1-4
今日も俺は車でホテルまで愛季を迎えに来ていた。
「おはよう蒼佑さん。今日も良いお天気だね」
「あぁ、おはよう」
「今日も相変わらず気怠そうな顔をしているな、蒼佑」
「一応、裏で親父の家の整理なんかもしてるんでね。というかソラ、お前だんだん俺に遠慮というか気遣いがなくなってきてないか」
「にゃはは。二人が仲良くなってるみたいで私も嬉しい」
「んじゃ、このまませつなちゃんを迎えに行くぞ」
「はーい」
一人と一羽を車に乗せて、俺達は今日も夏空の下を走り出した。
最初に愛季と出会った日から今日で五日目。今のところこうして毎日愛季とソラとせつなを連れて“夏探し”という抽象的でともすれば子供じみたイベントに参加しているわけだが、元々父の家の整理以外に特にすることもなければ、ここは分かりやすく暇をつぶせるようなスポットがあるような町でもないので、存外時間つぶしには丁度良いと感じていた。
―――愛季たちとの付き合いも、それほど居心地は悪くないしな。
「せつなちゃん、今日も迎えに来たよ~」
「おはよう、愛季、蒼佑、ソラ」
せつなも、最初に会った頃と比べれば多少心を開いてくれたのか、ある程度会話は弾むようになってきたように思う。
あと、あちこちで愛季が撮った写真を見て、時々笑顔を見せるようになった。微笑程度のものなのだけど。
最初に出会った時もそうだったが、せつなは愛季の撮る写真を気に入っているようだった。“夏探し”という共通の目的―――そんな大層なものではないような気もするし、正確なゴールは人それぞれ微妙に異なっている気がするが—――が一致したことで成立しているこのパーティーご一行様だが、せつなは己が望むものにちゃんと近づいているのだろうか。
―――もしかして、渋々俺達に付き合っていたりするんだろうか。
「今日は、どこに行く?」
「今日はねせつなちゃん、この町にある神社に行こうと思うの。昨日ネットで調べて見つけたんだけど、結構歴史のある神社なんだって。【
「行ったことない、と思う」
「ひょっとして、昨日町を歩いていた時に見かけたあの鳥居があったところか?」
あれは昨日愛季たちと町を宛てもなく散策しているとき、家屋と家屋の間の細く複雑な道を辿っていたときに偶然見かけたものだ。その時は日が暮れかけて時間が無かったので出直そうという話になったのだが、あれについて一晩で調べてきたらしい。
「そう、海に面していて境内から綺麗な景色が見れるんだって。あとご神木が日本でもなかなか見ない木が植えられてるらしいよ。詳しくは分からないけど」
「ふぅん。今日は営業してるのか?」
「営業というか、常時開放されてるというか」
「ん?」
「神主さんがだいぶ前に亡くなって、今は県の宗教法人が管理してるらしいんだけど、実質放置に近い状態なんだって。まぁ、お世辞にもあんまり来客が多い神社ってわけでもないだろうしね」
「愛季、一応聞くんだが、曰く付きのスポットってわけじゃないよな?」
「ないない。あ、蒼佑さんそういうのダメな人だった?」
「馬鹿にするな。俺が良くても、危ない場所だったらせつなちゃんを連れて行くわけにはいかないと思っただけだ」
「相変わらず、蒼佑さんはせつなちゃんに優しいね」
「何度も言ってるが子供を守るのは大人の義務だろう」
「―――っ」
愛季とそんな問答をしていると、それを傍で見ていたせつなが少しだけ鼻で笑ったような声が聞こえた。
「カァ、カアァァ」
せつなの肩に飛び乗ったソラが、「いい大人が子供の前でみっともないぞ」と言っているように聞こえた(最近はなんとなく人の言葉でなくても言わんとしていることが分かるようになってきている)。どことなく体裁が悪くなり思わずポリポリと頭を掻いてしまう。
「あー、兎も角だ。今日はその【皇王神社】とやらに行くってことらしい。せつなちゃんもそれでいいか?」
「うん、行こう」
「うんうん。それじゃ今日も、しゅっぱーつ」
「おー」
