第57話  因果応報 2

 それから月日は流れ、彼は、大学に入学し、陸上競技を始め、やがて3年生になってキャプテンに就任します。そして、キャプテンとしての仕事を全て終えた日、彼は、同輩や後輩たちと「追い出しコンパ」に出掛けます。一軒目の店を出て、二次会に行くために皆で和やかに話しながら次の店に向かっていました。この時、彼は、皆の最後尾で一人歩きながら、「ヤレヤレ、これで俺のキャプテンとしての仕事も終わった。」と内心ホッとしていたそうです。


 そんなことを考えながら歩いていると、彼は前方の様子がオカシイことに気付きます。なんと、路上に同輩や後輩たちが、マグロのように倒れているのです。もうそんなに酔っ払ったのかと思い急いで現場に駆けつけると、立っている後輩たちが、「西原先輩、さっき変な奴が、スパナで皆を殴り倒したんですよ」と信じられないような事を言うではありませんか。ふと前を見ると、スパナを持ったガッシリとした体格の男ともう一人小柄な男が、車に乗り込もうとしています。

 


 キャプテンとして、彼らをこのまま帰すわけにはいきません。西原君は、すかさず彼らに


「ちょっと待たんですか。人を殴り倒しといて、黙って帰るとですか?」


と言います。

 


 車に乗り込もうとしていた大柄なスパナ男は、血走った眼で西原君の方を振り向き


「ナニ?」


と言ったかと思うと、いきなり西原君にスパナで滅茶苦茶に殴り掛かってきます。不意をつかれた彼が、自分の頭に連続的に振り下ろされるスパナを辛うじてよけながら後退すると、男は、西原君を思いっきり前蹴りで蹴飛ばします。蹴りは、小柄な西原君の右肩に当たり、彼の右肩は、脱臼します。

 


 この瞬間、彼の中にある確信が生まれます。それは、「今日は、戦っていいんだ。」というものでした。キャプテンとして、後輩に怪我をさせた彼らを警察に突き出し、彼らに謝罪と慰謝料・治療代などを要求しなければなりません。

 


 そう覚悟を決めた彼は、まず肩に掛けていたショルダーバッグをユックリ下ろし、左手で右肩を掴んで、脱臼した関節をゴキッと言う音とともに元に戻します。

 


 それから彼は、やや体を開いて両手で手刀を作り、下段に構えます。その時、既に私と瞑想の実習をしていた彼は、「よし、今日は、ひとつ“無”で動いてやろう」と決心します。そう思って相手と対峙すると、恐怖心は、全くといっていいほど湧いて来なかったと言います。


 文章に書くと長くなりますが、これらのことは全て一瞬で起きたことです。話を二人の対決シーンに戻します

 


 西原君が構えを取った途端、男は唸り声を上げながら西原君の頭上から彼の後頭部に向けて腕をしならせるようにスパナを振り下ろしてきます。西原君は咄嗟に体を沈めて男の攻撃を躱します。必殺であるはずの攻撃を見事に躱された男は、そのままもんどり打って倒れます。


 後に、西原君は、この時、咄嗟に体を沈めたのは、私が武器による攻撃を体を沈めて避けているのを見た事があって、その動きを思い出したからだと教えてくれました。瞼に焼き付いていた私の動きを見よう見真似で使ったという事でしょう。


 再び、二人が向き直り、対峙します。男は肩で息をしながら、スパナを額のところに構えています。よく見ると、男が怯えているのが分かります。再び、男が、獣のような動きで西原君に襲いかかり、彼の頭に物凄いスピードでスパナが振り下ろされます。周囲で事の成り行きを見守っていた西原君の同輩や後輩たちには、スパナが彼の頭の直前まで来るのが見えたそうです。その瞬間、みんな「やられた!」と思い、思わず眼を閉じてしまいます。そして、恐る恐る眼を開けると、不思議な事に、西原君は立ったままで、男はスパナを手から離して地面に倒れています。

 


  西原君によると、2度目にスパナが自分の頭に振り下ろされた時、相手の動きがスローモーションのように見えたそうです。この時、彼の中では、戦っている相手や周囲の人間たちとは違う時間が、流れていました。「ああ、スパナが来る、来る、今来てる。でも、こいつの腹は、ガラ空きだ。今前蹴りを出せば綺麗に腹に入るな。よし前蹴りを入れよう」と言った感じで、ドッコイショと右足を上げると、彼の足の裏が相手の腹部に吸い込まれて行ったそうです。腹に西原君の前蹴りを食らった男は、後ろに吹き飛びます。男が後ろに蹴り飛ばされる時も、西原君にはユックリに見えたそうです。

 


 暫し異次元の世界に生きていた彼ですが、男が倒れているのを見て、我に返ります。彼は、周囲にいた後輩たちに、


「おい、警察に電話しろ!」


と叫びます。


「もうしました」


と言う声が聞こえると、倒れていた男をもう一人が助け起こし、二人は、慌てて車に乗り込み逃走します。

 


 後に、警察で西原君が聞いたところによると、この二人は、警察もマークしていた覚醒剤の常用者で何度も傷害事件を起こしていたそうです。警察で事情聴取を受けていた時、担当の刑事さんが、


「あんた頑張ったねー。もしかしたら、殺されとったかも知れんとよ。いい度胸しとるばい。刑事にならんね」


と西原君を口説いたそうです。後に、この覚醒剤中毒の二人組は、捕まりました。

 



 同じように、空手を使って人を蹴飛ばしても、前半の西原君と後半の西原君とでは全く違います。前半の彼は、周囲の大顰蹙を買いましたが、後半の彼は、陸上部の仲間からは勿論のこと、刑事さん達からすら賞賛されています。

 


 武術を修行すると言う事は、ある意味「力」を手に入れることです。「力」それ自体は、善でも悪でもありません。大事な事は、手に入れたその「力」をどう使うかということでしょう。「力」は、正しく使わないと、結局は、前半の西原君のように自分自身に災厄となって返って来ます。この事は、この世に存在するあらゆる「力」、例えば権力や軍事力、そして財力についても同じ事が言えるのかも知れません。


 また、お会いしましょう。



※西原君に向って振り下ろされたスパナが、彼にはユックリに見えたのは、所謂「スローモーション=タキサイキア現象」です。人間が危機的状況に陥った時、脳の安全機能が働いて、こういう現象が起きる事もあります。

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福岡武道物語 鷹野龍一 @Koshi-budo

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