磨けば光るのに
筋肉痛
本編
生きがいとも言える週末のソロキャンプに向けて自宅近くのホームセンターで買い物している時、奴、つまり小林と再会した。
奴は掃除用品の実演販売をしていた。
同級生に小林のイメージを聞けば、十中八九「変な奴」と答えが返ってくるし、小学生から知り合いではあるが何回か話をした程度の間柄でしかないので、スルーが正解のはずだった。
ただ好奇心が湧いてしまった。巧みなコミュニケーションが必要とされる実演販売を、変人がどのようにこなすのか。怖いもの見たさの気持ちが勝り、様子を伺うことにした。
小林のそれは実演販売と言えるのか疑問が生じるものだった。確かに実演ではある。しかし、実演でしかなかった。
ただ黙々と水垢のついた浴室用の鏡を販売商品で掃除しているだけ。一言も喋らない。それどころか客の方に振り向く様子もない。売る気があるのか。鏡に映る小林の表情が満面の笑みで少し紅潮しているのが、恐怖さえ感じさせた。
そんな俺の疑問をよそに鏡は順調に輝きを取り戻していく。掃除前の箇所と比べれると一目瞭然だった。俺は通販に出演している芸能人よろしく、「すご~い」と思わず口にしたくなる気持ちをぐっと抑えた。
小林の前を通る何人かの客が俺と同じようにそれを見て、ワゴンに積まれた商品を取っていく。見事、お買い上げだ。俺が立ち止まっていることで、注目度が増している節もあるから、感謝してほしいくらいだ。
澱みない喋りやサクラの分かりきったリアクションによる脚色がない事で、その商品の性能に信憑性が増している感がある。皮肉なことだ。今、俺は新しいプロモーションの形を発見した。自分の仕事にも活かせそうな気がする。
思えば、この仕事は小林にぴったりかもしれない。何回か奴と話した記憶はどれも印象的で今でも思い出せる。
まずは小学校低学年の時だ。図画工作の授業で光る泥団子を製作した。詳しい工程は忘れてしまったが、丁寧に乾燥し研磨すると泥団子に光沢が生まれるのだ。塗料で色もつけられた。
小林は着色はしていないものの、クラスの誰の物よりも輝く泥団子を作り上げた。
「なんでそんなに光っているの?」
まだ純粋だった俺は素朴な疑問を小林にぶつけた。
小林は首を傾げながら、心底不思議そうな顔をして呟くように言った。
「磨けば光るのに。泥が……汚い泥が、光るのに」
その磨き方を知りたかったのだけど、今なら分かるような気がする。製作中の小林の集中力は鬼気迫っていた。担任が話しかけても、相槌ひとつ打たない。次の授業が始まる時間になっても図工室からテコでも動かないので、学年主任の男性教員に抱えられて運ばれた時に野生動物のように暴れて抵抗していた。結局、先生が根負けして気が済むまでやらせたのだが。
それくらい一心不乱に磨けば、光らせる事ができるのに何故君はやらないのか? という想いが込められた言葉だったのだろう。
次に思い出すのは高校の時だ。俺も小林も勉強は可もなく不可もなくといった具合だから偏差値50そこそこの高校に通っていたのだが、ポイントはそこの生徒の大半が自転車通学しているいう点だ。
自転車、特に高校生の乗るそれは風雨に晒され錆などで非常によく汚れる。それは学生のストレスの一因であった。しかし、そんな彼らに朗報が入る。一言頼むだけで、何の見返りもなくそれを好き好んで磨いてくれる奴がいると。そう、小林だ。
放課後、駐輪場で誰の物かも分からない自転車を満面の笑みで磨く小林に興味本位で話しかけた。
「せめて、持ち主にジュースくらい奢ってもらったらどうだ?」
「なんで?」
奴は泥団子の時と同じように心底不思議そうな顔をしていた。
「いや、磨いてあげてるんだろ? それくらい貰ってもバチはあたらないと思うぞ」
「違うよ。僕がキレイになるのが見たいから磨かせて貰ってるんだ。むしろ、お礼を言わなくちゃいけない。汚してくれてありがとうって」
