第7話 かすかな温もり
学園都市「夕凪」探訪も3日めが終わろうとしていた。
観光名所はほとんど回りきった。意外に観るものがあるんだなと葉誦は再確認するほど、あちらこちらを訪れた。
灯台下暗しとはよく言ったもので、珠霞に質問されて、改めて考えて答えるという状況も多かった。
「もう陽が沈みますね」
少し遅れてついてくる珠霞が言った。
太陽は学園都市「夕凪」の外壁を真っ黒なシルエットにし始めていた。
空はサファイアグラスのように輝いている。
色という色がそこには集っていた。
「寄ってもいいですか?」
控えめに少女は尋ねる。
「もちろん」
葉誦はうなずき、二人は学院の大階段を登っていく。
風はまだ生ぬるく涼風の呪が効いたコートは手放せない。
脱いだら最後、一段登るごとに汗だくになるだろう。
珠霞もローブをきっちり纏っているところを見ると、同意見だろう。
一歩歩くごとに蝉の鳴き声が大きくなっていく。
図書館から大時計にかけて続く木立に生息する蝉は今日も元気なようだ。
大時計はそろそろ6時を示している。
5時59分の幻影は形すらない。
本当にあれは「夢」だったのだ。
大階段の踊り場で二人は立ち止まる。
葉誦が珠霞と初めて出会った場所、アンバーの襟飾りを落とした場所、珠霞の耳飾もアンバーだと気がついた場所。
「夕凪」が一番、美しく見える場所。
しばし二人は無言になった。
「この国は美しいですね」
静かな口調で珠霞は言った。
葉誦は少女のほうを振り向くと、真っ直ぐなピンクヴァイオレットの視線と出会った。
少年はさりげなく目を逸らした。
少女の言葉が純粋な賛辞だったから気恥ずかしかった。
自信を持って「そうだ」と言えるほど、この国を、自分の国のことを知らない。
それを思い知ったばかりだった。
「そうかな」
ごまかすように葉誦は言った。
「はい。とても美しいと思います」
視界の端にいる少女は夕焼けに染まる「夕凪」を見つめる。
ブリリアントイエローの髪も、大振りな耳飾も、美しい夕焼けで染まる。
白い肌にもほんのりと紅が乗り、より柔らかそうに見えた。
少年から見れば、美しいのは少女のほうだった。
「見えるところだけだよ」
葉誦は夕闇に沈みこもうとする学園都市を一瞥した。
ふいに珠霞が葉誦に向き直った。
「それは『全て』という意味ですよね。
『目に見えるものは正しい』のです」
有名な魔術師の一説を少女は弾むように言った。
葉誦は目を瞬く。
まったく敵わない。
珠霞は驚くほど前向きに言葉を受け取る。
葉誦とて、霧悟人に褒められるのは悪い気はしない。
こだわり屋の霧悟人が手放しに褒めるのだから、佳華人としては大いに喜ぶところだろう。
「君に美しいと言ってもらえて、とても嬉しい」
少女が褒めてくれた。感心してくれた。
そちらのほうが何倍も嬉しかった。
案内役になって良かったと思う。
それが伝わればいいなと思いながら、葉誦は一言一言をはっきりと言った。
夕焼けを閉じこめても、なお輝くピンクヴァイオレットの瞳は一心に少年を見上げる。
「レポートは書けそう?」
葉誦は沈黙に耐え切れずに、無難な質問をした。
少女の案内役に任命されたおかげで、自分のレポートはバッチリだ。
一人で回るよりも、二人で回ったほうが新しい発見がある。
その相棒が霧悟人だとすれば、なおさらだ。
今年は変わった切り口でレポートが書けそうだった。
「はい! 葉誦さんのおかげで書けそうです!
今まで案内ありがとうございました」
珠霞はペコリとお辞儀をする。
ブリリアントイエローの短い髪がサラサラと零れ落ち、大振りな耳飾りのアンバーもきらりと光った。
「よろしければなんですけど。
お暇なときは、どこかに遊びに行きませんか?」
珠霞は顔を上げると提案した。
願ったり叶ったりの案に、葉誦は飛びついた。
「もちろん!
友だちになったんだから、明日からは勉強抜きで遊ぼう」
「ありがとうございます」
珠霞は嬉しそうに笑った。
その笑顔をいつまでも独占していたいな。
新学期まで日があるとはいえ、寮には居残り組もいるから、うかうかしていられない。
そんなことを思いながら
「当たり前のことだよ」
と葉誦は答えた。
「葉誦さんは優しいんですね。
佳華国の人は怖いイメージがあったんですが……初めての佳華国の友だちが葉誦さんで良かったです」
珠霞は言った。
「そうかな?
僕は普通だと思うよ」
「親切で、私は嬉しいです。
とても助かりました」
「珠霞こそ、夢の中に入って助けてくれたじゃないか」
あのまま夢をくりかえしていたかも知れないと思うと、ぞっとする。
加学での処置が早かったからこそ、葉誦は元気に復帰できたのだ。
「あれは私が原因を作ってしまったようなものですから。
だから、あの一件は……」
珠霞はうなだれる。
「じゃあ、どっちもどっちということにしておこう。
それでも『ありがとう』を言わして欲しいんだ」
少年は言った。
「私も『ありがとう』と言わせてください」
たくさん感謝の言葉を口にしてきた少女が言う。
そして右手を差し出す。
葉誦も右手で少女の手を掴む。握手だ。
今までありがとう、これからもよろしくという気持ちをこめて。
珠霞の手は小さくほんのりと温かい。
そのかすかな温もりが気持ち良かった。
「明日からもよろしくお願いします」
珠霞は言った。
名残り惜しかったけれども、葉誦は少女の手を離した。
「こちらこそ」
葉誦は微笑んだ。
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