エピローグ

暗闇の果てに、僕は視る。

 僕は長い長い回想を終える。

 あれから月日が経ち、とっくに成人を過ぎてしまったいまも、まだこんなにも明瞭に記憶を振り返ることのできる自分に驚いてしまった。それほど僕にとって、強烈なインパクトを残した時期だった、ということでもあるのだろう。だけどそれを覚えているのはきっと僕だけで、みんなは彼の存在さえも、頭の中から消え去ってしまっているはずだ。


 十五年近い日々の中で、僕自身にも色々なことはあった。受験もあれば、恋人や人間関係に悩んだり、面接があったり、仕事での悩みがあったり、日々に忙殺されれば小学校の記憶なんて忘れてしまいそうなものだし、大抵のことは忘れてしまっているのだが、四原がいたあの時期だけはどれだけ無理やり剥がそうとしても、離れずにくっついたままだ。


 彼に罪を着せてやろうとした僕が、四原から受けた呪いなのかもしれない。

 教室の机の表面を撫でてみる。ざらついていた。

 ふと後ろから、声が聞こえる。雨音に混ざるように。


「久し振りだね」

 背後を振り返ると、そこには少年の頃のままの、四原がいた。


「四原……本当に……」

「さぁ、ね。きみが本当と思えば、本当なんじゃないかな」とちいさく笑う仕草は、慣れ親しんだ四原のものだ。いや遠い昔の話だ。僕が勝手に記憶を創りあげているだけかもしれない。こういう笑いをするから、四原なのだ、と都合よく。僕の心を読むかのように、「きみは大人になっても面倒くさいままだ、ね」と続ける。

「あの日から色々あったよ」

「そうだね。きっと色々あったんだろう。例えば、六風のお父さんは死んだね。自殺だ。可哀想に。きみが殺さなければ、ふたりともいまでも幸せだったかもしれないのに、ね」

 僕はもう彼に否定する気も起きない。僕は殺人者だ。


「生きていたから、って、幸せになれるとは限らないよ。っていうか、そんなことまで、知っているんだね」

「僕は普通の人間じゃなくて、宇宙の生命体だからね」

「懐かしいことを言うんだな。忘れてたよ。きみがそんなことを言ってたなんて」

 と僕は嘘をついた。ついさっき、回想の中で思い出していたばかりなのに。


「きみは大嘘つきだ、まったく。でも僕は案外、きみといた時間が嫌いじゃなかった」

「嬉しいこと言ってくれるね」

 僕はちいさく息をのむ。僕は彼からの言葉を、どこかで望んでいた気もする。だけど聞けるはずもない、と思っていた言葉だ。だから彼は、僕の思い出が作り出した幻かもしれない。


「で、もう学校の関係者でもないきみが、こんなところに侵入してきて、いったい何の用なんだよ。廃校になったからって、別に好き勝手入っても、いいわけじゃない」

「それを言うなら、四原、お前だって」

「僕は普通の人間じゃないから、人間の法に縛られることなんてないんだよ。それに僕は関係者さ。永遠にここの、ね」


 僕はなんで、この廃校をいまになって訪れたのだろう。小学校を卒業してから一度も来たことはなく、来たいと思ったこともなかった。どちらかと言えば、行きたくなかった。だってここは僕の罪の意識を刺激する場所なのだから。僕の人生はもう終わりに近付いている。家族にさえも言っていない。この世界から消え去ってしまう前に、僕はもう一度、ここの光景を目に焼きつけておきたい、と思ったのだ。大嫌いだった、つまらない人生。それを決定づけた、この場所を。そんな僕を見ながら、彼は笑う。嫌な笑みだ。たぶん彼は知っているのだろう。家族さえも知らないことを。


「本当に、まったく。大変、嫌な人生だったよ。楽しかった時、なんて……」ある、とすれば、四原や六風と一緒に都市伝説を追っていた頃まで、だろうか。だけど、僕は自ら壊してしまった。「ひとつもないな。たったの、ひとつも」


「投げやりだな。どうせあとは死ぬだけなんだから、開き直れよ」

「そもそもお前が、あんな事件を起こさなきゃ、僕も六風も、もっと良い人生を送っていたはずなんだ」

「ひとのせいにするばかりだな」

「どうせもう終わりなんだ。思っていること、全部、吐き出したっていいだろ。僕はもっと幸せになりたかった。いっそあの時、六風の存在も消してくれれば良かったんだ。そしたら、六風のお父さんも死ぬことはなかった」

「嫌だよ。自分の罪くらい、自分で背負え」


 風が、窓を叩いた。


「友達甲斐のない奴だ」

「きみに言われたくないね。まぁきみの人生もあとわずかだ。すくなくとも僕は許してあげるよ。どれだけ時間が残っているか知らないけれど、その短い時間くらいは前向きに生きてもいいんじゃないか。どうせ死ぬんだから」


 じゃあね、と言い残して、また急に、四原がいなくなる。いつも唐突な奴だ。


 僕は校舎から出ることにした。僕が校舎を出る時、傘を差して歩く男がいた。目が合った時、僕を見るまなざしは、不審者を見るかのようだった。逃げるように、男がいなくなって、僕は思わず笑ってしまった。どう考えても、僕は不審者だ。


 雨が降っているにも関わらず、夜空を見上げると、月が見えた。本来見えないはずの月に誘われるように、僕は本来向かうつもりもなかった道を歩いている。すこしだけ、この光を信じてみたい、と思ったのだ。彼が、『前向きに』と言ってくれた言葉が、思いのほか、僕を救ってくれたのかもしれない。


 たどり着いたのは、六風と最後に会話をした、あの公園だ。

 塗装の剥げたベンチに、レインコートのフードを目深にかぶった少女がいる。小学生くらいの。いや顔は見えないので少年の可能性もあるはずなのだが、僕は少女だと確信していた。


 少女が近付いてくる。


「きみは」

 目の前に立った少女に声を掛ける。もう誰か分かっているにも関わらず。

 少女がフードを上げる。懐かしき顔の少女は笑っていた。


 そして……、

 触れられているわけでもないのに、僕は首に強烈な痛みを感じた。息ができない。苦しい……。苦しみの中で、僕は思い出したのは、四原の言葉だ。


『きみの人生もあとわずかだ。すくなくとも僕は許してあげるよ』


 あぁ……。


 四原は僕がこうなることを知っていたのではないだろうか。それに気付いたところで、僕にはもうどうすることもできないのだけれど。

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あるいは、都市伝説を追っていたあの頃の僕たち。 サトウ・レン @ryose

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