第12話 佐藤亮介
「美月、バケツに水汲んできたよ」
「ありがとう。じゃあお花お供えしちゃうね」
「しかし最近暑くなってきたよなー。老体には響くよ」
「お父さんとお母さんも暑がってるよね。喉も渇いているだろうし、お墓にお水かけてあげよっか」
俺と美月は現在、小川家と佐藤家のお墓参りに来ているところである。
——俺と美月が再婚して、息子の
俺たちは家族4人で仲睦まじく、ずっと過ごしてきた。
決して派手ではなく、慎ましい暮らしだったと思う。
大金持ちになって海外旅行に行くとか高級車を乗り回すとかブランド服を身に纏うとかマイホームを持つとか、そういったことは一切無かった。
それでも、ずっとずっと幸せだった。
紬が嬉しそうに悠斗を抱き抱えてる姿を見た時。
美月の両親に悠斗を抱いてもらった瞬間、立てなくなるほど涙を流している姿を見た時。
初めて悠斗が立った時、喋った時。
紬が悠斗のお世話をしてあげてる光景を見た時。
家族4人で回転寿司に行った時。
家族4人でレンタカーでの小旅行に行った時。
紬と悠斗が我が家に友達を初めて連れてきた時。
紬と悠斗の受験合格の報告を聞いた時。
小川家と佐藤家総出で、今後は紬と悠斗も連れて、かつて恒例だったキャンプに行った時。
どれもきっと、普通の家庭であれば味わえる日常で、特別なことでもないだろう。だけどそれら全てが、俺たちにとってはかけがえのないものだった。
もちろん辛く大変な苦難だってたくさんあった。
仕事の悩み、子供達の学校生活での悩み、反抗期、姉弟喧嘩、二人の進路、就職活動、人間関係。
家族として解決すべき問題は山積みだったし、ずっとなくなることは無かった。
それでも俺たちは、しっかりと話し合って乗り越えてきた。
美月と二人で積み重ねてきたものがあったからこそ、どんな未来が訪れたとしても、大きな不安や迷いもなく立ち向かうことができたのだ。
そして幸いなことに、紬も悠斗も優しく誠実な大人へと成長し、大学を卒業後、二人ともとてもいい相手を見つけてきてくれた。
それぞれの相手に初めて会った時は号泣してしまって父親の威厳などゼロで、非常に恥ずかしい想いをしてしまったが。
二人の結婚式でも、もちろん号泣。
そして紬の披露宴には、裕子とその母の姿もあった。
※
紬が高校を卒業する頃、突然裕子から連絡があった。
「一度だけでいいから、紬に会わせて欲しい」と。
かなり迷ったが、もうこの時には裕子は自身の罪を償い終えていたし、俺としても裕子に思うところはあったので、彼女が本気で反省しているのなら会わせてもいいかもしれないと考えた。
しかし紬が裕子のことをどう思っているかわからなかったので、紬にも判断を仰ぐことに。
紬もどうするか数日間かけて悩んでいたが、最終的に俺と美月も一緒なら会ってもいいと言ってくれた。
しかしそうなると、俺と美月と裕子がどんな関係なのかを、紬にどこまで知らせるのかと言う問題が発生。裕子に会って話をするタイミングで、俺たちの関係を暴露されるかもしれないからだ。
美月と十分に話し合った結果、裕子に事前に口裏合わせをお願いすることにした。
これに関しては、今でも本当にこれが正解だったのかはわからない。
正直に全てを話すことが、果たして誠実なのだろうか。
それよりも俺は、紬自身に自分が不倫による子であるという意識を持って欲しくなかったのだ。
しかし本当のことがどこかで紬に知れてしまったとき、彼女は親に自分の出生の秘密を隠されていたことで、より深く傷ついてしまうはず。
それに、俺自身も不倫した上にそれを隠していた男として紬に酷く嫌われてしまうだろうし、そうなるのが嫌だという醜く浅ましい願望も、正直に言えばある。
だから俺は、これも墓場に入った後も背負っていく罪だとして、紬に対してこの嘘を生涯貫き通す覚悟を決めた。
裕子には、俺と美月も同行すること、過去の関係を黙っておくことを条件に会うことを告げたところ、意外にもあっさりと了承してもらえた。
そうして裕子との面会当日。
待ち合わせ場所はチェーンのカフェ。
万が一のことも考え、美月と紬には近場で待機してもらい、まずは俺一人で裕子に会うことにした。
久々に会う裕子は、地味な髪型と服装でメイクもほとんどしておらず、俺の記憶にある彼女と全く違っていた。
そしてテーブルについてから彼女と少し話してみたが、裕子は過去の行いをかなり反省しており、本当に純粋に母親として、最後だという覚悟も持ちながら紬に会いたい気持ちだけでここに来たようだ。
開口一番、裕子のこれまでの過去の行いを謝罪されたときはかなり驚いた。
それに対して俺は、「されたことの重みや紬に対する仕打ちを考えると、謝罪を受け入れるということはできない。だが、俺も結婚生活において裕子自身のことをちゃんと見て愛するということができていなかった。それもきっと原因だろうし、そのことは裕子に謝罪したい」と告げて、ちゃんと罪は償った上でそれぞれ別の道を歩んでいるんだしここでお互い終わりにしようという話で落ち着いた。
裕子と会話した様子から紬に会わせても問題ないと判断して、近くに待機してもらっていた紬と美月をその場に呼び寄せる。
そして俺と美月と紬が3人で並んでいる姿を見た途端、裕子はその場で泣き崩れてしまった。
