【第四章】 イエスタデイズ

#1 レボリューショナリー・ロード ①

 朝から、ひどく冷え込んでいた。

 流れる景色の上で、曇り空が広がっている。


「……」


 車内に、会話はない。伸びた腕が、何度もカーステレオをいじくりまわしてはやめる。

 うっとうしいからやめろと、ハバキは言うべきだった。

 しかし、できなかった。助手席で、エダは肘をついて外を眺めている。

 むっつりと押し黙ったまま。かたくなに、こちらを見ようとしない。

 なんだか、だんだんと、腹が立ってきた。自分でも説明が困難な感情だった。

 ……ハンドルを強引に切った。

 傍らで、ようやくなにか文句が聞こえてくる。



 事務所に訪れたのは、スーツ姿の大柄の男。ネイティブアメリカンの血が流れているらしい。長髪に羽根飾り。彼はどっかりとソファに座り、ただこう言った。


「俺はメッセンジャ―だ。俺にエゴはない。俺は車も乗らない」


 差し出された写真。

 女性が椅子に縛り付けられている。パンク風の装い――口元から血を流している。

 ハバキの横で、エダの息を呑む音。


「知ってるなら話がはやい。救出を頼む」


 その後与えられたのはわずかな情報と、写真の場所だけ。

 ――どう考えても怪しいだろ。何があるか分からないぞ。

 ハバキはそういった。しかし彼女の目線は写真のなかにあった。こちらを一瞬たりとも、見ようとはしない。

 ――あんたは。

 ――仮に何かの罠だったとして。写真に写っているのは。ケガをした、私の知り合いなんだよ。かわいそうじゃないか。

 そう言って、彼女は顔を上げた。

 笑っていた。だが、その瞳のなかに、果たして自分が居るのかどうかは分からなかった。なぜって、そこにうつっていたのは、なにか底なしの光のようなもの。

 ――隔意。

 ゆっくりと、その二文字が、首をもたげてくる……。



 フィアットは、港湾地区にたどり着いた。

 華やかな自然公園がある側とは、ちょうど街を挟んで反対の、北側に位置する。

 うすぐもりの、灰色の港。クレーンのいななきと、タンカーの重低音。工場地帯の煙が遠くで瞬いている。


「開発途中で、打ち捨てられた場所だよ」


 膨大な、何もない敷地がべったりと広がっていて、雑草が生い茂っている。申し訳程度に、『作業中』と記したバリケードがめぐらされているが、もはや意味をなさない。

 降車した先に、大きな亡霊のような廃墟が見えた。

 コンドミニアムの亡骸。壁材が剥がれて、ところどころ鉄筋がむき出しになっている。

 『~~~夢を~~~~~』。大昔に、なにかの理想を謳った宣伝広告の痕跡。何故か気になって、見上げていると、いつの間にか、エダが先に進んでいた。


「おい、待て。少しは警戒しろ。何があるか分からない」


 我ながら陳腐だ、と思う。そんな文言で、止まるわけもない。


「……きみが、守ってくれるんだろう?」


 彼女はそう言って後ろを振り向いて、笑った。


 ――あんたは本当に。どうしようもない。

 ――あんたの後ろにいるってことは。あんたを、斬れるってことなんだぞ。


 まもなく、彼女は、廃墟の闇に吸い込まれていった。



 木製の残骸がまき散らされている床。ガラス片がプリズムのように光っている。


「よくある話さ。ロハス的な暮らしをしたいがために、ログハウス風の設えをたくらんで、失敗した……」


 きしむ階段を上がりながら。何もない窓から光の線。薄曇りでも、まぶしいくらいだ。


「その一方で、暮らしのために自分の身をすり削る女たちも居る。彼女らを見て、汚いと言う奴らを、私は顧客にはしてこなかった。分かるだろう」


 写真の女の話をしているのだろうと思った。

 彼女が『傷ついた者』『弱いもの』に対して語る時、そこには異様な熱が帯びる。

 過去に繋がる断片――いまのハバキに、それを追い求める理由はない。

 ただ仕事をするだけだ、仕事を。手すりを握る拳に、ぐっと力が入った。


 だだっ広い空間に出た。

 壁沿いに、なにやらインテリアらしきものが散乱している。

 そして、その中央に、彼女は居た。


 赤いメッシュ。煽情的なクロームの衣装。口元はテープでふさがれて、後ろ手に椅子に縛られている。まるで処刑場のように。その目が見ひらかれて、つんのめるようにして、こちらを見ているのが分かった。


 エダはなにか、その女の名前らしきものを呟いて、一歩、二歩、前へ。

 ハバキは、その後ろにぴったりとついていた。いつでも襟首をつかんで、後ろに放り出せるように。

 そして――女の眼前へ。


「さぁ、もう怖くはない……」


 手を伸ばして、口元のテープを剥がそうとする。

 その瞬間。


「甘いねぇ、チョコレートシロップより……」


 声。

 口元。テープが、熔解していた。

 同時に。ハバキの首。けたたましいアラート。

 にいっ、と、裂けるような笑み。


「っ離れろ――」

「あんたは助けてくれなかった」


 すぐに彼女を掴もうとする。だが、すぐ後方にもう一人気配。カタナを抜き、後方へ振りかぶる、影が覆いかぶさってくる、間に合わない。

 相手は、ひとりじゃなかった。 



 ――なぜ。

 ――


 疑問が口に出る前に。ハバキは、後方からの襲撃者とともに、床を突き破って、階下へと落下した。

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彼女は、刃搏(はばた)きを手にして。~ふたりの異能事件簿~ 緑茶 @wangd1

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