第15話 画狂


 「さすがは、暁斎先生ですね」

 「あの暁斎先生が、権力に媚を売るなんて、おかしいなとは思ったんだ」

 「ぼくは、信じかけてしまったよ」

 若者たちは饒舌になり、互いに笑い合う。


 「幽霊図のモデルは、たしかに、お登勢さんであったようですが、よくよく聞くと、生前のお登勢さんではなく、亡くなった後のお登勢さんをモデルに描いたと言うことです。

 もちろんです。センセイは、自分に寄り添ってくれる、美しいお登勢さんをとても大事にしておられました。

 お登勢さんを見るセンセイの目は、とても優しいモノでした。

 ただ、お登勢さんが美しく優しいだけに、色々と複雑な思いもあったとも聞きます。

 その思いを種とし、センセイは、そんな話を作りあげたのでしょうね」

 「……しかし」と、ジョサイアが続けた。

 「からかわれた役人は激怒し、狂斎センセイは、再び投獄され、鞭打ち五十回の刑罰を受けたと言います」


 政府の役人をからかった代償の高さを知り、若者たちの顔から笑みが消えた。

 「でも……、そのようなことをすれば、刑が重くなるのは分かっていたはずですよね。どうして暁斎先生は、そのような無茶をなさったのですか?」

 「それは、わたしも聞きました。あまりにもリスクが大きいのではないですかと。

 すると暁斎センセイは、こう答えられました。

 『風刺画ばかりに、苦労をかけるわけにはいかぬではないか。たまには自ら役人をコケにして、絵師が痛い目に遭わねばならぬ』と」

 ジョサイアは続けた。

 「わたしはね、もはや暁斎センセイは、自らが描いた絵と、意思の疎通ができるのではないかと、本気で疑ったものです」

 ジョサイアの言葉に対し、今度は若者たちが笑うことはなかった。


 「暁斎センセイは、天才などと言う言葉では、とうてい追いつきません。

 腹の中で育てた画狂の種を大きく咲かせた、反骨の鬼才でありました」

 「……ですが、ジョサイア先生」

 と、若者の一人が、遠慮がちに口を開いた。

 「『筆禍事件』の後、政府批判に懲りた河鍋先生は、狂うの『狂』から、『暁』の暁斎と号を変えたと聞きます。

 改心と言わないまでも、反骨を貫くことはできなかったのではないでしょうか」

 ジョサイアは、その言葉にうなずいた。


 「そこです。

 そこが暁斎センセイの凄味でもあり、あなたたちに問いたかったことでもあります

 「え……、それは?」

 「分かりませんか? 暁の意味を思い出してください」

 ジョサイアは若者たちの答えを待たずに、自分で答えを口にした。


 「暁は、夜が明ける前の、暗く、もっとも夜の深い刻を表す言葉です。

 暁斎センセイは、暁斎という言葉を使い、御一新と言っても、まだまだ世は暗く、明けていないと皮肉っていたのです」

 学生たちは、誰も言葉を発しなかった。

 「暁斎センセイが投獄されたときより、およそ半世紀、明治も終わり、今は大正八年となります。

 ……きみたちに問いたい。世は明けていますか?」

 ジョサイアは、さらに若者たちに問い掛けた。

 「きみたちは、筆をもって、それを世間と政府に問えますか?」


   ◆◇◆◇◆◇◆


 河鍋暁斎を知るジョサイア・コンドルは、翌年の大正九年の六月に永眠した。

 六十七歳。遺体は護国寺に埋葬された。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

画狂の人 七倉イルカ @nuts05

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