本当の私(短編・完結)

やまもりやもり🦎

本当の私

 そろそろ混んできた予備校の教室で、周りの目が気になるのは気のせいだと自分に言い聞かせながら、私は落ち着かない気持ちで夏期講習のテキストをパラパラめくっていた。

 ふんわり軽い茶色のボブカット、コンタクトに替えてメイクでパッチリと決めた目元、プルンと色付きリップに濡れた唇。友人との期末試験の勝負に負けて罰ゲームでイメチェンさせられたのだけど、髪を染めたのも化粧も初めてだったりする。なにせ普段の私は相原加奈というモサっとした黒髪眼鏡の地味MOBなのだ。

 それがいま、肩の素肌が見える借り物のワンピースに透けたショールを羽織り、微かに柑橘の香りすら漂っている。予備校の机に座る姿は自分でも違和感が半端ない。とりあえず自撮りを友人に送ったところでもう帰りたくなってきた。まだ来たばかりだけど。


「この席、空いてますか?」


 顔を上げた私は一瞬凍り付く。そこにいたのは高校の同じクラスの男の子、私がいいなと思っている佐川君、またはそのそっくりさんだった。


 黙って何度もうなずく私にさらりと会釈した彼は、隣にストンと腰を下ろす。こちらを見ることもなく声もかけてこない。私に気が付いていないのか、それとも別人なのか。

 彼は真面目に授業を聞き始めたけれど、私は気になってしょうがない。講師の声も頭に入ってこないまま、午前の授業は終わってしまった。




 ポテトの匂いのするダブルワッパーチーズセットのトレイを持って、私は半分浮かれた頭で昼食の席を探して彷徨っていた。


「ここ、座れますよ」


 突然の声に視線を向けると、さっきの男子生徒がニコリとしていた。彼の手に示された向かいのプラスチックの椅子に、私はギクシャクと腰を下ろす。

 すぐ目の前の優しく真面目そうな顔に短めの髪、緩めのTシャツを着た背が高く細い体格の彼は私に自然に話しかけてくる。


「さっき隣に座ってたよね。僕、佐川って言います」


 やっぱり佐川君だった。イメチェンで気づかなかったんだなとクスっと笑いそうになったとき、実は彼が私を覚えていない可能性に思い当たる。なにせ私はいままで彼と直接話したこともない。

 どうしよう。いまさら同級生ですとも言いにくい、というか気まずい。罰ゲームを押し付けてきた友人が頭に浮かぶ。こんな時、あの河合美香という陽キャならどうするだろう。

 パニックに陥った私の頭が見つけ出してきた答えは、あるいはちょっとしたイタズラ心だったのかもしれない。


「……河合です。よろしくね」


 首をかしげてニッコリ明るく口走りすぐに後悔したけれど、陽キャな友人を真似ているとそれでも会話は弾んでくる。志望校とか、好きな科目とか、そのまま次の授業のぎりぎりまでおしゃべりしてしまったのは自分でもびっくりだった。



 ・・・



 試着室の鏡に映る大人っぽいサマーワンピを着た自分の姿に、去年の自分ならこんな服を買うことはないだろうと考える。姿勢を変えるたびにモノトーンの薄い布地が張り付き身体の線が目立っている。


「ほら、加奈はスタイルいいからこういう服が似合うって」

「そうかなぁ、もっと地味なほうがよくない?」

「加奈は本当は可愛いんだから、自信持ちなさいって」


 慣れた手つきの美香に髪を整えられながら悩んだ結果、結局購入してしまった。

 それでも会計をする自分の顔がついつい緩んでいるのがわかる。


「もしかして、予備校で気になる男の子とかいた?」

「そんなんじゃなくて。勉強の気分転換とか、そういうのだって」

「はいはい。加奈ちゃん最近変わって来たね」


 そんな私の表情を美香は一瞬で見抜いている。陽キャってすごい。



 ・・・



 佐川君とは随分親しくなってきて、一緒にお昼を食べたり趣味の話をするようになってきた。これも美香のおかげだ。パフェでも奢ってあげたほうがよかったかも。


「暑いよねー佐川君。溶けちゃいそうじゃない?」

「ホントだよね」


 若干甘えた私の言葉に微笑んで答えてくれる彼を見て、心がふにゃりとなってしまう。今日はデニムのミニに白いふんわりブラウスという美香のお薦めコーディネートにしたけれど、これも以前の私からするとちょっとした冒険だった。


 八月初旬の直射日光とガラスの反射光が、予備校を出て歩く私と佐川君をじりじり焙るように照りつけている。あまりの暑さに外を歩く人すら疎らになった瞬間に、私は歩道の黄色いタイルをピョンと飛び越え、一歩前に出た。

 無理やり口角を上げてから振り向く。視界の端を茶色の髪がふわりと舞う。


「そういえば佐川君、アールヌーボー好きだったよね。今度の週末、国立近代美術館のクリムト展行かない?」


 自分でもびっくりしてしまうけれど、デートの誘いはすらすら口をついて出てきた。

 そんな私が不安を感じ出す前に佐川君はニコリとうなずいてくれた。


「へー。河合さんもそんな趣味あったんだね。うん、行く行く」


 好奇心交じりの瞳と嬉しそうに微笑む口元は私を有頂天にしてくれる。このあいだ買ったサマーワンピの出番だとかそんな想いが頭をめぐる。

 私はもう高校最後の夏休みは河合という陽キャなペルソナで過ごすことに決め、心の奥のチクリとした気持ちは後にしまっておくことにした。



 ・・・



 お盆を過ぎた明治神宮の木陰を憧れていた彼と一緒に歩く。美術館でも着た薄手のサマーワンピは風で身体に纏わりついてボディラインが浮き出てしまうけどもう気にならない、むしろ佐川君には気にして欲しいぐらいだったりする。

