものでもあるという事だ。あの場にいた誰もが、出来ることなら石を持ち帰りたいと思っているに違いない。もしこれが、彼らにばれたら。
風が強く吹き付け、陽介は身震いする。
担架を作り上げた陽介は、宝と手早く強度を確かめ、ゆっくりと石を乗せた。
2人で持ち上げると、重さはどうという事はなかった。山道をこれから降りることを考えても、この程度ではさほど苦にはならないだろうと陽介は思った。
あとはこのまま登山道を引き返し、途中で山道に降りる。山道にあらかじめ停めてある車に石を乗せれば、目的は達成だ。
正味1時間もかからない作業だろう。焦りが、楽観視を求め、導きだされた大雑把な未来視に安堵する。陽介は次第に奇妙な安心感と全能感に支配され始めていた。
腹が鳴り、自分が昼から何も口に入れていないことに気づいた。
「なあ宝、帰りに麓でラーメンを――」
言いかけた瞬間、頭に強い衝撃が走った。視界がぐわんと揺らぎ、平衡感覚を失った陽介はその場に倒れ込んだ。
「こんなことだろうと思ったよ」
ヘッドランプの明かりの中に、髭面の男が一人立っていた。
昼間のあの男だった。彼の片手にはピッケルが握られていた。
「たまにいるんだよ。こーゆーやつがな」
男は極めて落ち着いた声でそう言った。
「今までも、何人もの人間がこの石を持ち去ろうとした。だが、この石は誰のものでもない。ここにこうしてあるのが一番いいんだ。それを奪おうとするやつは、俺が許さない……死ねッ!」
男は叫んでピッケルを振りかざした。瞬間、ライトが照らす僅かな光の中、男の背後に佇む宝の姿を見た。彼の手にはサバイバルナイフが握られていた。
「やめっ――」
ざしゅっと刃先が、男の首をかき切った。頸動脈に食い込んだのか、鮮血が勢いよく噴き出し、ぱらぱらと雨のように周囲に降り注いだ。
「お、おま……なっ……なに……たか……」
陽介は恐怖のあまり、ろれつが上手く回らなくなっていた。
宝は首元を押さえて悶える男を蹴飛ばし、崖に突き落とす。
「お、宝ッ……宝お前ッ、お前、なにやってんだぁッ!」
宝は無表情で担架を掴んだ。彼はじっと陽介を見つめ、平然と作業を再開するように促していた。
「宝……お前、人を、人を殺したんだぞッ!」
「正当防衛だ。ほら、早く手伝ってくれ」
宝はそう言うと、血まみれのサバイバルナイフを陽介に付きつけた。
つづく
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