【第四章】 イエスタデイズ
#1 レボリューショナリー・ロード ①
朝から、ひどく冷え込んでいた。
流れる景色の上で、曇り空が広がっている。
「……」
車内に、会話はない。伸びた腕が、何度もカーステレオをいじくりまわしてはやめる。
うっとうしいからやめろと、ハバキは言うべきだった。
しかし、できなかった。助手席で、エダは肘をついて外を眺めている。
むっつりと押し黙ったまま。かたくなに、こちらを見ようとしない。
なんだか、だんだんと、腹が立ってきた。自分でも説明が困難な感情だった。
……ハンドルを強引に切った。
傍らで、ようやくなにか文句が聞こえてくる。
◇
事務所に訪れたのは、スーツ姿の大柄の男。ネイティブアメリカンの血が流れているらしい。長髪に羽根飾り。彼はどっかりとソファに座り、ただこう言った。
「俺はメッセンジャ―だ。俺にエゴはない。俺は車も乗らない」
差し出された写真。
女性が椅子に縛り付けられている。パンク風の装い――口元から血を流している。
ハバキの横で、エダの息を呑む音。
「知ってるなら話がはやい。救出を頼む」
その後与えられたのはわずかな情報と、写真の場所だけ。
――どう考えても怪しいだろ。何があるか分からないぞ。
ハバキはそういった。しかし彼女の目線は写真のなかにあった。こちらを一瞬たりとも、見ようとはしない。
――あんたは。
――仮に何かの罠だったとして。写真に写っているのは。ケガをした、私の知り合いなんだよ。かわいそうじゃないか。
そう言って、彼女は顔を上げた。
笑っていた。だが、その瞳のなかに、果たして自分が居るのかどうかは分からなかった。なぜって、そこにうつっていたのは、なにか底なしの光のようなもの。
――隔意。
ゆっくりと、その二文字が、首をもたげてくる……。
◇
フィアットは、港湾地区にたどり着いた。
華やかな自然公園がある側とは、ちょうど街を挟んで反対の、北側に位置する。
うすぐもりの、灰色の港。クレーンのいななきと、タンカーの重低音。工場地帯の煙が遠くで瞬いている。
「開発途中で、打ち捨てられた場所だよ」
膨大な、何もない敷地がべったりと広がっていて、雑草が生い茂っている。申し訳程度に、『作業中』と記したバリケードがめぐらされているが、もはや意味をなさない。
降車した先に、大きな亡霊のような廃墟が見えた。
コンドミニアムの亡骸。壁材が剥がれて、ところどころ鉄筋がむき出しになっている。
『~~~夢を~~~~~』。大昔に、なにかの理想を謳った宣伝広告の痕跡。何故か気になって、見上げていると、いつの間にか、エダが先に進んでいた。
「おい、待て。少しは警戒しろ。何があるか分からない」
我ながら陳腐だ、と思う。そんな文言で、止まるわけもない。
「……きみが、守ってくれるんだろう?」
彼女はそう言って後ろを振り向いて、笑った。
――あんたは本当に。どうしようもない。
――あんたの後ろにいるってことは。あんたを、斬れるってことなんだぞ。
まもなく、彼女は、廃墟の闇に吸い込まれていった。
◇
木製の残骸がまき散らされている床。ガラス片がプリズムのように光っている。
「よくある話さ。ロハス的な暮らしをしたいがために、ログハウス風の設えをたくらんで、失敗した……」
きしむ階段を上がりながら。何もない窓から光の線。薄曇りでも、まぶしいくらいだ。
「その一方で、暮らしのために自分の身をすり削る女たちも居る。彼女らを見て、汚いと言う奴らを、私は顧客にはしてこなかった。分かるだろう」
写真の女の話をしているのだろうと思った。
彼女が『傷ついた者』『弱いもの』に対して語る時、そこには異様な熱が帯びる。
過去に繋がる断片――いまのハバキに、それを追い求める理由はない。
ただ仕事をするだけだ、仕事を。手すりを握る拳に、ぐっと力が入った。
だだっ広い空間に出た。
壁沿いに、なにやらインテリアらしきものが散乱している。
そして、その中央に、彼女は居た。
赤いメッシュ。煽情的なクロームの衣装。口元はテープでふさがれて、後ろ手に椅子に縛られている。まるで処刑場のように。その目が見ひらかれて、つんのめるようにして、こちらを見ているのが分かった。
エダはなにか、その女の名前らしきものを呟いて、一歩、二歩、前へ。
ハバキは、その後ろにぴったりとついていた。いつでも襟首をつかんで、後ろに放り出せるように。
そして――女の眼前へ。
「さぁ、もう怖くはない……」
手を伸ばして、口元のテープを剥がそうとする。
その瞬間。
「甘いねぇ、チョコレートシロップより……」
声。
口元。テープが、熔解していた。
同時に。ハバキの首。けたたましいアラート。
にいっ、と、裂けるような笑み。
「っ離れろ――」
「あんたは助けてくれなかった」
すぐに彼女を掴もうとする。だが、すぐ後方にもう一人気配。カタナを抜き、後方へ振りかぶる、影が覆いかぶさってくる、間に合わない。
相手は、ひとりじゃなかった。
「届くもんなら、やってみせなよ、ブギーマンっ!」
――なぜ。
――なぜ。その名前を。知っている。
疑問が口に出る前に。ハバキは、後方からの襲撃者とともに、床を突き破って、階下へと落下した。
彼女は、刃搏(はばた)きを手にして。~ふたりの異能事件簿~ 緑茶 @wangd1
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