後篇
釜戸元めうの言葉を信用するのは難しい。
外は猛吹雪で、気温は氷点下50度、バナナもたちまち凍るほどの寒さであった。
そんな中を走るヒトがいるわけがない。いたとして、車を追いかけられるほど速く走れるわけがなかった。
第三者委員会は、考えた。
めうが見たものは、極限状態が引き起こした幻覚、あるいは風に舞いあげられた雪のかけらが『偶然にも』走るヒトのかたちをした――あるいはそのように見えたに過ぎない、と。
もちろん、その考え方は正しいだろう。めう自身、自分が見たものは幻かなにかだろうと証言している。
――だが、私が提示する二つの事実によって、疑問が生じる。
一つは、先述の通り、失踪した二台の車が南極とチベットで見つかったという事実である。
見つけたのは、M大学の登山隊と南極調査隊だ。
第三者委員会に連絡が入ったのは、車が失踪してから数週間が経過した頃である。
なぜ、南極とチベットで。
しかも、車を改めた登山隊と南極調査隊によれば、車は著しく損傷していたらしい。細めのタイヤに打ち込まれたスタッド(針のようなもの)は硬い場所でも走ったのか、いくつも折れていた。
また、南極のものに関しては、巨大なものに押しつぶされたようにひしゃげていた。
それに比べると、チベット――正確にはヒマラヤ山脈――で見つかったものは、五体満足といってよかった。
が、それは、鋼のワイヤーのような頑丈なクモの糸によって、がんじがらめにされているのが奇妙であった。ヒマラヤ山脈にそのようなクモは目撃されていない。
専用の工具によってこじ開けられた車内には、選手の姿はなかった。
あったのは一冊のペースノートだけである。
ペースノートに遺されていたことをかいつまんでみよう。
なぜかいつまむのかといえば、話に脈絡がなかったからである。
あっち行ったかと思えばこっちへ行き、最終的には、読む気が失せるだろうから。
その手記によれば、車は、突然のブリザードに包まれたらしい。周囲が真っ白になる――それは他の選手と同じであったが、車を横転させるほどの風が吹いた。
筆をとっていたと思われるコ・ドラによれば、洗濯機で洗われるぬいぐるみのような気分だったらしい。
車体の傷を鑑みるに、風によって横転した後も、ゴロゴロと転がされ続けたのだろう。なんという自然の驚異だろうか。古代の人間が神と崇めるのも当然だ。
だが、人間の技術も負けてはいなかった。崖に落ちることさえ考慮されうるラリーカーは、いたるところに補強があり、ドライバーもやわらかなシートに包まれている。そのためケガひとつしていなかったようだ。
それでも、時速百キロオーバーでの横転――その時の衝撃が彼らを気絶させた。
目覚めたとき、ブリザードは止んでいた。
奇妙なほど静かな空間。あたりに木々はない。灰色で、干からびた岩肌の露出する、大地にいた。
空を見上げれば、不気味なほど澄み切った空に、星々が瞬いている。
地面は、砂漠のように乾燥している。色彩を失ったかのようなネズミ色をした土が、風で舞い上がり、どこかへと飛んでいく……。
雪もなければ、木もない。仲間(ライバル)のエンジン音もしなかった。
横転の衝撃による被害はそれほど大きくはなく、車は地面に穴をあけながら、灰色の山脈めがけて進みはじめたのである。
その灰色の山脈は、見たこともない山々であり、ぎらついた太陽の光を受けて、不気味に瞬いていた。
標高やその形といい、アルプスの峰々に近しいところがあった。だが、それにしては雪が積もっていない。それどころか、木いっぽん、草いっぽんすら生えていないのが奇妙だった。
当然のように、路面は舗装されていない。それどころか、道のようなものさえなく、乗り物どころかヒトさえもやってきてはいないように思われたという。
だが、車は転がる石を難なく乗り越え、急斜面をエンジンを唸らせながら進んでいく。
ある山を登った時に、彼らは黒光りする城を見たという。
強烈な日光を飲み下すようなのっぺりとした黒い城。華麗でありながらも、見るものに嫌悪感を抱かせずにはいられない不思議な魅力を持ったその城には、カラスのようなものが群がっていた。
コ・ドラは、それに近づこうと、提案した。
だが、ドライバーは拒絶した。
――アレは、化け物だ。
絞り出すようなドライバーの声に、コ・ドラは何も言えなくなってしまったという。
その後、来た道を戻り、逆方向へと進んでいった彼らは、洞窟を見つけたらしいが、その先のことは、ひどく乱れた筆跡のせいで、読み取れなかった。
彼らを何が待っていたのか――おそらくは洞窟に生息していたクモにやられたのだろう。
灰色の山脈、黒い城、車を覆えるほどの糸を持ったクモ……。
それらの共通点は、車が発見された場所にある。
チベット。
そこで密かに信仰されているという神様に、巨大なクモがいたはずである。そのクモは、この世ならざる場所で、糸を紡ぎつづけているとかなんとか。
あるいは、黒い城は、かの有名な『ネクロノミコン』に記載のある、ニャルラトホテプが住まう、縞瑪瑙の城なのではなかろうか。
だがそうなると、彼らは、覚醒の世界を離れ、幻夢境へとさまよいこんだということになる。
幻夢境は、レン高原へと。
どうして、彼らはレン高原へと連れていかれてしまったのか。
その謎は私にもわからないままだった。
だが、先日、カナダの友人から一枚の手紙をもらった。彼女は、カナダの連邦警察に勤めており、未解決事件を解決して回っているらしい。
――不思議な事件が昔あったそうなんだけど。
そんな文面から始まった手紙には、1931年の冬、スティルウォーターという村で起きた、集団失踪事件のことがまとめられていた。
忽然と姿を消したという村の人間たち。それが、グリーンランドでの一件と奇妙な一致を見せていることも気になるが、その後、空から現れたという三人も興味を惹かれる。
そのうちの一人が語ったところによれば、スティルウォーターの人間は風変わりな神を信仰していたこと、その神の怒りを買い、空中へと舞いあげられた。
同じような目に遭った彼らは、チベットの奥深くで今なお信仰されているという、謎めいた宗教的儀式について語ったのだそうだ。
私は、その空からやってきたという三人組について、カナダの友人に国際電話をかけた。
が、不幸なことに、発見後すぐに亡くなってしまったらしい。
では、失踪事件の担当官を教えてほしいといえば、残念そうな声が返ってきた。
その人もまた亡くなったらしい。
行方不明になり、何もないところで墜落死していた、と。
私は今、そのスティルウォーターで信仰されていたという神について、調査を進めている。が、捜査は行き詰まっている。
今度M大学に所蔵されている『ネクロノミコン』を読んでみようと思うのだが、それでわからなければ、もうお手上げだ。
ちなみにだが、その神は『イタカ』というらしい。
今度、グリーンランドへ行ってみて、イタカなる神について調べてみようと思う。
吹雪とともに走るもの 藤原くう @erevestakiba
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