第3話 出会い03
いつもは学生で賑やかな寮のホールも人気がなかった。
長期休暇で多くの学生は故郷へ帰っているし、数少ない居残り組みも夕食までの貴重な時間を思い思いに過ごしているからだろう。あるいは昨夜の『戦勝祭』の余韻が体に残っていて起き上がれないか。
そんな様々な理由で妙に広いホールに、葉誦と珠霞は二人きりとなった。
「どうぞ」
セルフサービスのお茶を少女に差し出す。
「ありがとうございます。
葉誦さんは左利きなのですか?」
少女は両手でお茶を受け取る。
「いや、右利きだけど。
あ! ちょっと右手をぶつけたみたいで」
葉誦は椅子に座ると、珠霞の目の前で空いている右手を振る。
「治療院に行くほどじゃないんだけど、何となくね」
痛みはほとんどなく鈍い感覚だけが腕に残っている。
珠霞の表情が曇った。
「大丈夫、痛みはないんだ」
葉誦は慌てて言った。
「そうですか。
先ほどの話に戻りますが、加学辞典が必要なのでしたね。
どのようなことが知りたいのですか?」
少女は微笑み、尋ねた。
「階段から落ちる夢を見たんだけど、妙にリアリティがあってさ。
気になるから調べたくなったんだ」
「夢解きですね。わかりました」
珠霞はこくりと頷いた。
テーブルの上にお茶を置くと
「階段は目的、将来、時間を意味することが多いです。
上りは未来で、下りは過去を意味します。
あるいは権威や秩序。
そこからの落下は大きな不安を意味します。
将来の不安や、努力が報われないといった状況を暗示することが多いです」
珠霞はそこで言葉を切り、葉誦を見た。
ピンクヴァイオレットの大きな瞳がひたりと見つめる。
サファイアグラスは夕焼けを覆うと言った古い魔術師の言葉が、理解できそうな気がした。
「ところで、夢から覚めるとき、寝台から落ちそうになったりしませんでしたか?」
珠霞は尋ねた。
「……恥ずかしながら……寝台から落ちました」
葉誦は白状した。
「身体の落下が、階段から落ちる夢を見させた可能性が高いですね。
そういう事例の方が多いのです」
「そうなんだ」
「夢に心当たりがなければ、その可能性が高いと私は思います。
不安ならば、治療院で本格的な検査を受けてみると良いと思います」
「本格検査ってさ。夢を干渉したりするんだろう?」
「はい。加学とは本来そういう分野ですから。
お嫌いですか?」
珠霞は口を真一文字に引き結んだ。
見ればテーブルの上に行儀良く並べられた両手が微かに震えている。
葉誦は失言したことに気がつく。
「まだ、受けたことがないからさ!
未知の領域に踏みこむときには一定の不安が残るというか、躊躇することってあると思うんだ。
別に加学が悪いってわけじゃなくって。
したことがないから、無駄に不安になっただけで」
葉誦が思いつくままに話すと、少女の大きな瞳がパチクリと瞬く。
ややあってから、珠霞は微笑んだ。
「葉誦さんは優しいんですね」
「そ、そうかな。普通だよ。
そういえば、僕の部屋の前にいたのって、何か用があったんじゃないかって思ったんだけど。
どんな用があるの?」
「静柊先生から話を聞いていませんか?」
珠霞は眉をひそめた。
「え?」
葉誦は昨日の記憶を引っ張り起こす。
特別講義の内容が濃すぎてそればかりが印象に残っている。静柊先生に頼まれたことがあったような気もするが、ほぼ徹夜続きだったのだ。記憶に薄い。
この時期。静柊先生と同じ霧悟人の女の子。……長期休暇の課題!
故郷へ帰る学生も多いから、長期休暇の課題は毎年同じだ。その土地ならではの伝承や祭りなどをまとめてレポートすること。帰れない学生は「夕凪」の都市伝説的なものであってもいいので、まとめて提出すること。と、なっている。
「課題か」
静柊先生に案内を頼まれていたような気がする。
霧悟人だから頼める相手がいないとか。偏見の少ない人物が望ましいとか。意欲的な人物でも困るとか。静柊先生はひとしきり嘆いていたような気がする。
「行きたい場所とかある?
もう、こんな時間だけど」
葉誦は言った。
「学園内のお勧めの場所を案内してもらえますか?」
「え?」
「意外に知らないので」
珠霞は恥ずかしそうに言った。
「そういえば、そうか。
じゃあ、早速、案内するよ」
葉誦は立ち上がった。
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