「おー」
「ガァァ」
―――本人は乗り気みたいだしまぁいいか。
こうして今日も“夏探し”が始まった。
「昨日来たときも思ったが、住宅街の中でいきなり現れるのが異質な感じするよなこの鳥居」
「うん、しかも迷路みたいに複雑な路地を抜けた先にあるんだもん。何か長い歴史とか神秘的なものを感じる」
「―――鳥居の柱に日付が書いてあるけど、ここ数年の間に建て替えられたみたいだぞこれ」
「と、鳥居はそうかもだけど!」
「やれやれ。んじゃまぁ、お邪魔するか」
俺達は鳥居の前で一礼して境内に足を踏み入れた。ときどき神社に参拝するたびに思うことなのだが、右側通行でよかっただろうか?確か心臓の位置と同じだったか?いつもそう逡巡するものの、最終的には『神様に対する敬意があればなんでもいいだろう』という安易な結論に至る。今回も例に漏れずだった。
「参道が山道なんだな」
「うん、でもそこまで長くないはず。数分も歩けば本殿があると思うよ」
鳥居をくぐった先に延びる参道は緩やかな坂道で、向かって左手側が山に、右手側に町が広がっている。上空は木の枝葉にすっぽりと覆われていてちょうど日陰になっているのがありがたかった。神様の慈悲ある配慮に感謝を。
「なんというか、普段人の入りが少ないって言うのがこの道を歩いているとよく分かるな」
道中の道は一応コンクリートで舗装されているが、木々の折れた枝や枯葉、木の実なんかがあちこちに転がっていて混沌としている。イノシシなんかの動物の通り道だったりするのかもしれないな。
「カァア、ガアァァ」
「ソラ、すまないが今だけはあまり鳴き声を出さないでもらえると助かる」
「蒼佑さん、やっぱりお化けとか廃墟が苦手なんじゃ」
「そんなことはない」
そんな問答をしながら歩いていると建物らしきものが見えてきた。どうやら社務所のような建物だったらしく、ちょうど神様を祀っているであろう本殿を囲むような構造になっているらしい。聞いていた通り人の気配がまったくない。古びた郵便受けにはいつのものか分からないビラがはみ出しているし、すりガラスになっている窓の奥にはうっすらと洗剤か何かのボトルが見えていて、それがかえって廃墟感を助長していた。
社務所らしき建物の入り口はアーチ状になっていて、上を見ると立札がかかっている。そこには確かに【皇王神社】と達筆な字で書かれていた。
「一応、ここらしいな。というか、向こうに例の御神木らしきものが見えてるけど、確かにこれは—――」
「うわあぁ~!」
それを見るや否や、愛季は子犬のように一人で境内に駆けだしていた。
「相変わらずだなあいつも」
「ふふっ」
隣にいたせつなの笑い声が聞こえる。子供に笑われているぞ、愛季。
遅れて俺達も入り口をくぐって境内に入った。まず俺達を出迎えたのは、視界いっぱいに広がる巨大な樹木だった。根元からちょうど二方向に枝分かれしているように見える。植物には詳しくないが、おそらく日本の本州では生っていない種だと思った。どことなく沖縄だとか南方の島国に生えていそうな気がする。
「なんというか、パワースポットって感じがするな」
「ぱわーすぽっと?」
傍に居たせつなが不思議そうに首を傾げる。
「人には感じ取れない不思議な力が満ちている場所って意味だよせつなちゃん。ご利益、って表現はまだ難しいか。良いことや幸せなことがあるかもしれない場所ってこと」
「そうなんだ」
「ちゃんと神様にお参りしないとな。―――って」
視界の隅にいた愛季を見れば、毎度のごとく瞳もといカメラのレンズを輝かせて一心不乱に写真を撮っている。神様は大抵寛大な心を持ってくれていると自分は勝手に思っているが、それにしても神様のいる場所でああやって明け透けに沢山写真を撮るのはさすがに神様の目にも余りそうだ。
「はわわぁ、大自然の神秘!これ樹齢何年あるの?百年くらいじゃここまで大きくならないよね?わ!この角度から見ると竜が口を開いてるみたい!」
