【お盆小説】戦後生まれの私が、ある夏の日に出会った野球少年とそれからのこと

坂東さしま

お盆小説

 私は11人兄弟の末っ子で、兄弟たちとはうんと年が離れていました。家族の中で私一人だけが、戦後生まれでした。


 実家は某県の農村地帯ですが、父は農業ではなく事業を営んでいました。お手伝いさんを何人も雇うほどに裕福で、私は彼らのご飯を食べて育ったようなものです。母の味、というのは実はあまり記憶にありません。


 その状況が一変したのは小学校4年生の時。


 父の会社が倒産してしまったのです。戦後という時代を読み切れなかった、父の大失敗でした。


 母は裕福なご婦人から農家に転身しました。父のもとで働いていた兄たちは、別の職を得た人もいれば、母とともに農家になった人もいました。母たちは朝から晩まで働き、私も学校から帰るとお手伝いをしていました。


 さて事業が失敗した父はと言うと、町議員選挙の準備を始めたのです。「百姓は俺の仕事じゃないんだ」と話していたのを覚えています。社長時代のつてというか営業力というか、もともと地元だったからというか。そののち、父は無事当選しましたよ。


 


 まだ父が町議員に当選していない、小学校5年生の夏休みのある日。私は親戚のA子と隣の地区の小学校に行きました。


 それが理由を全く覚えていないんです。A子が通っていたから遊びに行っただけなのかもしれないけど、今思い出しても、あの人以外記憶にない。


 油絵の具ではっきり色を塗ったような青空の下、校庭では、野球クラブの子供たちが試合をしていました。スコアボードをみると、この地区のクラブと、私が住む地区のクラブの試合でした。


 野球に興味はなかったのに、私はその試合が気になりました。そこで一人の少年にくぎ付けになりました。


 周りの子供よりも落ち着いた雰囲気の少年で、足が速かった。A子に何度も声を掛けられても、私は気付かずに少年だけを見ていました。


 当時はそれだけのことで、少年の事はすぐ忘れてしまいました。




 中学3年のクラス替え初日のことです。出席番号順に振り分けられた席に着くと、隣にあの時の野球少年がいたのです。


 ぐっと背が伸び、顔も大人になりはじめていたけれど、私は一瞬で分かりました。たくさんの地区から集まる中学で人数が多かったし、私は部活に夢中だったから、他のクラスの人や部活外の人のことはよく認識していなかったんですよ。


 小学生の時に野球をしていた姿を見かけました、などというのは恥ずかしく、中学3年で初めて出会ったふりをしました。ちなみに、彼は中学でも野球部で、私はバレーボール部でした。


 彼は落ち着いた雰囲気そのままの、寡黙な人だった。多くの同級生たちが大声で騒ぐ中、彼だけはしっとりと梅雨に咲くあじさいのようでした。


 私も他の同級生と同じで、大声でしゃべり騒ぐうるさい女子生徒でした。彼に合わせて静かにしよう、などというしおらしい性格は持ち合わせておりません。大きな口で、はっきりした発音で、毎日彼に話しかけました。


 大人しいけれど、話しかけるとよく喋る人でした。変わった本をしょっちゅう読んでいて、不思議な知識が豊富な人。朝の授業前や休み時間の、数分の会話が日々の癒しでした。


 私はこの頃から彼に好意を持っていたけれど、あちらはどうだったのでしょうね。大人になっても教えてくれませんでした。恥ずかしかったのかしら。




 せっかく中3で出会えた彼でしたが、高校は別々。それは学力を考えれば仕方のないことですけれど。私は中の下、彼は上だったから。


 でも卒業を前に、彼は一度だけ、私を遊びに誘ってくれました。いわゆるデートだけど、恥ずかしいので遊びと言っておきます。


 自転車でえっさほっさと、海まで1時間弱ほど並んで漕いだのはいい思い出です。夏なら汗だくだったでしょうけれど、3月の涼しさにはちょうど良い運動でした。


 私は海に向かってわーっと叫びました。なぜかと問われると難しいですね。広いから叫びたかったのでしょう。彼はふんわりした笑顔で私のその様子を見ていました。


 彼は普段の生活で叫ばない、大声も出さない人。大学生まで続けた野球以外で、声を出すことなんてほとんどなかったでしょうね。大人になってからも、彼の大きな声を聞いたことはなかった。実は、彼の家族も揃って静かな声の人たちで。大声の人しかいない我が家とは対極でした。初めて彼の家族と私の家族で顔合わせをした時、ちょっぴり恥ずかしくなりました。


 海辺で彼が私に話したことは「高校に行ってからも友達でいてほしい」ということでした。


 体中が熱くなりました。告白されたわけではないのですよ。友達です。でも私の中ではほぼ告白と同義で、私の中では勝手に付き合うことになり、彼は勝手に彼氏に仕立て上げられ、明確な告白はないまま、いつの間にかそのような関係になりました。


 今思うと、迷惑な女だったかもしれませんね。私の遠くまで響く声で、彼の意見を潰していたんじゃないかしら。振り返ると、そんな気がしてきました。聞き上手な女になりたかったですね。


 


 高校を出ると、私は東京に職を求め、彼は東京の大学に進学しました。


 当時、うちのあたりで進学する人間は珍しかったんですよ。野球部を引退してから入試まで、彼は私と電話も会うこともなく、朝から晩まで勉強し、名のある大学に合格しました。


 二人そろって東京に出ることになったのは偶々なのですが、自然と二人で過ごすようになり、当然のように一緒になりました。


 朝ご飯を食べて出社して、夜に帰ってきて、また朝になったら出社して。当たり前の生活かもしれませんし、一緒に住んでいるだけでも幸せなのに、私は昼間も一緒にいたいと考えるようになりました。


 そしたらまあ、一緒に事業を興すことになり、文字通り、365日24時間一緒の生活になりました。人生って不思議なものです。


 


 今年で彼と出会って60年。


 そして彼が亡くなって5年です。


 長かった気もしますし、あっという間だった気もします。


 随分と長い話を聞いてくれて、ありがとう。


 私もそろそろ、あちらに逝きたいなあと思って過ごしているんだけど、なかなかお迎えが来ませんね。どうも健康で健康で。どっこも悪い所がないんです。会社を譲る準備はとっくにできているというのに、100まで生きろと言うのかしら。


 これ以上、彼より年を取りたくないのだけれどねえ……。


 さて、そろそろ、お墓にいきましょうか。


 提灯、持ちましたか?


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お盆用に書いた小説でした。

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