Hug Machine

黒田八束

Hug Machine

 小学生のころに飼っていたカブトムシの幼虫について。

 昔、わたしの実家には肥料だめがあった。裏庭の一角にやぶれた家庭用プールを置いて、祖父母がかき集めた落ち葉や残飯を入れ畑仕事のための肥料をつくっていたのだ。近くには大きな栗の木があって、肥料だめには毎年のようにメスのカブトムシが卵を産みつけにきた。

 腐ったキャベツの端切れや、お米の粒の混ざった腐植土の中から祖母が素手で掘り返した一匹の幼虫は、餅のようにまっしろでやわらかそうだった。おそるおそる手を出してぽとりと手のひらに落とされたそれは、薄らと産毛が生え揃って、冷たく湿っていた。

 幼虫は土と一緒に飼育ケースに入れ、家の軒先に置いた。ろくに世話もしなかったから当然かもしれないが、成虫にはなれなかった。たぶんサナギにさえ。きっと冬の寒さを越せなかったのだ。幼心にそのことを理解していたが、飼育ケースを自室に置くことはどうしてもできなかったのだ。それにわたしは土を掘り返してまで幼虫の死をたしかめることもできず、そのまま放置を決め込んだ。

 けっして幼虫の存在を忘れていたわけではない。その存在は頭の片隅にあって、意識の表層に上がることがないよう努力して押し殺していただけ。そうした性質はいまも変わっていないと思う――死骸さえ目の当たりにしなければ、酷な現実を直視せずに済む。責任をとらなくて済む。

 そうして何日も経った。

 何週間も、何ヵ月も、何年も。

 風雨にさらされたケースのプラスチックが劣化するころ、中身を捨てたのはパパだった。

 あのころのパパは一ヵ月に一度帰ってくればいいほうだった。きまって土曜日の夜にSkypeで電話をかけてきたけれど、わたしがそれに応じることがなかったころのことだ。パパは例の肥料だめのプールにむけて、フタを開けた飼育ケースをひっくり返した。死骸を埋めてかぶせた土を、ぽんぽんと手でたたいてならしながら、こう言った。

「いいかい、理子ちゃん。死んでおしまいじゃない。あの幼虫も次の命をつなぐための養分になるんだ」

 わたしはパパのとなりで、その黒くちいさく炭のように縮んだ死骸のことが忘れられずに両手で顔を覆い、うつむいていた。パパはきっとわたしが泣いているのだと、悲しんでいるのだろうと思った。だから、わたしを、――抱きしめた。

 でも、パパは勘違いしていた。わたしは落胆、そして失望していただけだ。自分自身に。自分のひきょうなところ、生きものひとつとっても大事にできない冷淡な性質は、もはや努力や心構えといったもので修復できるものではなかった。そうした欠陥を直視して、苦しんでいた。このころにはもう、わたしは自分と周囲の決定的な齟齬に気がついていたが、その溝を埋める方法がどこかにあるはずと期待して、必死にもがいていたのだ。

 だからパパの抱擁もわたしの不安を増幅させる材料にしかなりえなかった。わたしはパパの腕をこばんだ。走って、その場から逃げ出した。

 パパが子どものころは味噌蔵みそぐらだったという小屋まで行くと、その裏に隠れてうずくまった。そうして自分で自分のからだを抱きしめながら、泣きじゃくった。

 その後パパがわたしをさがしに来たのか、自力で母屋に戻ったのかは、もうおぼえていない。おとなになったいまとなってはとるにたらないできごとだ。



「どうしよ。パパがいなくなった」

 パパが実家の一階に設置した介護ベッドからいなくなったというメッセージを受け取ったとき、私は職場のトイレにいた。

 だれも掃除をしないせいで、床に置かれた汚物入れからは使用済みのナプキンがいまにもあふれそうになって、腐った血の匂いがただよっていた。

 頭上の小さな網ガラスから、まだらに落ちた西日が、汚れた合皮の靴先を照らしている。わたしは便器に腰かけたまま、片手で持ったスマホの画面をみるともなしにながめている。

