第10話 佐藤亮介

 美月との同棲生活が始まってしばらくが経った。


 同棲したての頃はまだメンタルも全快とは言えなかったし、美月に助けられっぱなしで自分が情けなかったけど、それなら美月にちゃんと恩返ししていこうというモチベーションで必死に頑張った。


 家事などは積極的に俺がやるなど主夫のような考え方で行動したし、美月が望むことはなるべく叶えるようにしている。仕事にもしっかりと向き合って、ネットで稼げるような仕事をしながら頑張っていたら、今では正社員時代と同様の額を稼げている。


 そうしている内にメンタルもすっかり回復して元気になっていた。本当に美月や小川家、俺の両親には足を向けて寝ることができない。


 養育費なども自分で支払いができるようになり、ついに紬との面会ができるように。


 これまで裕子とは養育費の支払いなどのために事務的な連絡は取っていたのだが、さすがに改めて面会の約束をするとなると、やはり連絡するのに緊張した。


 今までの仕打ちを考えると面会ですら断られるのではないかと思っていたが、あっさりと約束ができてむしろ拍子抜けしてしまったくらいだ。


 そしていよいよ、面会当日。


 待ち合わせ場所に裕子と紬が現れた。二人と会うのはかなり久しぶりだ。


 俺の知ってる紬の姿よりも随分と大きくなっていて驚いた。紬ももう小学生だもんな。


 そんな娘の成長を側で見られなかったことは悲しいことだが、今は久しぶりの再会を喜ぶとしよう。


 裕子に関しては本音を言ってしまえばもう会いたくもない相手ではあるが、今は紬のことを預かってくれている身。


 過去の遺恨はあれど、やはり紬に醜い父親の姿を見せるわけにもいかないし、ここは大人としての態度をとる他ない。


「久しぶり、二人とも。元気にしてたか?」


「えぇ……そうね」


 そうやってぶっきらぼうに答える裕子。


「……?」


 そこで初めて気付いたのだが、二人の様子がどうにもおかしい。


 うまく言語化することができないが、なんというか、覇気がないというか、元気がないというか……負のオーラみたいなものを纏っているように見える。


 彼女らは恐らく新しい金持ちの実業家の世話になっているはず。それにしてはなんか、みすぼらしいとまではいかないものの、清潔感?みたいなものが感じられない。


 とはいえここでどう声をかけたらいいかも分からなかったので、とりあえず今日の面会の話を進める。


「じゃあ、約束の時間まで紬は預かるから。また必ず連絡するよ」


「……」


 おれがそう告げると、裕子は何も言わずそのまま立ち去って行った。


 ……まぁ、彼女としても俺に対して思うことはあるだろうし、接し辛いはずだ。


 とにかく今は紬との時間を楽しむことにしよう。


 お昼時だったし、紬はまだご飯を食べていなかったようなので、まずはファミレスへ連れて行った。


「紬、なんでも好きに注文していいぞ。」


「……」


 言葉を発さず何となくメニュー表に目をやるだけで、やっぱり元気がないように見える。


 あまり活発なタイプの子ではなかったが、ここまでではなかったはずだ。俺の記憶にある紬と全然違う。


 もしかして嫌われてしまったんだろうか……紬から見たら俺は自分を見捨てた父親だと映っているのかもしれない。


 嫌な想像が脳裏をよぎるが、とにかく紬を楽しませようと会話を続ける。


「ハンバーグ、好きだったろ?デザートもつけようか」


「……うん」


 もしかして食欲がないのか?と思いきや、料理が届いた途端にすごい勢いで食べ始めた。


 お腹が空いてたんだな……なんて思ったが、様子を見てるとどうもおかしい


 まるで、飢えてる、かのような……


「す、すごい食べっぷりだな、紬。そんなにお腹空いてたのか?好きなだけおかわりしてもいいぞ」


 それからサイドメニューやデザートまで平らげた後で、ケプッとお腹をさすりながら満足した表情を見せる紬。


 その顔を見てやはりこれまでの様子が気になったので、改めて尋ねてみる。


「紬、最近どうだ?ご飯はちゃんと食べられてるか?学校は楽しめてるか?何かあったらお父さんになんでも相談してくれよ」


「……」


 紬はしばらく俯きながら沈黙した後。


「……お父さん」


「ん?どうした?」


「――助けて」



 ※



 結論から言うと、紬は裕子にDVされてしまっていた。


 紬から聞いた情報を元に話をまとめるとこうだ。


 かつて紬が連れ去られた際、裕子から「もうお父さんには会えない」と言われた。

 理由を聞いたけどうまく答えてくれなくて、お父さんのことは好きだったから悲しかったけど、小さかったからそういうものなんだと思っていた。

 新しい男の人のところに連れられたけど、紬の面倒を見るわけでもなくただお金を渡してくれるだけの人という認識で、その態度があまり好きになれなかった。

 裕子とその男は結婚はしてないらしく、あくまで恋人という関係だった。

 しかしある日、男が仕事で失敗してお金が立ち行かなくなったとのことで、突然家を追い出されてしまい、男の行方も分からなくなった。

 二人は裕子の母がいる実家に帰るしかなく、今でもそこに住んでいる。

 しかし裕子は間男との生活での金銭感覚が抜けなかったようで、金遣いが荒く、離婚時に俺から渡していたお金などは使い果たしてしまい、仕事を始める様子もなく、生活に苦しんでいる。

