第4話 出会い04

 学生が多い場所の伝承となると、歴史の重みのあるものよりも、色恋のジンクスについで怪談話が多い。鐘が鳴り終わるまでに告白すれば一生別れずにすむというジンクスと元々武器だったものを煮溶かして作った鐘なので夜中になると元の形に戻りたがり、誰も鐘をついていないのに鳴り響くというような怪談話が同居していたりする。どちらも礼拝堂にまつわる話だ。

 第一棟の正面玄関に飾られている初代学園長の彫像は霧悟国を見つめているが、誰もいない夜中には佳華国の都を見ている。

 これは怪談でもなんでもなく、何代か前の学生がそういう動きをする人形に置き換えてしまい、教員も見て見ぬ振りをしているという落ちがある。

「中央図書館にまつわる話は、図書館の外壁全てがゴーレムだという噂かな」

 葉誦は外壁を左手で叩く。煉瓦を積み上げたそれはコンコンと乾いた音がした。

「じゃあ」

「そう! 特定のキーワードを発すると壁は全部、土人形になって図書館を全力で守るという話だよ」

 葉誦は言った。

「それは素敵ですね」

 珠霞はぺたりと両手で外壁にさわる。

「ところが、そのキーワードはいまだ特定されていないらしい」

「そうなんですか。

 有事の際に困ってしまいますね」

 どこが腕でどこが足なのか探るように、少女の白い手が外壁を撫でる。

「造化学の教授は知っているという噂もある。

 学生が面白がって図書館の外壁をゴーレム化すると困るから、そのキーワードは複雑にしてあるって話も」

 厚みのある外壁は夕焼けの光を浴び、オレンジ色に淡く輝いている。

「どんな言葉がキーワードなんでしょうね」

「古代語なのかな。中央図書館に納められている本よりも古い時代とか」

「じゃあ、借り出し不可の本なら載っているかもしれませんね」

「うーんどうかなー」

 葉誦はコンコンと外壁を叩く。

「載ってそうですよ」

「石板かもしれないよ」

 少年は大真面目な顔を作ると少女に言った。 

「確かに!」

 珠霞は笑った。

 二人は図書館から大時計に続く木立を並んで歩く。

 西に背を向ける形になるから、影を見て歩くことになった。

 夏でもこの時間の影は長い。

 ゆらゆらと揺れながら、二つの影は重なったり離れたりする。

「第一棟こと本館の大時計にはたくさんの話がある。

 鐘がついているわけじゃないから鳴らない時計なんだけど、夕方6時になると突然鳴り響くことがあるとか。

 これは女の子が好きそうな話だけど。

 聞こえないはずの音が聞こえたとき……」

 葉誦は木立の影を選んで歩いていく。

 今日の日差しはやけに明るく、落ちていく気配がしない。

「どうなるんですか?」

 珠霞が尋ねる。

「運命の人に出会えるそうだよ」

「そうなんですか!

 どんな音なんでしょうね」

「聞いてみたい? やっぱり」

 少年は、少し遅れてついてくる少女をちらりと見やる。

「運命の人ですよ!

 会ってみたいじゃないですか。

 葉誦さんは自分の人生を変えるような人に会ってみたくないのですか?