「罰が当たっても知らんぞ………?」
「蒼佑は、神様って信じる?」
「ん?」
せつなからの不意の問いかけに思わず振り向く。
「神様か。俺は信じてるな」
「どうして?」
「いた方がいろいろ面白いからかな。そういう人知の及ばない存在や奇跡みたいなものがあるって思った方がいくらかこの世界も捨てたもんじゃないって思える」
―――あと、つい最近その神様とやらの遣いってやつと顔見知りになったしな。
チラリと視線をソラに向けると、俺達のことなどどこ吹く風でご神木の枝の上で羽を休めている。人の言葉を話す鴉なんてものと出会ったら、神様の存在だって肯定的に捉えるというものだろう。
「そうなんだ」
「せつなちゃんは?」
特に興味はなかった。なかったが、なんとなく会話の流れで聞いてみた。
「いる」
「随分はっきり言うね」
「理由は分からない。でもいるの。そんな気がする」
「うん。信じるのは自由だ」
所詮は子供の言うこと。そう思って俺はあまり真摯には取り合わなかった。
「わ!!みんな、こっち来て来て!!」
離れた場所にいた愛季がひと際大きな声を上げた。
「なんだって言うんだよ。今度はどんな夏を見つけたって言いだすんだ?」
「これこれこれ!ここからあっちを見てみて!!」
「ん………?」
愛季が立っていたのは神社の賽銭箱の前。しかし彼女はそちらではなく向かって左側、神社を囲んでいた石造りの塀の一角を指差していた。
そこにあったのは木でできたとても小さな鳥居だった。それ以外にご神体のようなものは何もない。何もない代わりに、その鳥居の向こうに海の青が見えた。来る途中にいくらか上り坂の道を登ってきたが、この神社は平地よりいくらか高い場所に建っている関係で海も見えやすいのだろう。まるで海そのものを祀っているようにも見える。
「インスタとかに上げたら映えそうな風景だな」
「綺麗だよね!!こういう世間から忘れ去られたみたいな場所にこんな絶景が隠されていたなんて!!私いま猛烈に感動してる!!ここに来て良かった!!」
「あぁ、うん。そりゃよかった」
似たような台詞はここ数日毎日聞いている。こうしていろんな景色に胸躍らせることのできる愛季の感性はいっそ羨ましいと思うほどだ。
「………」
夢中でカメラのシャッターを切る愛季を横目に、隣にいたせつなはぼんやりと俺達と同じ小さな鳥居の向こうに広がる水平線を眺めている。その顔には『これの何が面白いんだろう』とはっきり書いてあった。
―――感性の話をするなら、どうもせつなと俺は近しいものを持ってるらしい。
せつなのような幼い少女が自分のように冷めた視点しか持っていないというのは、自分のことを棚に上げるようだがちょっぴり良くないことのように思えた。
「写真、撮るか。みんなで。せっかくだし」
「?」
気付けば俺はまたそんなことを口にしていた。
「ん?また皆で集合写真撮る?いいよ、撮ろう!」
「どうして写真の話だけはちゃんと聞き取るんだ愛季は」
「ガアァァ、カァ」
それまでご神木の枝に止まっていたソラに「聞いて納得できる回答を愛季に期待するだけ無意味だ」と言われた気がする。
「まぁそれはそうか」
「?」
「なんでもない。じゃあの海と鳥居を背景にしようか。全員しゃがんでくれ」
「また私のスマホで撮ろうか。ソラもおいで~」
「カァァ」
「じゃ撮るよ、はいチーズ。―――オッケー」
愛季のスマートフォンで撮った写真をみんなで確認すると、そこにはやはりまだどこかぎこちない笑みを浮かべる三人と一羽の姿があった。
「でも最初の頃と比べれば多少マシにはなってる気がするよね?」
俺が暗に思っていたことを察したのか愛季がそんな気休めを口にする。
「まぁ、多少はな。作り笑いが上手くなったって仕方ない気もするけど」
「そんなことないよ。表情作るのが上手い人は心の表現が上手い人ってことだろうし」
「あいにく俺はモデルとか役者の道に興味はないんだ」
「えー。蒼佑さんカッコいいのに」
