第11話 小川美月
紬ちゃんとりょーすけの面会日以降は、まさに激動の日々だった。
紬ちゃんがDVされてるなんてことがまず衝撃的だったし、まさか警察に行くことになるなんて思ってもみなかったし、それから紬ちゃんと一緒に暮らすことになるなんてもう青天の霹靂だ。
裕子さんの話を聞けば聞くほど、とんでもない人だなと思うし、可哀想だとも思ってしまう。
私は彼女がやったことは全然理解できないんだけど、もしかしたら何かボタンが掛け違っていれば私も彼女のようになっていたのか?なんて想像すると本当にゾッとしてしまう。今一度自分を律しようと改めて思ったところだ。
だから紬ちゃんを守らないなんて選択肢は私の中になくて、受け入れに関してはもちろん二つ返事で了承したし、私も子育てに協力するという姿勢は積極的に見せていった。
その結果紬ちゃんを保護することが認められて、それから3人での生活が始まった。
やっぱり子供一人を受け入れるなんてなるとやることはたくさんあったし、りょーすけは本当に忙しそうにしてたけど、頑張って全てをこなしていた。
私も手伝いたかったけど、私は出社でフルタイムのお仕事があるからなかなか時間が取れなくて、だから私にできそうな家事とかを手伝って彼が時間を作れるようフォローするようにした。
りょーすけがイキイキとしながら紬ちゃんのために頑張ってる姿を見ると、これが子を守る親のパワーなんだろうかって思っちゃったり。
最初は紬ちゃんとはうまくやっていけるかとても不安で、警戒もされていたようだったけど、根気よく話しかけてたら心を開いてくれたみたいで、今では学校のお話をたくさん聞いたり一緒にゲームしたり宿題を見てあげたりしてる。
紬ちゃんは本当にすごくいい子で、やっぱり親子だからなのかりょーすけっぽい面影も見られて、とにかく可愛くて可愛くて溺愛しまくってしまった。
子供がいるってこんな感じなんだなぁ、という感慨もありつつ、小さな頃の紬ちゃんも会いたかったなぁみたいな寂しさも感じて、なんか複雑な気分だ。
でも今のところ、大きな不安を感じることなんて何もない。
りょーすけと紬ちゃんと3人で本当の家族みたいに過ごす時間は、とても幸せだった。
私みたいな女には、もったいないくらいだ。
※
紬ちゃんが眠った後は、りょーすけと二人でゆっくり晩酌タイムを過ごすのが毎日の恒例になっている。
まぁ晩酌なんて言っても私もりょーすけも普段はお酒を飲まないから、リラックスできる温かい飲み物とちょっとした軽いお菓子などをつまみながらゆっくり駄弁るだけ。
私はこの時間が大好きだった。
照明をちょっと暗めにしてボンヤリとした灯りの中、寝るための準備をしながら、紬ちゃんのことを話したり、小さな頃の懐かしい思い出話をしたり、最近面白かったマンガの話をしたり、ちょっと真面目な話をしたり。
毎日一緒にいるんだけど、話題はとにかく尽きなかった。むしろ同じ話を何回しても楽しかった。
ちょっと眠くなっても、二人ともが一日の終わりを惜しむような、その感覚を二人が心で共有しているような。それだけで心がじんわりと満たされた。
こんな時間が永遠に続いて欲しいとさえ思っていた。
でも今日は、いつもと様子がちょっとだけ違ってて。
りょーすけがなんだかずっとソワソワしてるのだ。
「どうしたの?ソワソワして、何かあった?」
「ん?いや、あぁ……」
なんか返事も歯切れが悪い。
気になる。
「なんか悩みでもある?何でも話すって決めたんだし、私は大丈夫だから、言ってみてよ」
「……そうだな。隠し事はなし、だよな」
その言葉を聞いてドキッとしてしまう。
もしかして……
好きな女の人できた?
私に愛想尽かしちゃった?
出て行きたくなっちゃった?