 義母はパートをしているが、体調を崩して休みがちになってしまい、最近は俺や俺の両親が支払っていた養育費や財産分与頼りになっていた。

 このような生活状況のせいか、裕子は紬に八つ当たりするようになってしまった。

 それがどんどんエスカレートして、最近は物で殴られて痣になったり、酷いときはガラスのコップを投げつけられることも。直撃するようなことはなかったが、破片による切り傷が残っていた。

 しかも金銭的な問題から、ご飯をろくに食べさせてもらえない日もある。

 裕子の母はそれを見て見ぬふり。

 今日突然お父さんに会いに行くと言われて驚いたが、チャンスだと考えた。

 お父さんには黙ってろと脅されたが、お父さんの態度が記憶と変わっていなかったことに安堵し、勇気を出して助けを求めた。


 間男は実業家だったと聞いていたし、恐らくその事業が立ち行かなくなったんだろう。会社員と違って事業は当たれば大きいが、失敗のリスクもそのぶん大きい。ある日突然お金が回らなくなると言った事態も十分にありえる。


 それに間男は裕子に俺との裁判のアドバイスをしていたであろう男だから、結婚していないのも納得できた。その辺りは抜かり無かったらしい。


 裕子はもともとプライドが高い節もあったし、一度手に入れた贅沢生活を忘れられずにいるのだろう。しかし元々可愛がっていた紬に八つ当たりするまでになるとは、人は悪い方向にも変わってしまうものだ。


 そして裕子の母に関して、もともとあの親子のパワーバランスは裕子が立場的に上だと思っていたが、まさか孫を見捨てるほどまでとは思ってもいなかった。もしかしたら彼女たちにも、何か俺の知らない事情があるのかもしれないが。


 なぜDVがバレるリスクがある状況で紬を俺にすんなり会わせたのか不思議に思ったが、それは恐らく面会拒否による金銭的制裁を恐れたのではないかと推測した。現在の裕子にとっては金が何よりの優先事項だろうから。


 このままだと本当に紬の命に関わりかねないということで、俺は紬を守るために即行動を開始。


 まずは紬が彼女の口から証言しているところを証拠のために録音、すぐに病院へ連れて行って事情を説明しながら診断書を出してもらい、そのまま警察へ。


 警察でもしっかりと話を聞いてもらえ、裕子は逮捕された上で取り調べを受けることになった。


 紬の今後についてだが、今の俺の生活状況を説明して俺の元で保護できることを主張。その際同棲している女性がいるということで、美月には申し訳ないが直接来てもらった方がいいと考え緊急で呼び出させてもらった。


 美月も育児に協力的な姿勢を十分に見せてくれたのだが、残念ながら家庭裁判所の判断が必要とのことで、警察から児童相談所へと連携がいき、一旦保護施設の預かりとなってしまった。


 やはり即日紬を連れて帰るというのは難しかったが、美月と紬の初対面は良い雰囲気で、それは収穫だったので無駄足とは言えなかったかもしれない。


 とはいえここで諦めるはずもなく、俺は以前お世話になった弁護士に相談しながら、紬を受け入れるための手続きを開始。


 幸いにも家庭裁判所や児童相談所が早く対応してくれて、我が家で紬を保護されることが認められた。それでも少し時間はかかってしまい、紬を待たせることになってしまったが。


 DVの証拠があること、紬が元の家に戻りたがっていないことなどはもちろん、美月が正社員で働いており彼女も育児の協力に前向きな態度を示してくれたのが間接的に評価されたみたいだ。


 裕子の処分については、最終的に期限付きの接近禁止令および執行猶予付きの懲役1年となった。初犯ということやDVの期間などが考慮された結果だが、これで裕子は文字通り罪を背負ってしまった。これに関しては完全に自業自得であるので、しっかりと償ってもらう他無い。


 また、今回の紬の保護は暫定的な措置なので、これを機に俺は弁護士を通じて親権変更のための手続きも並行して進めている。正式な親権変更までには時間がかかってしまうが、これまでの背景から恐らく問題ないだろうと弁護士からお墨付きも貰えた。



 ※



 こうして俺と美月と紬での3人の生活が始まった。


 最初は本当にやることが多くて、目が回るほど忙しかった。法的な手続き、紬のメンタルケア、学校の手配など大きな問題から、紬の部屋や寝床、必要なものはどうするかなどなど考えることがとにかく多いし、並行して家事や仕事もやらねばならない。


