食べちゃいけない塩むすび

烏川 ハル

食べちゃいけない塩むすび

   

 小さい頃、よく一緒に遊ぶ友達が二人いた。

 ケンタくんとノブくんで、どちらも僕と同い年。正確にはノブくんは「ノブユキ」だか「ノブカズ」みたいな名前だったけれど、僕もケンタくんも「ノブくん」と愛称で呼んでいたし、本名はきちんと覚えていなかった。

 僕たちが住む辺りには、自然の池や川、山などはなく、三人で遊ぶのはもっぱら近所の公園。鉄棒と滑り台、砂場が用意されているだけで、あとは土の地面が広がっている。

 大きい子供たちは広いところでボール遊びをしていたけれど、年の離れた僕たちは、彼らに混ぜてもらうこともなく、邪魔にならない場所でいつも三人だけで遊んでいた。

 その日もいつも通り、滑り台の下をくぐったり、砂場を適当に掘ったりしていたのだが……。


「あれ? あんなところに、入れる道があるよ!」

 ふとケンタくんが指さしたのは、公園裏の森だった。

 僕たちが遊んでいた公園は、四方を柵に囲まれているわけではなく、フェンスがあるのは三方のみ。入り口から見て反対側となる裏側には、緑の森が隣接していた。

 その森が、いわば天然のフェンスだったわけだ。かなり木々が密集した森であり、出入り出来るような隙間もなかったから「天然のフェンス」として機能していたのだろう。

 公園で遊ぶたびに森は視界の片隅に入っていたし、前々から興味はあったけれど、小さな子供が入っていけるほどの隙間すら、今までは見当たらなかったのだ。

 それなのに、今。

 ケンタくんに釣られて森に意識を向けると、大人の後ろ姿が一つ、木々の間に吸い込まれていくのが見えていた。


「ついに侵入口を発見だ! これであの森を探検できるぞ!」

 ノブくんが興奮の声を上げる。

 口には出さなかったが僕も同じ気持ちだったし、おそらくケンタくんも同様。顔を見合わせると黙って頷いて、僕たちはその森へと向かった。


「ここ……だよね?」

 立ち並ぶ木々を前にして、首を傾げたのは僕だ。

 その「侵入口」らしき場所は、確かに一応、他よりも木々の間隔が少し広くなっていた。僕たちみたいな小さな子供ならば問題なく通れそうだが、でも大人には無理な狭さだ。

 さっき目にしたのは、確かに「大人の後ろ姿」のはずだったのに……。

 いや、あくまでも「後ろ姿」をチラッと目にした程度だから、詳しいことはわからない。男の人だったのか女の人だったのか、それすらはっきりしないけれど、上下が繋がった服のような感じだったので、僕はなんとなく「ワンピースを着た女の人」と思っていた。

 まあ男であれ女であれ、とりあえず背の高さ的に「大人」なのは間違いない。ならば、どうやってここから入っていったのか……?


 そんな疑問を感じて、僕は一瞬躊躇したけれど、ノブくんとケンタくんは違っていた。

「さあ、僕たちも行こうぜ!」

「うん!」

 二人の勢いに促されたのだろう。軽く首を横に振ってから、僕も二人の後ろから森へ入っていく。


「子供ならば問題なく通れそう」という間隔の木々は、最初だけだった。

 森の中に入ってすぐ、普通に大人でも通れるくらいの林道になったのだ。

 下草も生えておらず、硬い土が剥き出しになった小道だ。柔らかくないということは、そこだけ踏み固められているということ。かなり人の往来もあるような道なのだろう。

 ……と理屈立てて考えたわけではないが、子供心に「ここは普通に使われている道だ!」と感じ取っていた。


「気持ちいいな! これが『森林浴』ってやつだな!」

 ノブくんは時々、僕やケンタくんが知らない言葉を使う。そういう言い回しを好む子供だったし、この時もそうだった。

 ただ意味はわからずとも、僕もケンタくんも確かに、緑の木々に囲まれた中を歩くことには心地よさを感じていたし、ちょっとした探検気分で興奮もしていた。

 そんな気持ちで、しばらく歩くうちに……。


「うわあっ!」

 ノブくんが感嘆して叫んだのは、急に開けた場所に出たからだ。

 森の中に出現した、かなり大きな広場。ただし何もないわけではなく、掘っ建て小屋のようなものが何軒か建てられていた。

「こんな森の中に、人が住んでるのか……?」

 ケンタくんが不思議そうにつぶやくと、ノブくんが笑いながら否定する。

「住んでるわけないだろ。炭焼き小屋みたいな、一時的に使う家だよ」

 例に挙げられた「炭焼き小屋」はわからなかったが、「一時的に使う家」というのだから、何か特別な仕事の時にだけ使う臨時の小屋なのだろう。

 ノブくんが言いたいことを、僕もケンタくんも何となく理解したのだが……。

 どうやら僕たちは間違っていたらしい。

「おや、珍しい。我らが集落にお客様とは……」

 僕たちの声を聞きつけて、掘っ建て小屋から人が出てきたのだ!