でもこれまでのりょーすけの行動を見てもそんなことはあり得ないはず……
なんだけど、やっぱり今までの私の人生を考えると、どうしてもネガティブな想像をしてしまう。
また、夢が醒める時が来ちゃったのかな。
そしてりょーすけが居住まいを正して、私の目をまっすぐ見つめた。
「美月」
思わず私もギュッと拳を握り唇を引き締め。
次の言葉を、覚悟を決めながら待つ。
「——俺とまた、結婚してくれないか?」
……
…………
………………へ?
ななな、なんて?
け、結婚?
なんかすごいネガティブなことばかり考えてしまってたから、不意打ち過ぎて思考が停止してしまった。
「ぇ、え。けけけ、結婚?」
テンパりまくっちゃって口が全然回らない。
「ああ。何度も言うのは恥ずかしいんだけど……俺とまた結婚してほしい」
今度はちょっと照れながらそう告げるりょーすけ。
「あ、な、なんかごめん。……でも、な、なんで、今?」
そう、なんで今なんだろう。
今日は何か特別な記念日でもないし、プロポーズなんていう予兆も今日までなかったと思う。本当になんの変哲もない、いつもの夜。
「……この前さ、美月、紬の前ですごい泣いてたろ」
ああ、あれか。
美月さんがホントのお母さんならよかったのに、って言ってくれたときのことだろう。
あの言葉は私にとって本当にクリティカルで、過去の経験や想い、これまでの紬ちゃんの境遇など全部とすごく噛み合っちゃって、恥ずかしい姿を思いっきり見せてしまったのだ。
「それでさ、俺、思ったんだ。美月の本当の葛藤に気付けてなかったんだなって」
「……私の、本当の葛藤?」
「……妊娠とか中絶とかってさ、男の俺には本当に想像し辛いことなんだ。自分の体に別の生命を宿すって、女性にしかできないことで。美月がそれでどれだけ苦しんでたかってことを、多分俺は軽く考えてしまっていて、本当に愚かだったと思う」
……なるほど、そのことか。
確かに私は子供を堕したことがあるし、その過去で苦しんでた部分はあると思う。
「それってやっぱり俺には真の意味で理解できる日は来ないと思う。でもさ、あの日の美月の涙を見て、俺も覚悟を決めなきゃいけないなって思ったんだよ。だから今なんだ」
彼の言葉を聞いて、胸の内側がどうしようもなく熱くなる。
でも、まだだ。
まだ聞かなければいけないことがある。
「……りょーすけは、怖くないの?罪悪感とかなら、無理しなくていいんだよ?私は紬ちゃんと3人で過ごせる今が十分幸せなんだから。それに、結婚じゃなくて事実婚って手もあるし」
裕子さんとあんなことがあった後で、結婚に対して少なからずトラウマはあるはず。
そしたらりょーすけは腕を組んで上を向きながら、ちょっとだけ思考に耽ったあと。
ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
※
「……本音を言ってしまえば、罪悪感が理由として全くないかって言えば嘘になると思う。本当にどこまでバカなんだって自分でも思うけど、美月の涙を見た時、俺がやらかしたことの罪深さを改めて認識してしまった。そしてそれを本当に償う手段なんてものも無いんだとも思う」
「それに、結婚に対する恐怖ってのもやっぱり少しはあるよ。それくらい裕子との出来事は俺にとってショックだったし、男にとって離婚がどれだけ理不尽なものかってのは、今でも疑問に感じてるところだ」
「でもさ、俺もじっくり考えてみたんだ」
「美月が言っていたように、過去の『もしも』はどこにも存在しない。でも、未来の『もしも』は存在するし、それを想像しながら生きていくべきなんじゃないかって思うんだよ」
「もし俺がこれから美月と結婚したとして、美月が子供をどこか他の男の元へ連れて行って、俺から金を搾れるだけ搾り取って、俺をDV冤罪で訴えるなんて未来も、もしかしたら可能性だけで言えばあり得るのかもしれない」
「だけど、どれだけ俺の頭の中で考えても、事故や犯罪でもない限り、美月がそんなことをするような未来が訪れるなんて全く想像できないんだよ。これから何をどう積み上げていけば、そんな結末に辿り着くんだろうって」