「表情より前に世辞を磨いた方がいいな、愛季の場合」
「わ!ひどい。本当にそう思ってるのに」
「本当のことだと思ってるよ?でももっともっとたくさん褒めてほしいって話だ」
「うわ、それはそれでちょっとやな感じ」
「カァァ」
傍にいたソラに「自惚れるな」と言われた気がした。
「ふふっ」
そんな俺達のやり取りを見て静かに笑うせつなを見て、俺は心のどこかで『良かった』と感じた。何が良かったのかは自分でもよく分からなかったが、何かほんのちょっぴり正しいことを実行できた手応えのようなものがあったんだ。
その後神社を出ていくらか町を回った後、陽が傾いてきた頃に俺達は前にも愛季と二人で訪れたことのあるかき氷を売っている商店に来ていた。店内に飲食スペースはなく、店先に野晒しのベンチが一つあるだけなので夏の日差しは避けられないが、それでも冷たい氷菓やドリンクを摂取する休憩場所としてはこの町にここ以外宛てはなかった。
「はぁ、今日も歩いたな。汗だくだ」
「本当だねぇ~。せつなちゃん疲れてない?」
「平気」
「いつも言ってると思うけど本当に無理しなくていいんだぞ。この暑さじゃ大人だって長時間出歩いてれば熱中症になりかねないんだし」
「ありがとう。でも私、大丈夫だから」
「にゃはは。さすがに現地民だけあって強いんだねせつなちゃんは」
「いや、暑さの耐性とこの町との因果関係は特にないと思うが。というかなんで愛季はそんな平然とした表情してるんだよ。行く先々で一番騒いでるのに」
「写真家だもん。このくらいでへこたれてちゃ良い写真なんて撮れない」
「あーそうかい。始末に負えない話だ」
「あ、そうだ三人とも。この数日で撮った写真なんだけど、私今晩ホテルの近所の写真屋さんでプリントしてこようと思うの」
「ふぅん」
「そうなんだ」
「なんか反応薄いね二人とも?」
「いや、そもそも俺はこの辺りに写真屋があったことにまず驚いている」
「一応あの辺りはそれなりに店も多くて栄えてるからね。だから明日プリントしたのを持ってくるから、二人にも撮った写真プレゼントするね」
「本当か、写真家のAKI先生が撮ったものなら高値で売れそうだ」
「転売禁止っ」
「冗談だよ。うん、嬉しい。ありがとう愛季」
「私も、楽しみにしてる」
「うん、楽しみにしててねせつなちゃん」
愛季のその話を聞いてふと思うことがあった。
「なぁ、一つ参考までに聞きたいんだが」
「どうしたの蒼佑さん?」
「俺がスマホで撮った写真なんかも、プリントすることはできるんだよな」
「もちろん。する?スマホでデータ送ってくれれば私の方でまとめてしてきちゃうよ」
「いいのか?手間かけちゃうけど」
「全然。むしろ蒼佑さんにはこの町に来てからずっと車の運転とかしてもらってるし、これでも足りないくらい」
「そうか。じゃあ、今送っちゃおうか」
そう言って俺は懐からスマートフォンを取り出したが、取り出したところではたと気が付いた。
「愛季、お前の連絡先って聞いていいものなのか?」
そもそも連絡先を交換していなかった。今までは口約束で場所と時間を告げて会っていたから。むしろ逆に今までよくそんな子供の遊ぶ約束みたいな関係が成立していたものだ。
仮にも愛季は世間的には世界的に有名な写真家として通っているわけだし、自分みたいな一般人がそう簡単にお近づきになっていいものではないのかもしれない。そう思ったのだが。
「うん、いいよ。LINEでいいよね?―――はい、私のアカウントこれだよ」
写真家AKIはあっさりと交換に応じてくれた。アカウント画像は何も設定されていない。これだけをとってみても、おそらく彼女はプライベートで他人との繋がりをほとんど持っていないのだろうということが察せられた。
―――身内と、あとは公式アカウントくらいしか友達いなさそうだな。