 その一方、彼と過ごす時間が増えるにつれて、楽しさだけでない気持ちが心の奥から膨らんでくるのも感じていた。


 大きな樹々が茂る参道の人通りが切れたとき、私に歩調を合わせて歩いていた佐川君が立ち止まった。いつもになく真剣な顔で私を見ている。二人を取り巻く空間をジジジというセミの声が満たしていく。


「ちょっと、話があって。いい?」

「なに、佐川君」

「夏休みが終わった後も……もっと……会えないかな」


 私は思わず息を呑んだ。緊張した表情で彼は言葉を続けてくる。


「僕は、河合さんのことが、好きになったんだ」


 最初に私に湧き上がってきたのは喜びの感情だったけれど、それを墨汁で上書きするような、べったりとした気持ちが心を覆ってくる。

 私を見る佐川君の表情が緊張から不安へと移り変わっていく。それでも黙っている私に、彼は我慢できなくなったかのようにぽつりと言葉を漏らした。


「駄目、だったかな?」

「ごめん……ちょっと考えさせて」


 セミの音がひときわ高く鳴り、私たち二人を包み込んでいく。





 佐川君の乗った電車と反対方向の山手線は、夏休みのせいか人が少なかった。ショールで肩をきつく覆い、私はエアコンの効き過ぎた車内で頭を冷やしている。


 もしここで「私は実は河合ではなく相原で、しかもあなたのクラスメートだ」という真実を明かしたら彼はなんて思うだろう。何もかもが自業自得だ。穴があったら入りたいという言葉の意味を噛み締める。陰キャ女が無理して陽キャのフリをしてこのザマだ。


 とはいえ、冗談だったと言えば佐川君も許してくれるんじゃないだろうか。そんな考えも湧いてくる。告白してくれたぐらいだし、彼は私のことが好きなはずだよな。

 そこまで考えた時、ふと別の疑問が心に浮かんできた。


 ―― 佐川君が好きになった相手って、本当に私なのかな?



 ・・・



「あんた、馬鹿じゃない?」


 電話で美香に相談してみたら最初の声がこれだった。

 確かに私も馬鹿なことをしたと思う。


「だよね、身の丈に合ってないイメチェンとかして罰が当たったんだよね。やっぱり佐川君にはもう会わない方が……」

「だからー、そういうことじゃなくて」


 美香のイライラした声が私を遮ってきた。


「そのまま付き合っちゃえばいいでしょ。二学期からはイメチェンしたままで学校行けばいいじゃない」

「佐川君、私が同級生だったと知ったらびっくりするよね。名前も嘘言っちゃったし」

「本当はどっちだと思う? えへっ、とか言ってみたら」

「そんなことできないよ……」


 他人事だと思って美香は軽く言ってくるけど、元はといえば私は地味で奥手なMOBなのだ。そんなマンガの悪女ムーブみたいな事ができるわけがない。


「それに佐川君が好きなのは陽キャな私なんだと思うんだ。クラスにいた地味女が本当の私とか幻滅するかなって」

「あー、そういうことね……」


 どうやら美香も私の気持ちを理解してくれたみたいだ。さすが陽キャは感受性が高い。私なんかとは大違いだ。


「女の子の見た目なんていくらでも変わるじゃない。加奈は加奈なんだから、佐川君も分かってくれるって」

「でも……」

「大体、今の加奈だって本当の自分でしょ。加奈の本当の自分って外見で変わるの?」


 そう言われると考えてしまう。なんだかよく分からなくなってきた。


「本当の私ってなんなんだろうね」

「それ言い出したの加奈でしょ」

「そうだよね……」


 本当の私ってこういううじうじ・・・・した女の子なんだよな。


「そういえば、加奈はおじいちゃんの古い斧っていう英語のことわざ知ってる? 『刃の部分は3回交換され柄は4回交換されているが同じ古い斧』って」

「なにそれ」

「ま、なにが本当かなんて、そんなもんよ」



 ・・・



 翌日、私はコンタクトでなく眼鏡を掛けて予備校に通った。眼鏡姿も似合うと言ってくれた佐川君に、私は夏休みの終わりまで返事は待って欲しいと告げて、でもそれまでは今まで通りに過ごすことになった。

 そして数日後、バーガーキングの二人掛けの席で、私はポテトを摘みながら向かいからの視線を感じている。


「どうしたの、佐川君?」

「学校に河合さんによく似た女の子がいるんだ」

「どんな子? かわいい?」

「あんまり話したことない」


 少しだけ口元が緩んでしまう。私は自分の髪の先を指先でなぞる。


「もうすぐ学校も始まるし、髪を黒くしたんだ」

「いいと思うよ。似合ってる」


 彼はそう言って微笑むと、軽くうなずいてくれた。

 夏期講習の最後の日は高校の制服で来てみようと思う。その時、佐川君が何というかは分からないけど、彼の告白への答えはもう決まっている。


「相原加奈です。まずは友達から始めましょう。よろしくお願いします、佐川君」


FIN

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