 しかも一軒からだけでなく、いくつもの掘っ建て小屋から、ぱらぱらと何人も出てきていた。「我らが集落」という言葉から考えても、彼らはここに住んでいるのだろう。ここで暮らしているのだろう。

「ごめんなさい。勝手に家にお邪魔して……」

 とりあえず僕は、謝罪の言葉を口にする。

 頭を下げながら、チラッと彼らの様子を見ると、みんな僕たちのお父さんやお母さんより年上。おじいちゃんやおばあちゃんの年齢に近い感じだった。

 洋服ではなく、和風の服装だ。着物というほど立派ではないし、浴衣とも雰囲気が違う。「和風」なのは間違いないけれど、むしろボロっちい印象だった。

 そして「ボロっちい」という言葉が頭に浮かんだ途端、そこからの想像で僕は納得する。

 ああ、この人たちは、ホームレスとか浮浪者のたぐいなのだ。だから公園裏の森に隠れ住んでいるのだ、と。


「いやいや『お邪魔』なんかじゃないよ」

「うん、せっかくのお客様だ。おもてなししないとね」

 一人が小屋へ戻るが、すぐにまた出てきた。持ってきたお盆には、白い塊がいくつか乗っている。

「こんなものしかないけど、どうぞお食べなさい」

「大丈夫、おかしな具は入ってないよ。ただの塩むすびだからね」


 あとで聞いたところによると、この時ケンタくんは「わざわざ『おかしな具は入ってない』と言うのが怪しい」と思ったらしい。

 一方、同じく「具が入っていない」という点に関して、僕は「ホームレスや浮浪者ならば、粗末なおむすびなのも当然」と少しピント外れなことを考えていた。

 ただし僕も「ホームレスや浮浪者が握ったおむすびは不衛生」という考え方から、その塩むすびを食べてはいけないという方向性は、ケンタくんと一致していたのだ。

 そんな僕たち二人とは異なり、

「それじゃ、お言葉に甘えて……。いただきます!」

 食いしん坊のノブくんは、出された塩むすびを、普通に頬張っていた。


 依然として僕は、その場の人々をホームレスや浮浪者のたぐいだと思っていたけれど、だからこそ「彼らの貴重な食べ物を分けてもらうのは良くない。僕たちは家に帰れば、食べ物には困らないのだから」と思っていた。

 僕とは違う理由でケンタくんも、一刻も早くその場から立ち去るべきと感じたらしい。

「だめだよ、ノブくん。さあ、帰ろう!」

 まだノブくんは塩むすびをモグモグしている最中さいちゅうだったが、そんなノブくんの手を引っ張って、急いで帰ろうとする。

 僕もそれに従って、

「お邪魔しました。すいませんでした」

 もう一度ぺこりと頭を下げて、くるりときびすを返して……。


 帰り道は足早で、ほとんど走るような勢いだった。もう「森林浴」を楽しむ余裕もなかった。

 森から出て、いつもの公園の喧騒が視界いっぱいに広がったところで、僕は立ち止まる。膝に両手をついて腰を曲げた格好で、ハアハアと肩で息をするほどだった。

 ふと横を見れば、ケンタくんも同様。だが、そんなケンタくんを目にして、僕はハッとする。彼も「膝に両手をついて」いるのであれば……。

「ノブくんは……? ケンタくん、ノブくんの手を引いてたんじゃないの……?」


 きょろきょろ周りを見回しても、ノブくんの姿はなかった。

 ケンタくん曰く、確かにずっと手を繋いでいたはずであり、どこで手を離してしまったのか自覚はないという。

「もしかして……。ノブくん、あの森の中に置き去り……?」

 森の中で迷子になったのか、あるいはノブくん自身の意思で、あの集落へ戻ってしまったのか。

 いずれにせよ、放ってはおけない。ケンタくんと二人で、ノブくんを探しに戻ろうと思ったが……。

 いざ森に入ろうと振り返ったところで、僕たちは愕然とする。たった今、二人で出てきたはずの「侵入口」が、跡形もなく消えていたのだ。

 目の前に立ち並ぶ木々は、ギュッと密集状態。小さな子供が出入り出来るほどの隙間すら、ひとつも見当たらなかった。


 これは子供だけではどうにも出来ない。

 そう判断した僕たちは、ケンタくんの家へと向かった。僕の家よりも公園に近かったからだ。

 ケンタくんのお父さんは仕事でいなかったけれど、お母さんは家事をしていた。

「お母さん、大変! ノブくんがいなくなっちゃった!」

「公園裏の森の中! たぶん森の中で迷子になってる!」

 僕たち二人は大慌てで泣きついたけれど、ケンタくんのお母さんはキョトンと不思議そうな態度。

「ノブくんって……誰かしら?」


 いつも僕はお父さんやお母さんに、公園で三人で遊んでいることを楽しそうに話していた。ケンタくんの家でも同様で、だからケンタくんのお母さんは、ノブくんについて聞き知っているはずだった。

「冗談やめてよ、お母さん! 大変なんだから!」

 しかし、いくらケンタくんが言っても、彼女は「ノブくんなんて知らない」の一点張り。

 埒が明かないのでケンタくんのお母さんは諦めて、僕の家へと向かったのだが……。

 僕の家でも同じだった。僕とケンタくん以外は全員、ノブくんのことを覚えていなかったのだ。


 その後。

 僕とケンタくんはノブくんの家にも行ってみたが、そこは更地になっていた。

 近所の人に尋ねてみると、何年も前からその場所は空き地だという。


 結局この件は、大人たちからは「『ノブくん』は二人共通のイマジナリーフレンドだった」と処理され、笑い話として流されてしまった。

 当の僕やケンタくんにしてみれば、全然「笑い話」ではないけれど、小さな子供にはどうすることも出来なかったのだ。

 大きくなるとケンタくんとも自然に疎遠になったが、それでも時々顔を合わせる機会があれば、ノブくんを偲んで二人で塩むすびを食べることにしている。

 今では僕もケンタくんも「あれは日本神話やギリシャ神話にも出てくる黄泉戸喫よもつへぐいの一種だったのだろう」と解釈しているが……。

 コンビニで買う塩むすびには当然、そのような効果はないので、いくら食べても僕たち二人は、真っ当に暮らし続けている。




(「食べちゃいけない塩むすび」完)

   

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