きっとこの数年間、彼女が過ごしてきた人生があっただろうし、その中で思うところもあったのだろう。
それから裕子は一度トイレで気持ちを落ち着かせた後、改めて4人で話をした。
実は美月が裕子と対面するのはこれが初めてだったのだが、特に険悪な雰囲気になるといったことはなかったので俺としては安心した。
話の内容は、俺たちがこれまでどう過ごしていたか、裕子がこれまでどう過ごしていたか、紬の学校生活のこと、これからの進路など。
裕子はあれから心を入れ替えて、就職して働きながら、相変わらず彼女の母親と一緒に実家に住んでいるそうだ。
仕事もなかなか見つからず、金銭的に本当に苦しい時期もあったが、今では慎ましく暮らしているとのこと。異性関係も縁は無いらしい。
そして別れ際、裕子は紬に対して一言。
「あなたは、私のようにならないでね」
サラッと告げていたが、その言葉にはどこかズシッとした重みがあって。
俺たちと別れて去っていく裕子の背中は、どこか寂しげだった。
それから紬と裕子は、直接会うことまではなかったものの、電話やメッセージで近況報告をするくらいの仲くらいにはなったようだ。
そして結婚式には、過去の遺恨はあるもののやはり実の母親と祖母には晴れ姿は見せたいということで、彼女たちを招待することにしたらしい。
披露宴では裕子の母とも少し会話して、彼女にも謝罪の言葉を告げられたが、裕子に告げた内容と同じことを伝えて、ここでも手打ちとした。
紬の結婚式以降は俺も裕子と積極的に連絡は取らなくなったのだが、同じ子を持つ親としてどこかで幸せになっていてほしいと願っている。
※
紬と悠斗が家を出てから、俺と美月は話し合って、二人で地元に戻ることにした。
俺は元々ネット上のやりとりで完結するような仕事で場所を選ばなかったので、俺や美月の両親と一緒に過ごす時間を増やして、体が弱ってきた彼らのお世話もしたいという考えでの選択だ。
美月が仕事を辞めることになってしまうが、俺はこの頃には結構な稼ぎを得られていたので、経済的な面は問題なかったし、キャリア的な面に関しても了承してくれた。
また、美月は学生時代のトラウマから地元を離れた経緯があったためそこも懸念点だったが、何十年も経っているし、俺がいるからもう怖くないと言ってくれた。
紬と悠斗の実家がなくなってしまうのでそこは心残りだが、まぁ祖父母の家として俺たちの地元にはよく遊びに行っていたし、ここが実家だと思ってもらうことにしよう。
それから佐藤家小川家それぞれの両親たちと、家族として安穏の時を過ごした。
俺の両親はもちろん、俺が幼稚園に入る前の小さな頃からお世話になっていた美月の両親らも老いていく姿は見ていて辛いものがあったが、それでも俺たちのこれまでの感謝の気持ちを伝えるべく、介護だって積極的に行った。
そして、彼らの最期の時は、紬や悠斗を交えて家族全員で看取ることができた。
本当にたくさんの迷惑をかけてしまってきたが、最期の瞬間こそは幸せであってくれたら、と願ってやまない。
※
そうして時は現在に至る。
佐藤家と小川家のお墓参りを終えて、俺と美月は二人で家路につく。
「ん」
「はい」
そんなやりとりを交えながら俺は左手を差し出して、美月がそれを右手で握る。
子供の頃を含めて、人生の大半を過ごした相手。
言葉の数はもうほとんど必要なくなっていた。
皺だらけの手を繋ぎながら歩く、帰路の途中。
そこにふと、小さな頃に二人でよく遊んでいたあの公園が目に入った。
「……ちょっと散歩がてら寄ってくか」
「えぇ」
もうこの道は今でも何度も通ってるし、珍しいものではないのだが、今日はなんとなく寄りたい気分だった。
「この公園、よく残ってるよな」
「無くなってる公園も多いのにね」
「遊具なんかほとんど錆びてるぞ」
「ね。ボール遊び禁止の看板までつけられちゃってるし」
「俺たちの時はキャッチボールとかサッカーボール蹴ってみんな遊んでたのになぁ」
「最近はこの公園で遊んでる子供なんて全然見ないよ」
公園をブラつきながら、そんな他愛もない話をする二人。
年老いた俺たちは、もう昔のように、公園の中を二人でシャボン玉や水鉄砲を片手に走り回ったりすることはできない。
でも、二人繋いでいる手に刻まれた皺の数は全く一緒で。
俺たちの歩幅も、いつからか全く同じになっていた。
そうしてブラついていると、なんとなく俺たちはあの日待ち合わせしたベンチの前まで来ていた。
美月に呼び出されて、ここで俺は一度失恋したんだ。
ベンチはもう完全に錆び付いていて、雑草や蔦だらけで座る気にもなれない。
だから俺たちは今、ここに二人で立っている。
「美月の言う通りだったよ」
「んー?」
そう言いながら首を傾げて、俺の顔を覗き込む美月。
いくら幼馴染で生涯の伴侶だと言えど、言葉にしなければわからないことは今でもたくさんある。
——きっとこの言葉は、美月に伝えた方がいいはずだ。
そして、あの頃の俺にも。
何を間違えてしまったのか、なんて悩んでいた、あの頃の俺へ。
今なら、その答えがわかった気がするよ。
それはな。
「気の迷いなんてさ、俺の人生には一つも無かったってことだよ」
幼馴染をBSSされた先の未来 テノシカ @tenoshika
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