何はともあれしれっと入手した愛季の連絡先に、俺はこの数日の間に自分で撮った写真の中でそれなりに出来が良いと思えるもの—――美しいとか美しくないとかそういう尺度ではなく、ピンボケがないとか被写体の均整がとれているとかそういう観点でだ―――をいくつかファイル選択して送信した。
「送った」
「うん、こっちにも届いた。じゃあこれも明日写真にプリントして持ってくるね」
「あぁ、助かる」
そのときちょうど店から店主のおばあさんが出てきて注文したかき氷を盆に乗せて運んできた。
「はい、レインボーかき氷お待ちどうさま。―――あら、お姉さんその写真って【皇王神社】やねぇ」
愛季のスマートフォンにたまたま映っていた、今しがた俺が送った写真ファイルを見たおばあさんがそう言った。
「はい、私達この辺りの町の風景をカメラで撮ってて」
「物好きな人もおるもんやねぇ。あの神社なんてもうだいぶくたびれとったやろ?」
「それはまぁ。でも、逆にそのくたびれ具合がいい味出してて私は好きでした。厳かな感じがするっていうか」
「なんや、お嬢さん廃墟がお好きなん?」
「好きか嫌いかで言えば、好きですよ。時代に取り残されて忘れ去られてしまった寂しさみたいな味わい深さがあるので」
「それやったら、あそこは行ってみた?この先の山登ったところにある【
「あ、それ知ってます!この町のことをネットで調べてる時に出てきました。確か随分前に廃園になったテーマパークなんですよね。まだ行ってはいないんですけど」
―――それって確か、最初に会った日に灯台に行ったときにチラッと見かけたあれのことか?
「そうそう。あたしが若かった頃なんかは県外からも沢山お客さんが来てて賑わってたんよ。動物園とかモノレールとかあったりしてねぇ。不景気が原因で潰れたんやけど、閉鎖とかはされてないから今でもバードウォッチングとか天体観測とか花見とかする人がちょくちょくおるって聞いとるけど」
あぁあとね、と店主のおばあさんが続けた。
「お嬢さんらが行ったこの近くの【皇王神社】やけど、あれって確か、ずいぶん昔にここに移築されたものなんよ。元々は今の【皇岬パーク】がある敷地の中に神社があったんやって。今どうなっとるかは分からんけど」
「へぇ、そうなんですね」
生返事をしているような言葉だったが、愛季の目を見れば言われずとも分かった。既に彼女の興味関心は【皇岬パーク】に向いている。
***
翌日。この日はいつもより多少早い時間に皆で集合していた。全員で俺の車に乗り込み、最初に愛季と会った日に通った山道を今日再び走っている。あの日は俺と愛季の二人しか乗っていなかったのにと、少しだけ感慨のようなものを覚えた。
昨日のあの話の後、案の定愛季は【皇岬パーク】に行くと言い出した。
▼▼▼
「というわけで、明日は皆で【皇岬パーク】に行こう!」
「却下」
「どうして蒼佑さん?」
「今は廃墟なんだろそこ。つまりは私有地だ。勝手に立ち入っちゃまずいだろ」
「お店のおばあさんも言ってたじゃない。今でも観光で訪れる人がいるって」
「だとしてもだ。今日行った【皇王神社】みたいにろくに管理も整備もされていない場所には違いないだろ。危ない目に遭ったらどうする。いざってときに助けを呼びたくても、前灯台に行ったとき確認したがあの辺りはろくに民家の一軒も建ってなかった。リスキーだ」
「でもおばあさんも言ってたじゃない。空と海が一望出来る絶景が広がってるって。蒼佑さんも前にあの近くの灯台に行ったとき綺麗だって思ったでしょ?」
「俺の目はそういう造りをしてないって前にも話さなかったか」
そんな問答を愛季と二人で繰り広げている最中、徐にせつなが声を上げた。
「行ってみたい」
「おいおい」
「だよねだよねせつなちゃん!ほら蒼佑さん、二対一だよ」
「―――ソラは?」
僅かばかりの期待を込めた眼差しで傍にいたソラを見るが、ソラは「カアァ」と一声鳴くとそっぽを向いた。投票権放棄、ということのようだ。愛季もそう捉えたらしい。どこか勝ち誇ったような視線をこちらに送ってくる。
