Episode:5 三つのお願い part.9

 地方大手インフラ企業の事務員である玄照納(くろ てりな)は、常に定時で退勤するのが信条だ。それを可能にするだけの事務能力は有しているし、時間外労働が生じたならば分単位で申請する。自分の業務外のサポートを頼まれたならば、その相手に後でランチを奢らせるなどの要求も忘れない。

 一社員として組織の規程を守りはするが、とにかくタダ働きでいいように扱われることは、彼女にとって我慢ならないことのひとつだ。

 そんな彼女は今、少し機嫌が悪かった。後輩の女性社員の理解力の無さに苛ついていたからだ。『こちらに同じことを二度も言わせる人間』は、彼女が最も嫌うタイプのひとつだ。


 午後六時過ぎ。定時を一時間ほど過ぎて退勤する玄のもとに、アプリ通話がかかってきた。それなりに付き合いの長い友人、出茂素(いでしげ もと)からだった。

 お互い、仕事の愚痴から夜の話まで包み隠さず話す仲。気晴らしには丁度いいと、歩きながらの通話を始めた。最初は周囲の人間に対する侮蔑に始まり、それからつい二週間ほど前に玄の身に起きた出来事の話題に移った。

「そういえばこの前話してた会社の上司、その息子だとかいうガキから絡まれたのよ」

「マジか! 修羅場じゃぁーん! どんなだった?」

「何かさ、もう親父とは会うな、関わるなって。無理してイキがって迫ってくるもんだから、ちょっとからかってやったのよ。ホテル行かないかって。たかがSEX、こんなもんだって分かれば世の中見る目が変わるってさ。それに共犯者になるから、お父さんを心の底から許せるかもよ、って」

「おおっ! それでどうした? 親子丼やっちゃった?」

「いいや、何か勝手に発狂して捨て台詞吐いて帰ってった」

「あらー。やっぱアレかな? 恋愛に夢見がちな典型的な童貞とか?」

「あー、見た目ちょっとチャラくてガタイはいいけど、たぶん童貞。ムカつくんだよね、ああいう童貞根性丸出しであーだこーだ言ってくるガキって。自分は誠実な人間です、だから浮気は許せませんって、初対面でいきなり見下した目ぇしてくんの。そんなヤツのどこが誠実なんだっつーの。こういう世間知らずに限って、いずれ将来余裕で浮気したり風俗にハマったりするんだけど」

「さすが照納! そのフィロソフィー、正論、痛快すぎー!」

「ま、そんな自称・誠実な童貞の化けの皮剥いで現実突き付けてやるのも面白そうだとは思うんだけどさ。でもそういう男って最初の挨拶、会話の時点で何かつまんなくなって、結局そこまで至らないんだよね」

「そうそう。私も…………」

「わかるー。…………」

 玄と出茂の会話は、特に深刻そうなムードや沸き立つような憎悪のない、非常に軽妙な語り口だ。なおかつ、この国の一般的な道徳観からすれば、公共の場には似つかわしくない内容だ。

けれども誰かにひけらかすような声量ではないし、少し距離を置いてすれ違う人々の誰かが気に留めるわけでもない。彼女らにとってはせいぜい、昨日何食べた、程度の重みしかない。

「そんな照納に朗報。外資系の支店の男共との合コンあるんだけど、あんたも来る?」

「いいねそれ。楽しそう」

 気が付けば、いつも乗車するバス停を二つほど通過してしまっていた。もう一つ、二つくらい歩いてしまいそうだ。少し健康に良いことをした気になれた。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 二月第一週の火曜、放課後の午後六時前。眞北と喬松はM市街地に向かい、久しぶりに二人でゲームセンターで遊ぶ約束をしていた。

 だがここに来る途中、町中には救急車、あるいはパトカーと思しきサイレンが響いており、何やら不穏な空気が漂っていた。

「うわぁ……マジかッ。この街にも酷ェことしやがるヤツがいるもんだなぁ」

スマホで地元のニュースアプリを開いてみた眞北は、そこに表示された最新情報に顔を顰めた。どうやらM市のH公園で、女性が何者かに刺され重傷を負ったという。先ほどのサイレンはそのことで間違いなさそうだった。

不安感と不快感が混じった表情を浮かべたのは、喬松も同じだった。その上で彼は、冷静に一般論を口にした。

「言っとくけど、見に行ってみようなって思うなよな~? 野次馬ってのは結局、助けなきゃいけない人、助ける人には邪魔でしかねぇんだし。バズり目当ての写真撮影なんて絶対厳禁だ」

「おう、そうだな! タカ、お前たまに良いこと言うなぁ」

「おー、褒めてくれマキちゃんガンガン褒めてくれ。こーゆうのこそ正論ってやつよ」

 被害者に同情したくもなる傷害事件だが、自分たちとは無関係。それにせっかく久しぶりに遊ぶ時間だ。身内に関することや天変地異でもない限り、行動を変える理由にはならない。


 クレーンゲームのコーナーを抜け、階段で二階に上がった先にある、お目当ての筐体。四月に二人が知り合ってからたびたび一緒に打っている、有名ロボットアニメシリーズを模したバトルアクションゲームだ。

 眞北の愛機は、シリーズ屈指の知名度を誇る宿敵キャラクターが最後に搭乗した、深紅の重武装機体。とにかく派手好きでカッコよさ重視で赤が好き、単身突撃による無双展開を好む眞北らしい選択だ。

 喬松の愛機は、家族をテロで喪った哀しき過去を持つ青年が駆る、深緑の狙撃特化型機体。燻し銀の職人芸でカッコつけたがる傾向のある喬松は、やたらと最前線に出たがる眞北のフォローという役割を、結構気に入っている。

「当たらなければどうという事はない!」

「狙い撃つぜ!」

 隣同士の筐体に座る二人。機体選択後、程なくしてオンライン上の顔も分からないコンビとのマッチングが決定した。画面の中だけの極めて平和的な、架空戦記の始まりだ。



(終)

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PRAYSE計画 神波 @kanamikouki

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