 美月も手伝うと申し出てくれたが、彼女は正社員としてフルタイムで仕事しているし、これは父親としての責務なので丁重にお断りした。ただ家事は積極的に手伝ってくれて、そこは本当に助かったし感謝している。


 俺が不甲斐ないせいで紬を苦しめてしまったのだから、これは俺の罪滅ぼしでもある。


 そして何より、経緯としては喜ばしいものではないが、父親としての愛情をこれからは存分に注げるという嬉しさもある。どれだけ体を動かしても不思議と疲れを知ることはなかった。紬を幸せにできるよう精一杯努めていきたい。


 俺がこのタイミングで在宅のフリーランスだったのは幸運だったと言えるだろう。仕事する時間を自由に選べるし、ずっと紬の側にいることができたから、結果論ではあるがこの道を選んで本当に良かったと思える。


 紬は元々俺に懐いてくれていたことから、幸いにも心を開いてくれるまでにそれほど時間はかからなかった。


 紬と美月がうまくやれるか最初は心配したが、それも完全な杞憂だったようだ。


 美月は面倒見がいい性格だし、紬のことも本当の我が子のように可愛がってくれている。


 紬も最初は見知らぬ女性ということで警戒心はあったようだが、美月の人柄や彼女の献身的な態度ですぐにそれもなくなり、本当に仲良くやっている。


 ここに来た当初は紬は俺と一緒に寝てくれていたのだが、最近では美月と一緒に寝ているほどである。二人がそれほど仲良くなってくれて俺としても嬉しい。まぁたまに俺とも寝てくれてるし……寂しくなんかはない。


 そうして俺たちは、今では本当の家族のように過ごせている。


 一応紬には、美月は過去の恋人で、今は利害関係が一致したから友人としてルームシェアをしてる相手だと伝えてある。事あるごとに紬から「早く恋人に戻ればいいのに」なんて言われるのだが。いつの間にかおませさんに育っていたみたいだ。


 そして今は晩御飯で団欒中。


 今夜は美月が腕によりを掛けてご飯を作ってくれて、俺と紬は舌鼓を打っているところだ。


 俺も家事のレベルは上がったと思っているが、料理に関しては美月には全く歯が立たない。裕子もほとんど料理はできなかったし、これも紬が美月に懐いている大きな要因の一つだろう。


「美月さんのご飯、今日も美味しい!」


「ありがと、紬ちゃんがいつも美味しいって言ってくれるから私も頑張れるよー」


「お父さんの料理も好きだけど、やっぱり美月さんには敵わないな〜」


「はは、お父さんもそう思うよ。俺も頑張って追いつかないとなぁ」


 そうやって和気藹々と会話中に。


 紬がポソリと。



「あーあ、美月さんがホントのお母さんだったら良かったのになぁ」



 それは本当に何気ない一言だった。


 しかし俺としてはなかなか反応に困る言葉でもある。


 紬のこれまでの境遇を考えると、恐らく本心ではあるのだろう。


 俺からしても、裕子のこれまでの行動は目に余るものがあったし、決して許せるものではない。


 だが、美月ではなく裕子を選んでしまったのは俺自身だ。


 それに紬は裕子が命懸けでお腹を痛めて産んでくれた子だし、その後にしっかり育児もやってくれていたことは事実で、裕子でなければ俺は紬に会えることもなかったのだ。


 また、見方によっては、裕子は男と金に人生を狂わされた被害者と言えるかもしれない。


 もちろん彼女の選択の結果であるし自業自得な部分は否めないのだが、事の発端であり、彼女を巻き込んでしまった加害者の一人であり、彼女をちゃんと愛することもできなかった俺が何か言えるのだろうかとも思ってしまう。


 甘い男だと言われるかもしれないが、そんな理由から俺は裕子にこれ以上の金銭的な制裁や要求はするつもりがないし、彼女のことを心の底から恨むなんてことができずにいる。


 そういった考えなのでここで裕子を完全な悪者にしてしまうのもどうかと思ったし、どうにかフォローできないか、紬にどう言ったものかと慎重に言葉を探る。


「うーん、そうだなー。でも裕子も紬のことを…………って、美月?」


 ふと美月に目をやると。


 彼女が持っていた箸をポトリと落として、目を見開いたような表情で固まっていた。


 突然どうしたのかと、困惑していたら。


 美月がいきなり立ち上がって、そのままの勢いで紬を抱き寄せた。



「ごめんなさい!ごめんなさい!!あなたを……あなたを、うっ、うぅ……産んであげられなくてっ……ごめんなさいっ!!」



 わんわんと子供のように泣きながら紬を全身で強く抱きしめる美月。


 俺が浮気を自白したときにも、彼女はこんな泣き方をしていなかった。


 紬も訳がわからないといった顔でキョトンとしながら、されるがままになっている。


 ……そっか。そうだよな。


 俺は本当に、どれだけバカなんだ。


 俺が彼女との結婚生活で色んな葛藤を抱えていたように。


 きっと彼女にも、俺には想像し得ないような葛藤があったはずなのに。


 そんなことに、今更気付いた。


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