冗談を言っている顔では無かった。俺はイジメも疑っていたが強がりを言っている雰囲気でもない。これについては今でも理解できないが、小林は心の底からただただ自転車を磨いて綺麗にしたいだけだったのだろう。
誰かに認められたいとか、対価を稼ぎたいとか、そんな欲求はまるでないのが伝わってきて、得体の知れないものを見てるようで怖いくらいだった。それからは意図的に小林を避けていた。
大学は別だったが、妙な所で奴を見かけた。当時付き合っていた彼女がカーリングをやっていて、大きな大会に出るから見に来てほしいと言われた会場に小林はいた。選手として。
カーリングにはスイーパーという氷上を磨く選手がいるが、奴はそこで活躍していた。いや、活躍というのは語弊があるかもしれない。確かにスイープはどの選手よりも上手く、ストーンが滑らかに動いていたが試合の戦略を無視して動きすぎているきらいがあった。
実際、同じチームメイトから叱責されている様子が遠くから伺えた。どういう内容か気になったので近づいて聞き耳を立てると案の定だった。
「補欠で急に試合に出てるとはいえ、小林! お前、勝つ気あるのか!?」
小林はまた例の心底不思議そうな顔をして首を傾げる。
「……僕は磨いて光ればそれだけでいいんです」
チームメイトにも聞こえないくらいの声量だったが、読唇術ができない俺でもそう言っているのが経験から想像できた。
「もっと気合い入れろよ! お前しかいないんだから頼むぞ!」
思った通りキャプテンらしき人物は聞き取れなかったようだが、勢いで誤魔化して小林の背中を強めに何回か叩いた。小林は迷惑そうに眉をひそめていた。
ちなみにおかしな同級生ばかり注目していた俺は後で彼女にこっぴどく叱られて、本当の所は分からないが、恐らくそれが発端で別れてしまった。その文句も言わなくてはならない。
色々思い出したら、小林に話しかけずにはいられなくなった。
「よぉ、久しぶり」
振り返った小林は例の如く不思議そうな顔をしていた。俺のことを思い出せないのだろう。俺に限らず他人に興味の無い、汚れを磨いて綺麗にすることしか頭に無い人生だったろうから、無理もない。
「ほら、同級生の進藤だよ」
「ん……ああ」
視線を泳がせながら小林は曖昧に返事をする。俺の買い物カゴの中のアウトドアロープを見て、急に思い出したように表情が明るくなる。
「うんうん、何度かお話したことあるよね」
「地元でもないこんな所で会うなんてな。よくここでやってるのか? この実演販売」
「ううん、系列のお店を転々としてるよ」
「そうか。今日は何時までなんだ? 良かったら仕事終わりに飲もうぜ。いろいろ積もる話もあるだろう」
小林が俺を俺として認識しているか怪しい所があるが、それはあまり気にしない。俺が小林に興味があるのだ。今、どんな人生を歩んでいるのか気になる。もっと下世話に言えば、この世間から到底受け入れられることのないだろう変人に自分より不幸な人生を歩んでいてほしいのだ。そうすることで自分の選択が、生き様が間違っていないことを証明したいんだ。我ながら性格が悪いとは思うが、人間誰しもそういう所があるんじゃないだろうか。
だから、今日を逃せばいつ会えるか分からないので思い切って誘ってみた。
「いいね! 今日の分のノルマはたったいま売れたからいつでも上がれるよ。そうだ、どうせなら僕のお家においでよ。きっと進藤君の役に立てるよ」
ダメ元だったが、小林がずいぶん乗り気だ。役に立てるという言い回しには違和感があったが、居酒屋で飲むより安上がりだし、小林がどんな所に住んでいるか気になったので俺は快諾した。
買い物を済ませて来るから入口で待てってくれと言うと「それ、多分もう必要ないよ」と、またもやよく分からないことは言っていたが、そこは小林だからと自分を納得させた。
完全に虚を突かれた。
小林に案内された自宅は、駅前のタワーマンションだった。しかもエレベーターは最上階に向かっていく。実演販売はそんなに稼げるのだろうか?