「………はぁ。分かったよ。民主主義には従おうじゃないか」
「やったぁっ!」
▲▲▲
―――まったく。どうなっても知らないぞ。
店主のおばあさんの話を信じるなら今も景観を楽しむとかの正しい目的―――無断で廃園になったテーマパークに入る時点で正しい行いとは呼べないと思うが―――で散発的に人は訪れているという話だったから、必要以上に不安視することもないのかもしれないが、とはいえグレーゾーンに足を踏み入れようとしていることには違いない。
「楽しみだなぁ。どんな景色が広がってるんだろうね、【皇岬パーク】」
助手席に座る愛季が遠足前の子供のように空色の眼を輝かせている。
「昨日の夜にでもネットで調べてきたんじゃないのか」
「ううん。楽しみだったからあんまり深くは調べてこなかった。なんとなくだけど、今から行くその場所が、この町で一番良い景色に出会えるような気がして」
「“夏探し”パーティご一行様にとってのラストダンジョンってところか」
「そんな感じ。あ、この道を右かな。左の道を行くとこの前行った灯台だよね」
「そうだな。………うわ、ガードレールがない。こりゃ脱輪なんてしたらひとたまりもないな」
自分のハンドルに三人と一羽の命がかかっている。そう肝に銘じて慎重に車を走らせた。
くねった上り坂を何度か曲がっていると、やがて開けた場所に出た。視線の先には高さ二、三メートルはありそうな鉄柵が道を塞いでいる。車で行けるのはどうやらここまでらしい。
「とりあえず、ここみたいだな」
エンジンを切って俺達は車を出た。今日も空は青く澄み渡っている。日差しを遮る雲も何もない。普段より高い山のてっぺんに来ていると思うと尚更に暑さを感じた。
「あ、これ見て!」
車を降りた愛季がある一点を指差した。鉄柵で塞がれた道の正面向かって右手側、鬱蒼と木や雑草が茂っていた場所に、よく見ると人為的に建てられた立て看板がある。表面が蔦でびっしり覆われているから車に乗っているときには気付けなかった。
「………『ようこそ【皇岬パーク】へ』か。やっぱりここで間違いないらしいな」
「多分だけど、正面に柵で仕切られてるところは昔動物園があったところじゃないかな」
「しかし、まさかこの柵を登るわけじゃないよな」
柵の上部には乗り越え防止と思われる有刺鉄線が巻きついている。とてもじゃないがそんな強硬手段はとりたくなかった。
「カアァ、ガァ」
「ん?」
ソラの鳴き声に振り向くと、蔓まみれの立て看板の反対側、つまり柵の正面向かって左手側に歩道が続いている。まるで通行止めをするかのように頼りない細いロープが引かれているが、あちらなら問題なく入れそうだ。
「行ってみよう」
俺達はロープを乗り越えてその細い歩道に足を踏み入れた。足元はちゃんとコンクリートで舗装されているから、まず間違いなく当時使われていた道だろう。
ほんの数十秒も歩いたところで、大きな建物が見えてきた。
「これは………」
窓の数を数えるに地上四階建て。入り口と思われる場所の玄関傍には【国民宿舎 皇岬ホテル】という看板がある。当時ここで営業していたホテルのようだ。
「ガラスが割れたりはしてないみたいだから、廃墟マニアとかガラの悪い連中のたまり場とかにはなってないらしいな」
―――そもそもこんな人里離れた場所じゃたまり場にするにも不向きか。
「あっ!ねぇあれ見て!」
少し離れたところにいた愛季が何かを見つけたらしい。
「あれ、鳥居がある!あそこが元々あった【皇王神社】じゃない?」
見れば、廃墟ホテルの陰にあった駐車場らしきスペースの奥、鬱蒼とした木々が広がっている手前に石造りの鳥居があった。
だが。
「あれはどう見ても入れる雰囲気じゃない」
鳥居の向こうには子供の背丈ほども伸びた雑草が無秩序に広がっていて、とても参道らしい参道は残っていない。足場を探すのにも苦労しそうだ。このテーマパークが廃園になって随分経つのもそうだが、人里に居を移したことで元々あったこの場所を管理する者が誰もいないのだろう。人里に移した方ですら今は手つかずなのだから。