「ママ、大丈夫?」――考えあぐねて、一言返す。それから、「ウソでしょ」と。

 自分のことばが白々しく感じられたのは、こうしてパパがいなくることを、わたしはどこかで予感していたからかもしれない。

 パパはそういう人だった。いつも明るく親切で、面白おかしく、――けっして弱みをみせない。

 だからいよいよ死ぬとなったとき、家族に囲まれて大往生というわけにはいかないと思っていた。そもそもパパがホスピスではなく、たいして好きでもない自宅での緩和ケアを選んだのだって、ママにどうしてもとせがまれたせいだったのだから。

 トイレを流してスマホを脇に挟み、個室を出る。スタッフたちがおしゃべりに花を咲かせるのを横目に手を洗って、ごわごわの紙で手を拭いた。

「もう九月なのに全然気温下がらないね」

「毎朝出勤するたびに汗だくになって困っちゃいますよ」

 わたしは黙りこくり、濡れた紙を丸めてごみ箱に捨てる。

「門崎さん、ちゃんとゴミ捨てておいてよ。正職員なんだから」

 ドアを開けようと彼女たちに背をむけた瞬間に、そんな声をかけられた。

「あとでやりますから」

 むくんだ足の指がパンプスの中で行き場をなくし、じんじんと痛んでいる。

 暗い廊下にはうだるような熱がわだかまり、体を構成するタンパク質が端から溶け出していきそうだった。ここ最近の光熱費の高騰により、建物の温度設定はいつも二十八度に固定されていた。

 オフィスに戻ってデスクの真ん中にどんと詰まれた証憑の束を脇にどけ、デスクトップPCのスリープを解く。全面に財務データの一覧を表示しながら、わたしは隅に小さく表示したウィンドウのブックマークからパパのブログに飛んだ。

 パパのブログは、一週間前に見たときと何も変わっていないようだった。

 イレウス菅から廃液が思うように出ず、経験者にアドバイスを求める記事。最後には、こんな言葉が綴られている。

 <最近は小さ頃のことを思い出します こう見えてぼく、アリエルとかmめっちゃ好きでte>

 <人魚になって、どこまでも泳いでいけたら まずは一蘭のラーメン食べ行くかなl笑>

 それまでは欠かさず毎日更新していたこともあり、最新記事のコメント欄には、「祈っています」「心配です」というような文言があふれかえっている。

 

 その日の夜になって、「捜索願を出した」とママからLINEが入った。わたしがゴミ屋敷と化した自分の家で、虫の卵を観察しているときのことだった。

「パパがいなくなったらと思うと、ママ、おかしくなりそう」

「きっとすぐにみつかるよ」

 服を着たまま、カビだらけの風呂場の隅にしゃがみこんだわたしは、手早くそれだけを返信してスマートフォンをポケットに戻す。

 風呂場の隅、ひび割れたタイルの隙間には真っ黄色の卵が産みつけられていた。いびつな形。中心を大きく膨らませた卵は、黒ずんだタイルに根を張っている。

 存在に気がついたのは、今朝にシャワーを浴びたとき。なにがなんだかわからなくて、そのときは放置してしまった。

 形状はカマキリの卵を彷彿とさせるが、それにしては色が濃すぎるようだ。この薄い皮膜の向こうに何が息づいているのか。わたしは想像する。帝王切開のようにナイフで縦に切れ目をいれると、どろりと粘液があふれる。裂け目を押しひらきながら、モンスターの赤ちゃんがずるりと落ちてくる。モンスターは驚異的な速度で成長し、いつか東京の街並みを破壊する。

 フォークの先で空気穴をあけたラップで卵を覆う。間違ってもシャワーの水で流されることがないようにと。浴室を出て、床を転がるペットボトルを足のつま先で押しのけて歩き、ベッドの上に積み重なる服や鞄をざっと床に落としてから、何ヶ月も替えていないシーツの上に寝転がった。