「なぁ小林。今向かっているのは本当にお前の家か?」
俺はどうしても信じることができず、ニコニコで隣に立っている小林に聞いた。
「そうだよ。そこそこいい所だから安心していけるよね」
そこに虚栄はまったく感じられない。貴方はロボットではありませんか? という質問に答えるのと同じように何の気負いもなく肯定している。”いけるよね”という言い方に違和感があるが、小林の言うことをいちいち気にしたらダメだと最早、脳が処理するのをやめていた。
20を越えて上がり続ける階数表示を見ながら、俺は誘いに乗った事を後悔していた。気軽に自宅へ他人を招く人間は、ほとんどの場合、自宅を自慢したい人間なのだということを忘れていた。しかし、何かと理由をつけてここで帰るのも惨めすぎる。今から始まる地獄のような時間を耐え切る覚悟をした所で、エレベーターは最上階に到着した。
最上階は1フロアまるごとが1室になっていた。分譲なのか賃貸なのかは怖くて聞けないが、賃貸だとしたら月々の家賃で俺の年収が飛びそうで怖い。
いざ室内に案内されるとリビングだけで俺の家くらいがすっぽり入りそうで、その格差に辟易とした。座るように勧められたソファも革張りでいかにも高級そうだ。だが、それより何より向かいのソファーに先客がいるのが気になった。
「こんばんは。ユート君から聞いてます。進藤さんですね?」
ブランドの白いポロシャツに紺のスラックスという小綺麗な恰好をした、俺と同じくらいの年代だと思われる顔の良い男は立ち上がって握手を求めてきた。眼鏡までセンスが良くて逆に腹立たしい。俺は心の中で”欧米か”とツッコミを入れながら、ぎこちなく握手に応える。
ちなみに俺も忘れていたが、ユートというのは小林のファーストネームだろう。
「ええと」
俺は小林の方に目配せする。他の客がいるとは聞いていないという催促だ。
「ああ、やっぱりユート君、話してないんですね。掃除以外は興味の無い人ですからね~。私はルームメイトの難波です。まぁ覚える必要はないかと思いますけどね」
「ごめんごめん。でも、難波さんがきっと助けてくれると思うよ」
「助ける? 何の話だ」
処理をやめていた脳が動き出す。さすがにここまで来るとスルーするのは難しい。
「まぁ、そんなに慌てることもないでしょう。 コーヒー飲みます?」
俺の返事を聞く前に難波は立ち上がるとシステムキッチンに向かい、これまた高級そうなコーヒーメーカーを出してきた。沈黙を肯定と受け取ったのかそのままコーヒーを淹れ始める。
俺は難波から目線をはずし、小林を睨むようにして話しかける。
「なぁ、小林。俺はお前の話を聞きたかったんだが」
「大丈夫……僕は分かっているから。それに気にしなくていいよ、僕が綺麗するから。むしろ、ありがとうだよ」
一体何を分かっていて、何に対するお礼なのだろうか。昔からそうだったが、より話が通じなくなっている気がする。
「どうぞ、とびきり美味しいのを淹れましたよ。最後ですからね」
難波が重厚なガラスのテーブルの上にコーヒーカップを置く。俺は興味本位で口をつけた。
正直、コーヒーの良し悪しは俺には分からないが、きっとこれも1杯千円するような物なんだろう。少し青みがかっているのもそういうもので、なんだか雑味が多い気がするが、俺が慣れていないだけなんだろう。
「で、どうします?」
難波は唐突に聞いてくる。まぁ小林と再会してから唐突でないものの方が少なかったが。
「どうとは何のことですか?」
俺が聞き返すと、難波は小林と目を合わせて
「それも話していないんですね。いわゆるコース的なものです。各種ご用意してますよ。私としては、フルコースがおすすめです。わだかまりを残すのは良くないですからね」
なるほど、なるほど。ようやく合点がいった。これはマルチの勧誘だ。久々に会う古い知り合い、しかもあまり親しくないときたら恰好のターゲットだろう。
この暮らしも納得だ。悪事を働いて泡銭を稼いだということだ。見方によっては最低の人生だが、俺の留飲は下がらない。何せ現在甘い汁を吸っているのは、紛れもない事実だからだ。
「犯罪だよな、これ。警察に連絡するぞ」
そうと分かれば俺は遠慮しない。スマホに手を掛けてそう言い放つ。すぐに連絡しないのは相手の反応を楽しみたいのと、もしかしたら口止め料として臨時収入を得られるかもと期待してのことだ。
俺にはくだらない正義感はない。あるのは損得勘定だ。こいつらを止めても似たような事を他の誰かがやるだけだ。そこに大きな意味はない。
眼鏡の奥の難波の目が細められる。