「万が一美月がそんなことするんだとしたら、その時は絶対に俺が原因だと思うんだよな」
「だから逆に言えば、全部俺次第で未来はいい方向にできるんだって。今から最高の『もしも』の世界線は実現できるんだって。そう考えたんだ」
「それにさ、俺は万が一、裕子から受けたような仕打ちを美月から受けてしまっても、それでもいいとすら思っちゃってるんだよな」
「歪かもしれないけど、それくらい俺は美月に助けられてきたし、お前のことを愛してしまってるんだ」
「さっきも言ったけど、男の俺には、美月の女性としての苦しみを本当の意味で理解できるようになることは、一生ないと思う」
「でもその代わり、それを一緒に背負うことはできると思った」
「俺が紬を守るために、美月は一緒に色んなものを背負ってくれた。だから今度は俺の番だ。美月が今抱えているものを、俺にも背負わせてほしい」
「だから俺は、美月との子供が欲しいって思ってしまったんだ」
「そのためには、事実婚じゃダメだ。俺にとっては都合がいいかもしれないけど、逆に言うとそれだけだ。生まれてくる子供のことを考えるなら、美月の想いを考えるなら、覚悟を決めないといけないし、結婚っていう手段じゃないとダメだと思う」
「それも美月が教えてくれたことだ。将来の自分に見せて恥ずかしくない、自分の子供に見せても恥ずかしくない、そんな選択をするべきなんだって」
「だから俺も今、正しいことを選択できているつもりだよ」
「俺の命も、美月の贖罪のためならどれだけ使ってくれてもいい」
「俺は本当に弱くて情けない男だと、自分でも思う。それでも、こんな俺を選んでくれるのなら」
「俺とまた結婚して、子供を作って、一緒に幸せになってくれないか」
※
りょーすけの想いや覚悟がこもった、言葉の数々。
…………もう、ダメだ。
涙が止まらなくて、声も出せそうにない。
返事をしなきゃいけないのに、口に出さなきゃいけないのに。それすらもできそうにない。
言葉にすることが重要なんだって、学んだじゃないか。
でも、きっと大丈夫だよね。
りょーすけは、この世界で唯一の私の理解者なんだから。
私の返事なんて、今は言葉にしなくても伝わるよね。
※
こうして私とりょーすけは、再び夫婦になった。
それを紬ちゃんに伝えたら飛び跳ねるくらい喜んでくれて、私のことをしきりに「お母さん」と嬉しそうに呼んでくれて胸が熱くなる。
裕子さんにちょっと申し訳ない気持ちはあるけど、彼女にはこれまで散々振り回されてきたから、このくらいは許して欲しいかな。
私とりょーすけの両親にも再婚する旨を伝えた。前回のように手放しで祝福とはならなくてやっぱり複雑そうだったけど、「まぁそうなってもおかしくなかったよね」的な感じで諦めに近いながらも最終的には認めてくれた。
もう以前の時みたいな思いはさせないよう、改めてビシッと気を引き締めていこう。
職場で改めて再婚したことを報告したら、「え、旦那さんご存命だったんですか!?」なんて言われてビックリした。よくよく聞いてみると、一部で私は悲劇の未亡人みたいな扱いをされてたらしくて、不謹慎かもだけどちょっと笑っちゃった。
結婚したって言っても、書類を出すだけみたいなものだったし、生活スタイルなどに大きな変化はなかった。
でも、一つだけ大きく変わったことがある。
そう、妊活だ。
私たちが結婚した大きな目的の一つでもある。
だけど私たちの年齢を考えるともう余裕も無かったから、タイムリミットを意識しながら色々と考えて行動した。
産婦人科に行って色々とアドバイスをもらいながら実践する、ってのはもちろんなんだけど、りょーすけも積極的に病院で検査したりしてくれた。
男の人はこういった検査を嫌がる人も多くて困ってる奥さんも結構いるって話も聞いてたけど、りょーすけはとても協力的で本当にありがたかった。
しかし意外に困ったのが、行為の場所だ。