 スマートフォンをいじり、パパの闘病ブログを開く。

 やはり更新の形跡はない。最新記事のコメントの数だけが二、三増えていた。

――パパが稀な種類の悪性腫瘍と診断されて、もう二年以上経っていた。

 最初は、趣味のバイクについてぽつぽつ記事を上げるだけの、数人も見ていないブログだった。中学生だったか高校生だったか、家族の共用PCの閲覧履歴に残っていたこのブログがパパのものだと気付いてからは、こっそり覗くようになった。

 パパのブログは一年前ほどにカテゴリを変え、それからは頻繁に更新するようになった。今や数千人の読者を抱え、毎日のようにランキングの上位に名前を連ねるようになった。腫瘍内科医が自身の闘病を語るという触れ込みが、耳目を集めたのかもしれなかった。それに、深刻な内容のくせして、パパの語りはいつも軽妙で、前向きで、悲壮感がなかった。そういうところが、他人の興味を引くのだろう。きっと多くの人がそうした物語を求めているから。

 くたびれたタオルケットにくるまる。電気を消すと、部屋の隅で、ガサガサと何かが動く音がする――ゴキブリだろうか。ヘッドボードの明かりをつけると、壁に黒い影が映った。ゴキブリが羽ばたく影が。存在するという事実だけで人間を苛立たせ、不快な感情を喚起させるもの。わたしはいつもそうしたものに自分を重ねずにはいられない。――なぜか?

 それは生まれつきわたしの脳の配線が人と異なっているからだ。


 次の日も、その次の日も、パパは帰ってこなかった。一週間を過ぎ、半月を過ぎるころになっても。

 無治療となり在宅での緩和ケアに入ったパパは、常に在宅酸素とイレウスチューブにつながれていて、本来であれば遠出できる状態ではない。医療用麻薬を投与していたと言うから、変にまじめなところのあるパパが車を運転するとも思えない。

 警察ははなからパパが自殺したと決めつけて、近隣の河川や雑木林を捜索したらしい。末期がん患者が自死を選択することは少なからずあるからと。

「このまま永遠にみつからないほうがいい。そのほうが、パパは生きてるって希望をもっていられるでしょ」

 一週間くらい経って、ママは電話口でそう語った。その裏では、ママが動物好きのパパのために半年前に飼い始めたダックスフンドが吠え続けている。わたしはまだ、一度も会ったことがなかったけれど。

「わたしもパパが見つからない方がいいって思ってる。葬式とかもやらなくて済むからね」

 ママの気持ちに寄り添うつもりで言う。だって、ママは献身的な人だ。いっそ自己犠牲的とも言える。赤字の病院を建て直すために二十年以上遠方に単身赴任をしていたパパに代わって、パパの実家に住み、家の一切を取り仕切った。パパが定年になって病院の理事長職を辞して、ようやく一緒に住めると思った矢先、病気が発覚した。ママはパパの看病や介護に心をくだいていたけれど、それに疲弊している部分もすくなからずあった。……と、思う。

「理子ちゃんは、どうしていつもそうなのかなあ」

 でも、ママはため息をついた。わたしは自分がずれた回答をしたんだって気がついた。

 わたしを責めまいと、でも指の隙間からこぼれ落ちていくわたしという理解の範疇を超えた存在に、長い年月で摩耗したママの声が聞こえる。

 電話を切ると、黙って女子トイレの個室から天井をみあげた。窓から射す光が反射して、波のような複雑な模様をえがいている。水底から空をみあげているようだと思った。

 オフィスに戻ると、経理チームのスタッフの大半が窓際に立って、外の雨を眺めていた。急な雨に窓のむこうは白くけぶってみえた。

 自席で荷物を片付けるスタッフがわたしの視線に気がついて顔を上げる。

「台風、近づいてきていますね。電車が停まりそうな人は早く帰っていいらしいですよ」

 そういえばそうだった、とわたしは朝方総務課から回ってきたメールのことを思い出した。うちにはテレビがないから、自分から調べようとしないかぎり、今来ている台風が何号で、どのくらいの規模で、どういう進路をたどってるかなんてわからない。