「そうだね、あれはさすがに私も―――」
さしもの愛季も諦めたのだと安堵したその時だった。
「………」
「?どうしたんだせつなちゃん?」
隣にいたせつなが何かに吸い込まれるように一歩、また一歩と鳥居の方へ歩んでいく。
「せつなちゃん、どうしたの?」
「………なにか、感じる」
「なにか?」
「私が、探してた、もの………?」
「せつなちゃん?」
普段からどこか虚ろな彼女の金色の双眸が、今はいつにも増して空っぽに見えた。いや、泳いでいると言った方が正しいか。何か、今とてつもなく彼女は動揺している。
「せつなちゃん―――」
「っ!」
こちらが何か声をかけるより先に、せつなが一目散に駆け出して鳥居の奥の茂みへと入っていった。
「せつなちゃん!一人じゃ危ないよ!」
「くそ、追うしかないっ」
「ガアァ!」
遅れて俺と愛季とソラがせつなを追って鳥居をくぐった。
遠目に見ていても分かっていたことだが、本当に荒れ具合がひどい。長い年月をかけて完全に自然に侵食されている。歴史が古いからか境内もそもそもろくに人の手が入っていなかったようで、足元や周囲には石やコンクリートなどの痕跡がほとんどなかった。おまけに子供のせつなの体躯だとほとんどすっぽりと姿が隠れてしまう。草の揺れて擦れる音だけを頼りに俺達は彼女を追った。
―――動物の巣穴とか崖とかに落ちたりするなよ頼むから!
まとわりつく夏の熱気や草木の青臭い匂いすら無視して注意深く、かつ一心に走っていると、やがて小さな建物らしきものが目の前に現れた。
その建物の前にせつなも立っている。
「はぁ、はぁ、せつなちゃん」
「どうしたの、急に走ったりしてっ」
俺と愛季が息を整えながらせつなにそう声をかけるが、せつなはまるで気付いていないのかこちらを振り向きもしなかった。
「?せつなちゃん、何見てるんだ?」
目の前にある小さな木造の建物は、おそらくこの神社の本殿にあたるものだろう。石でできた背の低い塀に囲まれている。囲まれている面積自体は畳で六畳分もないだろう。その狭い敷地の中にある木造の社は町の方に移築されたものを見てからだと随分と質素に感じるが、年季の違いは確かに感じる。むしろろくに管理もされていないのによくここまで状態を保てているものだと感心するほどだ。
「あ………」
せつなはこちらの声に耳を貸さず、何かに取り憑かれたように小さな社殿を見つめている。社殿は観音開きの扉で閉ざされていて、取っ手の部分に錆びた錠前がつけられている。
「ここに………?」
「?せつなちゃん何を―――」
ふと、俺の視界に入ったものがあった。敷地内に一本の石柱が建っている。一メートルほどもない。何かの記念碑か慰霊碑の類なのだろう。数百年の歴史の中ですっかり風化してしまって刻まれた文字はほとんど読めなかったが、僅かに読み取れる文字の羅列があった。
―――
その文字の羅列の読みを自分の頭でやっとのことで変換し終えたとき、事は起こっていた。
「せつなちゃん!」
「っ!?」
どこにそんな腕力があったのか、せつなが錆びた錠前ごと社殿の観音開きの扉を勢いよく開いていた。いや、それはどちらかというとせつなが自分の力で強引にこじ開けたというより、社殿の内側から何者かが導かれるように扉を開け放ったと表現する方が適切だったかもしれない。ともかく、常識では説明の出来ない何かが起きていた。
扉が開け放たれるとともに、その奥から眩い金色の光が堰を切ったように溢れ出した。
「うわっ!?」
「な、なに………っ?」
突然の光に俺と愛季は思わず目を閉じる。
「ッ、こ、れは………」
一方ソラだけは、俺達二人とは何か異なる反応を見せているように聞こえた。
「そう、か………、そうだった………」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます