【短編】芍薬【1500字以内】

音雪香林

第1話 母の日。

 六歳になる息子が「母の日だからおかあさんにお花をあげたい」と言ったので花屋に来た。


 母の日とくればカーネーションだが、そのお約束を知らないらしい。


 店頭と狭い店内両方をくまなく見まわした息子が「これ! これがいい! 薄いピンクですっごいキレイ!」と指さしたのは……。


「おっ、いいの選んだな。『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』って言葉知ってるか?」


 息子は首をかしげて「なんか聞いたことあるけど意味はわかんない」と俺を見上げて来た。


「お前が選んだ花は芍薬って名前で、牡丹も百合もそう。つまり、お花みたいに綺麗な女の人のことを表した言葉なんだ」


 息子はパァアッと表情を輝かせて「おかあさんにピッタリ! おかあさん美人だもん!」と小さくぴょんぴょん飛び跳ねた。


「こらこら、お花を蹴飛ばしてしまうかもしれないから大人しくしてなさい」


 俺が注意すると飛ぶのをやめる。


 そんな俺たちの様子を見守っていた若い女性の店員さんが、微笑ましいと言わんばかりの優しい顔で歩み寄ってくる。


「母の日の贈り物ですか?」


 俺が肯定する前に息子が「うん!」と大きな声で答える。


「なら、芍薬は本当にぴったりよ。なんてったって、フランスでは『聖母の薔薇』とも呼ばれているんだから」


 店員さんの言葉に息子の目がいっそうキラキラしたので「これをください」と頼んで花束にしてもらった。


 花屋を出て息子と手をつなぎながら行くのは、自宅ではない。

 十分ほど歩いて辿り着いたのは……総合病院。


 息子は俺の手を放してタタタッと院内に入り、見舞いに来たと受付に伝える。

 もらったバッジを胸につけて、妻であり息子の母である入院患者のもとへ向かう。


 エレベーターに乗り、五階で降りる。

 俺は妻が入院してから「本当に四階がないんだな」ということを知った。

 それほど周囲に病人がいなかったし、自分も健康そのものだった。


「おかあさん!」


 もう何号室か確認するまでもなく来慣れた病室へ息子が走っていく。

 俺はゆっくりとその後を追う。


 入室すると息子が「走っては駄目よ。あなたが誰かにぶつかって、相手が怪我したら取り返しがつかないのよ」と妻にたしなめられていた。


 やわらかな声はひたすら慈愛に満ちていて、病苦を感じさせない。

 けれど、息子の頭を撫でる手が、入院着からのぞく腕が、信じられないほど薄く細い。


 頬もこけてしまっていて、髪にも艶がなく……ああ、本当に病気なんだなぁと実感してしまう。


「おかあさん、おかあさん、今日のお花はボクが選んだんだよ!」


 息子が振り向いて俺の腕の中の芍薬を指さす。


「まあ、芍薬ね。きれい。ありがとう」


 妻がふわりと微笑む。

 俺は胸が針で突かれるような痛みを感じた。

 あまりにも儚い笑みだったから。


「俺、花瓶にこれ生けてくるから」


 俺はくるりと踵を返し水場へ向かう。

 芍薬は「薬」の文字が使われている通り、ヨーロッパでは昔……たしかローマ時代だったかは根っこが「万能薬」として使われていた。


 渡来したときも「夷草えびすぐさ」と言われ、その意味は「異国から来た薬草」というものだった。


 花瓶に水を入れ、芍薬を生けながら「治る……よな……」と脳裏に妻の姿を思い浮かべる。


 治ってほしい。

 いや、治らなければいけない。


 だって息子は小学校に入学したばかりだ。

 そんな年齢で母を失うなんて……。


「お前は、薬としてだけではなく、中世では魔除けとしても使われていたんだろう? 頼むから妻を……病魔から守ってくれ」


 俺は神頼みならぬ花頼みをする。

 芍薬は、何も言わずただただ華麗に咲き誇っていた。




おわり

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