「今回の台風、なんて名前なんですかね」

「それは……さあ、知らないですけど」

 それじゃあ、と彼女は持っていた荷物を抱え直すと、足早に去って行った。

 雨風はどんどんひどくなっていって、定時で上がる頃にはオフィスの人員も半分ほど空になっていた。通勤で使う西武新宿線はダイヤが乱れ、高田馬場駅のホームはひとであふれかえっていた。わたしは人ごみのなかでスマホを出し、台風の名前を調べる。――『プイプイ』。ミクロネシアの言語ことばで、「きょうだい」を意味する。ああ、変なひびきだなあ、と思ったけれど、わたしにはそうしたことを一緒に笑ってくれるひとがいなかった。

 背後から人に押されて、ポケットにスマホを滑りこませたわたしはよろけながら靴を踏みつけられながら車両に乗り込んだ。生乾きの服の匂い、だれかの頭皮や皮脂の匂いが充満するぎゅうぎゅう詰めの車内で、わたしは前に抱えたリュックをぎゅっと抱きしめる。

 人と人との間で肩肘を張りながら電車の揺れをしのぎ、鷺ノ宮駅で降りる。外はざあざあ降りで、出入り口にある階段の周辺には迎えを待つ人たちがぼんやり立って群れを成していた。わたしは人波を抜け、小さな折り畳み傘を広げると外に出た。

 鷺ノ宮駅の手前には、南北を貫く形で妙正寺川が流れている。ふだんはまちがっても溺れる心配がないくらいの水位しかない川も、急な雨水をたくわえて濁流となり、今はどうどうと勢いよく流れていた。橋の上に立ち、ものめずらしさからわたしは暗い川の流れに目をこらす。街灯の明かりが波打つ水面で砕け散る。生活用水の匂い。

 そのときだった。どこからか声が聞こえたのは。「おーい」とわたしを呼ぶ声が聞こえたのは。

 川の流れに乗って、だれかが橋のほうへ向かってくる。大きく手を振りながら。

 わたしは橋の手すりから身を乗り出した。

「おーい、理子ちゃん」

 パパだった。

 パパは鼻から長細いチューブを垂らしながら、わたしに向かって手を振り続けていた。上半身は何もみにつけていなくて、開腹手術の痕が丸見えになっていた。パパはウインクをすると川の流れの上で寝そべった。すると暗闇の中エメラルドグリーンの鱗がぬるりと明滅した。

 パパのすらりとした二本の足はなくなり、かわりに魚の下半身がくっついていた。望み通り、パパは人魚アリエルになったのだ――わたしはそう理解する。

「理子ちゃん、こっちにおいでよ」

 まるで耳もとで囁かれたように、やさしいパパの声がわたしの鼓膜を打つ。こんなにやさしく話しかけられたのは、いったいいつぶりだろう。遠い光を見澄ますようにわたしは目を細める。そして次の瞬間には、川に向かって身投げしていた。

 水飛沫が上がる。川の水は冷たく、瞬時に目の中が焼けるように痛くなった。なんてばかなことをしたんだろうとすぐに後悔した。そんなわたしの手を、パパの手がつかんだ。

「理子ちゃん、一緒に行こう」

「どこに?」

 その瞬間、わたしの目にははっきりパパの笑顔がみえた。

「理子ちゃんが行きたいところに、パパもついていくよ」


 パパとともに荒れた妙正寺川を流れはじめてすぐ、わたしの下半身も変化しはじめた。両足の感覚が鈍磨になり、気がつけばひとつにくっついていた。ひとかたまりとなった足を覆うように鱗が皮膚の上を這い、最初はやわらかかったそれもUVライトを照射したジェルネイルのように硬くなっていく。そうしてわたしもまた人魚となり、パパとともに旅に繰り出す。