「ええ、そうですね。連絡したければどうぞ」
動揺は微塵も感じられない。足を組みなおして余裕すら感じられる。
「進藤君、聞いて。一度汚れるから、ピカピカになるのが嬉しいんだ。それはもう酷い有様のお風呂場をピカピカにするのが最高なんだ」
小林は相変わらず訳が分からない事を言っている。小林に限って何か深い意味があるということはないだろう。
「ははは、ユート君は本当に救い難いですね。倫理観を子宮の中に置いてきたんでしょう。それがなんであれ、落ちにくい汚れほど興奮するんです。血や脂なんてその筆頭ですからね」
何がおかしいのか難波はいやらしく笑っている。俺からしたら小林も難波も五十歩百歩だ。今、汚れの話をするのも意味が分からない。
眉根を寄せる俺を見て、難波は大袈裟な手振りで取り繕うように言う。
「ああ、大丈夫です。痛くはないですよ。事後処理の話ですから、安心してください」
難波の話し終えるタイミングを計ったかのように、別の部屋からエンジン音のようなノイズが聞こえてくる。DIYで電動のこぎりを使ったことがあるが、そんな感じの音だ。俺がそれを気にする素振りを見せると、難波は口角をさらに上げる。
「まさに今、浴室で先客の事後処理中です。見ます? あまり気持ちの良いものではないですが、お好きな方はいますね~。進藤さんもその口ですか?」
「そうやって意味不明な事を言って俺を惑わすつもりだろうが、その手には乗らない」
「はぁ、そうですか。それより、連絡しないんですか? 警察」
胡散臭い男は溜息をついて退屈そうな顔をする。おまけに欠伸までし始めた。俺は唇を噛む。見透かされているようで気分が悪い。
実際、なんだか体調が悪くなっている気がする。倦怠感が急激に襲ってきている。
「ふふふ、できないですよね。だって貴方が望んでいることはそんなことじゃない。古い友人の前で常識人ぶる気持ちも分かりますが、大丈夫ですよ、ユート君はちゃんと見抜いています」
「小林もお前も何を言っているんだ!? 一体……俺の……何を」
言葉を発するのも億劫になってきた。いよいよ意識を失いそうだ。
「私達に言わせるんですか? 野暮ですねー。こんなに頑なに白状しない人は初めてかもしれません」
「だから!! 何のことだよ!」
俺は力を振り絞って叫ぶ。
「仕方ないですねー。そこまで言うなら、言いますよ。需要と供給、WIN&WINでやっているのにそんなに怒らないでくださいよ。貴方、死にたいんでしょう? この世から消えてなくなりたい。でも苦しいのは嫌。死ぬことで誰かに迷惑をかけるのも嫌。だから、首吊り用のロープを買ったけど、迷っている。旧友を飲みに誘うほどに。それを私達が手助けしてあげると言っているんです。大丈夫、苦しくないですよ。コーヒーに入れた薬のおかげで今、猛烈に眠たいと思いますが意識を失えばそれでおしまいです。他人は貴方が死んだかどうかも分からない。誰にも迷惑をかけずに逝けますよ! 良かったですね! コースを聞きそびれてしまいましたが、友達価格でフルコース承りましょう。安心してください。貴方の遺産は責任を以ってきちんと受け取りますし、内臓は余すことなく有効活用させていただきますから」
叫んで否定したい気持ちはあったが、最早、意識を失わないように気を張っているのが精一杯だった。
俺は何を間違えたんだろうか。
今日、仕事帰りにあの店に寄らなければ良かった?
アウトドアロープだけを買うなんてことをしなければ良かった?
そもそもソロキャンプなんて趣味持たなければ良かった?
小林に話しかけたのが良くなかった?飲みに誘ったのが?
小林と同級生だったのが運の尽き?
それとも性格が悪いから天罰が下ったのか?人の不幸を願ったから?
今にも意識を失いそうな脳は、様々な後悔をフル回転させる。今すべきはそんなことではないと生存本能は言っているのに。
思えば、小林が実演販売なんて似合わないことを色々なホームセンターでやっているのは、俺のように人間一人の体重を十分に支えられるようなロープだけを買いに来る客を物色するためだったのかもしれない。その多くが難波の言う通り自殺志願者だから。
俺は違う。俺は違うんだ!!!
そう叫びたくても叫べないまま意識を失う寸前、難波が小林に話しかけるのを聞いた。
「止めなくていいんですか? お友達なんですよね?」
「なんで?」
俺が最後に見たのは、小林のあの心底不思議そうな顔だった。
磨けば光るのに 筋肉痛 @bear784
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