以前は二人で住んでたから全然気を使わずにできてたけど、今は紬ちゃんがいる。
今住んでる部屋はそれほど広くないから、紬ちゃんが寝てる時だと起こしてしまう恐れがあった。さすがに親のそんなところを見せてしまうのはトラウマになりかねない。これは私たちも盲点だった。
それでも紬ちゃんが眠った後に音を立てないようにチャレンジしたり、時にはトイレでしてみたり……久々のSEXでしかも相手がりょーすけだから思いっきり楽しみたかったけど、なかなか難しかったというのが正直なところだ。
だから時折、紬ちゃんには本当に申し訳ないんだけど、夕方から夜にかけてちょっとだけお留守番してもらって、私の仕事終わりにりょーすけと家の近くで落ち合ってから一番近くのラブホテルに行く、というのがお約束になった。
もちろん紬ちゃんのために遅くならないように時間は考えてたけど……この時は本当に盛り上がって凄かった。お互いの過去の鬱憤を全て晴らすかのような……私なんかもう動物みたいになっちゃって恥ずかしかったな……
そうして二人で工夫しながら妊活を頑張ったら、その甲斐もあり私は妊娠することができた。
検査薬の結果を見た瞬間涙が止まらなくて、その姿を見たりょーすけが私の体調をすごく心配しちゃって逆に困らせちゃった。
産婦人科で妊娠を告げられたときもりょーすけと二人で嬉し泣きしながら抱き合ってしまって、先生と看護師さんも微笑ましそうにしながら苦笑い。私たちは本当にいろんな人を困らせちゃって申し訳なくなる。年齢のせいか本当に涙もろくなっちゃったなぁ……
妊娠しただけじゃ安心できないんだけど、幸いにもお腹の中の子供は順調にすくすくと大きくなってくれて。
どんどん大きくなる私のお腹を、紬ちゃんが不思議そうにポンポンと触るのが毎日の定番になっていたし、私もその光景がなんか好きだった。
ただ妊娠ってなるとやっぱり色々と大変で。
つわりや気分の躁鬱などで体調が安定せず、年齢的にも色々と無理はできず、ずっと油断はできなかった。
でも、私の側にはりょーすけがずっといてくれた。
私が気分悪そうにしてたらりょーすけがずっと背中をさすりながら横にいてくれて、逆に私が一人にして欲しい時はすぐにそれを察して「何かあったらすぐ声をかけて」と離れてくれて、家事や料理も私よりたくさんやってくれて、病院にも必ず付き添って話を熱心に聞きながら疑問点があればすぐ先生に質問したりしてくれて。
その上で紬ちゃんのお世話や仕事までこなしてくれたんだから、本当に頼りになったし、妊娠中に大きな不安を感じたことなんて全く無かった。
これがスパダリってやつなんだろうか、と思いながら、本当にこの人を選んで良かったと心の底から思えた。
※
そして。
「——おめでとうございます。元気な男の子ですよ」
今この瞬間、私は無事にこの世界に我が子を迎えることができた。
出産は噂には聞いてたけど、ずーっと痛くて苦しくて、世の中の母親はみんなこれを経験していたのかと思うと畏敬の念を禁じ得ない。
それでも、我が子を抱かせてもらった瞬間、私のこれまでの全てが報われたような気がして、痛みや疲れ全てが吹き飛んだ。これが親になるってことなんだって、とても感慨深かった。
そして出産に立ち会ってくれていたりょーすけも息子を抱える。
顔をクッシャクシャにしながら涙を流して、我が子の顔を見つめてる。
私はあなたの笑顔が好きだって、いつも言ってるのにな。
でも、私も視界が濡れて前が見えなくなってきたから、人のことは言えないや。
今だけは、仕方ないよね。
この瞬間だけはどうか、赦してほしい。
——こんな未来がやってくるなんて、あの頃は微塵も想像していなかったなぁ。
何を間違えたんだろう、なんて悩んでいた、あの頃の私へ。
今なら、その答えが分かったから、教えてあげられるよ。
それはね。
私の人生で最高の幸せは、これから何度も訪れるってことだよ。
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