 ばかげた話だと思われるだろう。でも真実を語ったところで、いったいどんな価値があるのだろう。わたしの不器用で幼稚な語りに、大抵のひとはすぐに退屈しはじめるだけなのに。

 わたしは子どものころのようにパパと手をつないで川を流れていった。暗渠に入ると、中はドブの匂いであふれかえっていた。台風で流されてきた、さまざまなゴミがわたしたちにぶつかり、絡みついていった。わたしたちの腕や胴体、鱗は傷つき、血を流した。なにがあってもパパはけっしてわたしの手を離さなかった。

 やがて河口に出て海にたどりつく。塩水は体中の傷にひどくしみた。でもその痛みは、何時間もオフィスの椅子に座って人間のふりをしている痛みと比べたら、ずっとマシなようにも思えた。

「一蘭のラーメンを食べに行くんじゃなかったの」

 ふたりでひとつの発泡スチロールにつかまり、昼間の緩慢と波打つ沖合をたゆたいながら、パパに聞く。パパは鼻からぶらぶらと青いチューブを垂らしながら、「知ってたんだ?」と瞠目した。

「うん、ずっと隠れてパパのブログ、読んでたよ」

 そうかあ、とパパが笑う。わたしは指に力を込めた。すると発泡スチロールが砕け、支えを失ったわたしは海中に沈んでいった。

 パパがわたしの腕をつかんだ。そして抱きしめる。

 水中で、途中でちぎれたチューブがゆらゆらと揺れていた。

 パパの骨と皮ばかりの腕はごつごつして、わたしを抱擁するその皮膚はサメのようにざらついている。わたしはだれかに抱きしめられることをしばしば夢想するが、現実にはそれが数秒と耐えがたい行為であることを身にしみて知っている。赤ん坊の頃から、誰に抱きしめられても海老反りしてまで泣いて嫌がる子で、それは今でも本質的には変わっていなかった。


 漂流の末に、どこかの浜に流れ着く。沖縄かもしれないし、ミクロネシアのどこかかもしれない島の、誰もいない珊瑚の浜でわたしたちは風に吹かれていた。

 パパはわたしの髪にささったストローを引き抜いて、「プラスチックストローって、どうしてあんなに悪者にされるんだろう?」とつぶやいた。

「プラスチックは自然分解されないから」

「ストローの話をしているんだよ」

 パパが目を伏せ、おもむろに鼻から伸びたチューブをつかんだ。

「これ、小腸まで入ってるんだ」

「痛くないの?」

「痛いよ」

 はっきりパパは言った。

「知らなかった。いや、知識としては知っていたけど、ほんとうの意味で気がついていなかったんだ。患者さんたちがこんな痛みを感じていたなんてね。でも、人間は強いから、時間が経てばそうした痛みにも順応できるようになっているんだと思う。だから今はたいして気にならないんだ」

「わたしがいる生活には適応できなかったのに?」

 パパは濡れた手で浜の砂をつかんだ。

「病院が赤字で、寝る間も惜しまず働いていたんだ。ぼくの勤めていた病院はね、治療費を払えない人でもけっして拒まないし、ちゃんと治療をする。けっして理子ちゃんと暮らすのがイヤだったから、離れて暮らしていたわけじゃないんだよ」

「ママとわたしをあの家の中に置き去りにして?」

「だから、仕事が大変だったんだよ。仕方がなかったんだ、そういう時代だったんだよ」

 わたしはパパのチューブをつかんだ。「理子ちゃん?」とパパがささやく。

 パパと視線が合う。蒙古襞のないパパの目は、端から赤い粘膜がむきだしになって、その目がずっと苦手だと感じていたことを思い出す。

「理子ちゃん」

 パパがささやく。

「ぼくだって理子ちゃんのことを理解しようと努力したよ。ママだってそうだ。理子ちゃんがぼくたちの気持ちを受け入れようとしなかったんだ」

「わたしもパパやママのことを考えていたよ。……だから病気になってからも、一度も会いに行かなかったんだよ。それが、パパのためだと思ったから。わたしが何か変なことを言って、パパやママに、これ以上ストレスを感じさせちゃいけないと思ったから」

