第十三話「美しい世界」

 華奢なお前の身体からだを抱きしめる。返される温もりはもうないけれど、それでも不思議ともう哀しくはなかった。


 三人で過ごす時間を夢見ながら、俺は今日も眠りにつく。


 ――この身が、お前とひとつになるまで。


 ***


「――この世界はな、昔は多くの姫巫女たちのお陰で潤っていたのだ」


 水車の回る音が響く小さな村の中。老いた男の話に、その目の前に集まった子供たちは好奇心に満ちた目で耳を傾けていた。


「今、ヒメミコさまはどこにいるの?」


「もうお役目を終えて、いなくなってしまったよ。一人の姫巫女と天狗のお陰で、この世界はずっと潤うようになったそうだ」


 老いた男が思い出すは、泉の変化を告げに現れた白の天狗の言葉だった。


「テングって、あの森に住むっていうテング?」


「ああ、そうだよ」


「えーっ。テングって、怖くないの?」


「そうだなあ…。天狗も人間ひとも、そう変わらないのだよ」


「んー。よくわからないなあ」


「はははっ」


 無垢な子供たちに囲まれてその笑顔を見るこの時間が、老いた男は幸せだった。


「――長老!都からお客さんが来ていますよ!」


 駆け寄ってきた青年に呼ばれ、老いた男はゆっくりと腰を上げる。


「どれ。続きはまた今度だな」


 老いた男がそう言うと、子供たちは目を輝かせて言った。


「ぜったいだよ!約束!」


 子供たちの言葉に大きく頷いて、老いた男はやはり幸せだと思った。


 そうして天を仰げば、雲ひとつない、晴天だった。


「――次はいつだろうか」


 愛しい娘がもたらす恵みの雨は。


 ***


「朧夜様!」


「おや、時雨しぐれ。どうしたんだい?」


 己の傍へと舞い込む若い天狗に、白の天狗は微笑みかけた。


「実は、朧夜様に宣言しておこうと思いまして」


「宣言、とは…?」


 若い天狗の口元が、ゆっくりと弧を描く。


「――俺、大天狗になって、朧夜様のあとを継ぎます」


 驚きに目を見開いたあと、白の天狗は頷いて微笑んで見せた。


「――そうだね、楽しみに待っているよ。どうか、私を超える大天狗になって」


 そして、あの黒の天狗をも超えるように。


「はい!では修行に行ってきます!」


「ふふっ、無理しないようにね」


「はい!」


 羽ばたいた若い天狗の背に、いつかの黒の天狗の姿を重ねた。


「私のしゅを掻き消すほどの霊力ちから。そして彼女の霊力ちからのお陰で、世界は護られているよ。――君たちはあの泉で、幸せに眠れているだろうか?」


 白の天狗のその想いは、風に乗った。


 風が優しく森を吹き抜ける。


 木々が揺れ、囁き合う。


 その囁きに合わせるように鳥たちは唄う。


 そしてその先で、澄んだ水面は静かに揺れた。




 ――この世界は、美しかった。

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古語り(いにしえがたり) 秋乃 よなが @yonaga-akino

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