 どんな人なのか気になります」

 珠霞は目をきらきらと輝かせて言う。

「普通は、運命の人というのは恋人だと思うんだけどさ」

「え、あ……そっか。そうですよね。

 運命の人って、未来の恋人なんですね」

 少女は自分の手を頬に当てる。

「勘違いしてました」

 恥ずかしいと、珠霞は笑う。

「まだ気になる?」

「別の意味で気になります。

 きっと、たぶん。なんですけど。

 鳴り響くのは大時計にはない鐘の音じゃなくって、自分の心臓の音だと思うんです。

 似ていませんか? 心音と鐘の音って」

「加学的だね。そういう夢解きがありそうだ」

「時計は時間そのものを意味しています。

 新しい時計を購入する夢は、計画を始める暗示だったりするんですよ。

 仕事や学業を暗示することもあります。

 あとはひらめき。

 ……噂話とはちょっと違いますね。そこが面白いです」

 珠霞は言った。

「他には大時計には13時があって、12時59分に文字盤を見ると13の数字が見える。

 見た人は一週間以内に別の世界に招待されてしまう」

「神隠しですか?」

「帰ってきた人はいないって話だよ」

 葉誦は声を低くする。

「その13時も夜の12時59分なんでしょうか?」

「昼間から人間が消えたら大騒ぎだろうからね。

 夜中だと思うよ」

「怖い話は夜中ばかりですね」

「そうだね。夕方から明け方にかけての話ばかりだね。

 きっと夜の住人が怖いからだろう」

 葉誦はうなずいた。

「夜に見るものは本質だと言いますね。

 怖い世界が本当の世界なのかもしれません」

 珠霞はささやくように言った。

 ピンクヴァイオレットの瞳は影が落ちこんだように、暗い。

 葉誦は肯定も否定もできなかった。

 迷信だとするには理屈では片付かない話が多すぎたし、真実だというには馬鹿馬鹿しい話が多すぎた。

 引っくり返した玩具箱のように伝承は雑多であった。

「葉誦さんはどちらの世界の住人なのですか?」

 珠霞の問いかけは唐突だった。

 少年は足を止め、少女を改めて見る。

 夕映えの中にあっても白い肌。白い……白すぎる肌が妙に印象に残る。

 サファイアグラスと譬えても足りない瞳が翳ったせいだろう。

 プリズムイエローの髪は素直に夕焼け色に染まって、鮮血がまとわりついているように見えた。

「僕かい? 昼間の住人だよ。

 夜の住人はもっと違う外見をしていて、生活基盤が違うんだから」

 背に大きな羽を持っていたり、獰猛な爪を持っていたり、あるいは身の丈が極端であったり。

 亜人種と呼ばれ、さらに夜の住人と呼ばれるような生き物は佳華国にはいない。二百年前の戦争より前に国内から駆逐されたのだから。

 兵器として戦争に使ったのは霧悟国側だ。兵士だったのかもしれないが、佳華国側から見れば兵器にしか見えなかったようで、混乱した文献が残っている。

 美しい女がいきなりサーベルタイガーのように牙を生やして襲いかかってきた、とか。なまじ外見が人間そっくりに化けられるから性質が悪く、佳華国側は大きな被害にあったらしい。

「君の国ほど夜の住人の研究が進んでいるわけじゃないから、あれだけど」

 葉誦は大時計に向かって歩き出した。

 軽い足音がひたひたとついてくる。珠霞の足音だとわかっているけれど、妙に早歩きになる。

 話題がデリケートすぎるのが悪いのだろう。

「僕の両親は人間だし。もうすぐ17になるけど、これまでだって一度も変化したことがないよ。

 そりゃあ、魔術師を目指しているんだから、少々変わり者かもしれないけどさ。

 僕の両親も魔術師なんだ。二百年前からずっと代々魔術師なんてやっていると、そうなるもんだ。って思いこみが強固になって。

 結局、両親の期待通りの道を歩いてきてるわけだよ。

 向いているか、どうかは……たまに自信がなくなるけど」

 葉誦は思いつくままに話し出した。プライベートな話題すぎるような気もしたけれど、ちょっと調べればわかることばかりだ。

「戦争での償いとか、そういう高尚な精神で、代々魔術師を務めてきたわけじゃないらしいけど。

 それ以外の職業に就くとなると大変でさ。

 夕凪を卒業して、さらにどこかで働けばそこそこの地位と給金が当てにできるわけだし。

 そんなに悪い条件じゃないって」

 気がつけば大時計の前まで来ていた。

 葉誦は大時計を見上げ、違和感に覚えた。時計の針は5時59分を指している。珠霞を案内し始めたときに遠目で見たときも、時計の針はこの形をしていた。

「どうかしましたか?」

 珠霞は問いに、葉誦はギクリっとした。

「時計が」

 震える歯を押さえつけ、葉誦は言った。

「止まっているようですね」

 珠霞はごく自然に言った。

 まるで最初から知っていたように、自然に。

「いつまでも日が沈まないなんて」

 時計は故障したのだとしても、不自然さは拭われない。学園の中央部を一周してきて、日が沈まないということがありえるのだろうか。……ありえない!

 図書館から大時計までの木立は静かだった。蝉がうるさいぐらい鳴いて有名な場所なのに……ここに立っていても、音がない。風がない。

 自分の心音だけが耳に響いている。

「変だ」

 葉誦はやっとのことで言った。

「気がつきましたか?」

 少女は葉誦を見上げた。

 少女の足元から大きく伸びた影は、葉誦の影を押さえつけている。

「君は誰だ?」

「加学科二年の珠霞です」

 少女は名乗った。

 本当にそんな生徒がいるのか。

 隣部屋の輪影から一度も話を聞いたことがない。あのおしゃべり好きが、これほどの美少女の話をしないなんておかしい。

 それに二年生なら学園内の有名どころの話はみな知っているはずだ。一年生のときに先輩から教えこまれるのだから。一つや二つ知らないものがあったとしても、中央図書館や大時計の話を知らないはずがない。

 それに、学園を案内している間、誰ともすれ違わなかった。

 ずっと二人きりで。彼女は……何故、彼女は夕焼けの中にいてなお白い肌をしているんだ。止まったままの音の中で、彼女の足音や話し声は聞こえるんだ。彼女はそう、最初会ったとき、ホールで……お茶を一口も飲んでいないじゃないか。不自然だ。

 大時計。影が落ちたそれはまるで大きな墓標みたいじゃないか。

 夕方6時にはならない。時計は5時59分で止まっている。13時の神隠しではなく、本当は夕方6時の神隠しだったのだろうか。

 足りない1分。消えた時間。

 葉誦は後ずさる。

 ここから出て行かなければならない。

 そのひらめきが葉誦の足に翼を与える。少女の影から葉誦の影は離れ……。


「葉誦さん!!」


 不思議な浮遊感。景色が逆さまに見えた。

 夕映えの中、柔らかく光るアンバーの輝き。それは少女の右耳元から……。

 大振りな耳飾にアンバーがあしらわれていたから、そう見えたのだ。

 葉誦は全部、思い出した。

 長期休暇の前日、『戦勝祭』のあった夕方。

 この大階段から落ちたんだ。

 今日の記憶は全部、紛い物だったんだ。

 それならば、彼女は、珠霞は誰なんだろう。

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