 そのとき、背後で爆竹を鳴らすような音がひびいた。

 パパの体が傾いた。

 背後のジャングルを振り返ると、手前に猟銃をかまえた人の姿があった。わたしはパパの腕をつかむと、目の前の海に飛び込んだ。

 でも、パパは死んでしまった。あっけなく、猟銃に撃たれたことによって。

 波にさからい、波に揉まれて泳ぐうちに、パパを引っ張ることは次第に難しくなっていった。泳いでいるはずなのに、どうしてか体が海の底へ底へと沈んでいくのだ。海水は鉛のように重く感じられた。四肢から力が抜けていき、ついにはパパの手も離してしまう。

 パパ。

 わたしの声はあぶくになって消えていった。パパの体は潮流に揉まれ、あっというまに視界から消えていった。

 そしてわたしもひとりなすすべなく、海の深い場所へと落ちていった。洗濯機の中でかき混ぜられるようにぐるぐると螺旋を描きながら、下へ、下へ、と引っ張られていくうちに、体から緊張がほどけていくのがわかった。

 落ちるにつれ重量をましていく海水が、わたしの全身をしっかりホールドしてくれるように感じられたから――それはまるで、だれかに抱きしめられている感覚に似ていた。

 いつかの夏、パパがわたしを抱きしめたことを思い出す。

 その不快感を。

 そしてそれを不快に感じる自分が、どうしようもなくつらかったことを。


――世界で最も有名な自閉スペクトラム当事者、テンプル・グランディンは、Hug Machineを開発したことで知られている。家畜用の締め付け機にインスピレーションを得て、自身がコントロールできる圧迫感と重みの中で不安を軽減させようとした。わたしも、小さい頃は何枚も客用蒲団を重ねて、苦しいくらいの重みを感じながら眠るのが好きだった。そうしてひとみをとじ合わせて、だれかに抱きしめられているという想像を重ね合わせた――Hug Machineも蒲団も、他者の血の通った肉体を介さず、「抱きしめられる」ことを擬似的に体験できるものだった。


 ……そしてこの海も。

 病理のように常にわたしにとり憑く不安が煙のように消えていき、晴れ晴れとした気持ちになった。あらがいがたい心地よさにひたり続けようと、わたしはひとみを閉じる。

 視界の一切は暗闇に閉ざされ、絶えずあぶくの弾ける音だけが聞こえた。



 ◆ ◆ ◆



 そして、わたしは鷺ノ宮にあるワンルームのアパートに帰りつく。浴室のドアを前に、髪についた海藻をひっぺがした。取っ手に指をかけて擦りガラスのドアを開くと、甘いカビの匂いが陽炎のように漂ってきた。

 視界の大半を占拠するのは巨大化した卵だ。いまや浴室の半分以上を占める卵は、床や壁に根を張り、着実に成長していったように見える。タイル敷の床に、やぶれたラップが落ちている。

 妊婦のおなかを思わせるふくらみに手を這わせる。ひんやりと冷たく、弾力のある手触りはゴムに似ている。爪に力を入れると、指がどんどんと皮膜のなかに沈んでいって、やがてプツンと音を立てて弾けた。質量のあるぬるついた液体がしたたって手のひら全体を濡らし、裂け目を広げながらずるりと何かが落ちてくる。

 わたしは全裸のパパを抱きしめてみる。パパの体は痩せ細って硬く、氷のように冷たかった。いつかみたHug Machineを思い出す。本に掲載されたそれは白黒写真だったけれど、きっとあれはパパの皮膚と同じ色、同じ感触をしていた。


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