8月31日:最後の夏休み

「部長? どうして、どうして何も言ってくれなかったんですか」


 何処か自分の心にあった許せないという気持ちが先走ってしまって、声を荒げる。電話向こうからの返事はこない。でも、吐息だけは確かに聞こえた。


「今日、部室が移動になりましたよ。全部、新校舎に運ばれました」


 言葉を待つよりも、一日抑え込まれた感情に急かされてしまい、続ける。

 それでもやはり何も言ってはくれない。本当に相手はゆかりなのかも曖昧になる。


「文芸部は、私たちの部屋じゃないですか。ただ一言言ってくれればいいだけなのになんで、なんで何も……他の部員のみんなにも……」


 私はどんな顔をしてスマートフォンを握っているのだろう。

 ゆかりはどんな顔をして私の言葉を聞いているのだろう。


 声を待つ。吐息が途切れて、どんな言葉を紡ぐのか、ただ待つ。

 ゆかりの言葉を聞きたかった。ゆかりの思いを知りたかった。


 夏を終えたら文芸部に関わることはない。だからといってそれは即ち私とゆかりが過ごしてきたあの部室が消えてなくなるというわけじゃない。そう思っていた。

 だけど違った。理由は知らないし、聞いたところで納得できる自信もないけれど、私たちの理想のような部室は跡形もなく壊されて消えた。


 形あるものはいずれ壊れるなんてよく言うし、もう部室に通うこともないのなら、なくなったところでそこに感慨を覚える方がおかしいのだろうか。

 いや、きっと違う。例え、それが十年後のことであろうと百年後のことだろうと、なくなってしまうことには喪失感があって当然だ。


 私は知りたい。何故ゆかりは、こんなにも大事なことを黙っていたのかを。


 夜の闇の中を静寂で満たされる。自分の吐息で聞き逃さないように呼吸も止める。まだ通話が繋がっていることを確認しながら、私は耳を澄ませた。


 呼吸音。声を出そうとする、微かな息遣い。


『――やあ』


 力のない声が、聞こえた。いつものようにを取り繕うとした弱い声だ。

 ひょっとしてさっきまで泣いていたのだろうか。そう思えるくらい掠れている。


『話そうと思ってたけど、忘れて、たんだ』


 明らかに真っ赤な嘘だった。そんなことで私を騙せるとも思っていないだろうに。でも、ゆかりのそんな聞いたことのない声で言われたら返事が思いつかない。


「じゃあ、なんで電話出なかったんですか」

『うっかり充電、忘れちゃってて。置きっぱなしにしてたから』


 たどたどしい。あまりにたどたどしい。カンペを読みながらでもそうはならない。こんなの子供でも騙せそうにない、真っ赤な嘘だ。


「そうだったんですか。部長もうっかりしすぎですよ」


 白々しい返しだっただろうか。でも私はゆかりを問い詰めるなんてできなかった。もしも、私が部長としてゆかりの立場だったら、きっと何も言えないだろうから。

 目の前で解体される部室を見て、喪失感に苛まれることが容易に想像できるから。


『――ごめん、全部真っ赤な噓』


 知ってる、と答えてもよかったのかもしれない。


『美紅さんが、あの文芸部の部室のことを気にかけていることは分かっていたんだ。もちろん、離れたくないと思っていることも。だから言えなかった』


 ゆかり、やっぱり泣いている。気付かれてないと思っているのだろうか。


『勿体ぶるつもりはなかったよ本当。クーラー直すときにモミジ先生に言われてね。夏休み終わったら部室は解体だって。だから今直さなくてもいいよって』


 珍しく、語調がブレている。動揺しているのか興奮しているのか。


『ほら、あの日、きびだんごを用意したあの日。あの日に、言おうとしてたんだ』


 いつだったっけ。ゆかりがきびだんごを用意した日なんていちいち覚えていない。メイド喫茶のことが真っ先に思い浮かんだけど、多分違う。

 ええと、確かそう。やたらと鬼電食らった日のことかな。


 八月も始まったばかりで、あんなに暑い日だというのに、急かされて。

 緊急招集だなんだと大騒ぎするから何事かと思ってきてみれば、きびだんご。

 よく分からないまま、後輩呼んで普段通りの部活を過ごしただけだった。


 今になって思えば、拍子抜けするほど緊急性もなくて、そのくせして煩かった。

 あとあとで莉子ちゃんや、ひまわりちゃんにその日のゆかりのことを聞いてみたら鬼電したのは私だけ。そもそも後輩ちゃんたちが呼び出されたのは一回だけという。


「――なるほどね。不揃いなピースがハマった気がしますよ」

『美紅さんにだけは言いたかったけど、言えなくて……』

「部長、いつも言ってますが、ホウレンソウって大事なんですよ。一時の感情だけで物怖じしちゃって伝達できないなんて部長失格ですよ。ま、明日で交代ですけど」


 私は、わざとらしいくらいに大きく笑い飛ばした。深夜零時回ってるのも忘れて。


「――ありがとうございます、ゆかりさん。私、ずっと弱いところばかり見せてきてぶりっこしてましたもんね。色々ショックなニュースとか言いづらかったですよね。でも、大丈夫ですよ。私だっていつまでもメンタルよわよわじゃないですから」


 私もゆかりのことをよく知っていたつもりになっていたし、それはゆかりもそう。

 きっとゆかりも私のことをよく見ていて、よく知っていたつもりだったのだ。


 見た目は可愛いロリなくせに大人ぶってて行動力で何とかしようとするゆかり。

 内気で引っ込み思案なくせに子供ぶってて身の周りに流されようとする私。

 そんなのも全部真っ赤な噓。変わっていたけど、変わってないフリをしてただけ。


「話なら、明日二人だけでもう一度話しましょうよ」

『――うん、それがいいのかもね』


 それからくだらない話を交えて、私たちの通話は自然に切れた。

 また明日。いつものようなそんな流れで。


 ※


 ※ ※


 ※ ※ ※


 空が明るさを取り戻して、私は最後の一日を噛みしめるように一歩踏み出す。

 昨夜のことも終わってみれば大したことでもなかった。


 でも、これが私らしいと言えるのだろう。きっとゆかりにとってもそう。

 何でもないような日々を過ごすだけでずっと幸せに思っていたのだから。


 このあと、ゆかりとどんな話をしようか。

 そんなことを考えながら、今年の夏休みのことを振り返ってみる。


 やっぱり特に青春も恋愛もない通り過ぎるだけの夏だった――……。

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ロリ部長と最後の夏休み 松本まつすけ @chu_black

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