8月30日:文芸部の最後
あまり面白い夢ではなかったと思う。どういうわけか地下世界に閉じ込められて、廃墟の中から居住区を探し求めていくような、そんな薄暗い夢だった気がする。
ポストアポカリプス世界から救い出してくれたのはスマートフォンの音だった。
ハッと目を覚ますと昨日の天気も何処へ行ってしまったのか、時間がズレるような微妙な暗闇の中にいた。多分、時刻はまだ昼にもなっていないくらいか。
延々と呼び出してくるスマートフォンに手を伸ばし、なんとか掴み取る。
今日は特に予定もなかったと思うし、昨日なんかは盛大に部室でパーティした後。こんな曇った天気では出かける気にもなれないのだが、一体誰だろう。
『あ、さくら先輩。すみません、寝ていたでありますか』
「雨水さん? どうしたの? 珍しいね」
電話向こうから莉子ちゃんの何処か焦ったような声が聞こえてきた。
何か、事件でもあったのかと思うような声色だ。
『ええと、部長とゼンゼン連絡がつかなくて、さくら先輩なら知っているかと』
「待って、何の話か分からないから説明して」
あまりに要領を得ない。部長ゆかりに連絡がつかないことと、文芸部部室のことで何か不穏なことを煽られたことだけは分かった。
仕方なく、私は莉子ちゃんに促されるまま、学校へと向かうことになった。
話の殆どが耳に入らなかった。それは莉子ちゃんが興奮していたこともあるけど、文芸部のことは私はもう吹っ切れたつもりでいたから。
関心がないなんて言うつもりはない。ただこれ以上ズルズル引きずってしまうのが未練ったらしくて情けないような気がしていただけ。
電話を切ってすぐ、私も何度かゆかりに電話を掛けてみたが、応答はない。
電源を切られているようで、そもそも繋がらない状態だった。
それくらいのこと、慌てるまでもない。
でも、どうして莉子ちゃんはあんなに慌てた様子だったのだろう。
まだ肝心な話が繋がっていないのだ。急かされるように私は学校へ急ぐ。
どうせもう夏休みも終わる。あえて短い休日を消化してまで行く必要があるのか。そんなことも頭をよぎるが、何故だろう。嫌な予感がする。
私だって鈍いつもりはない。ゆかりは何かを隠していたと思っていたから。
灰色の空の下、汗をこぼして走る。
学校の校門前に着いて、莉子ちゃんがいた。その隣に、ひまわりちゃんもいた。
汗に滲む顔は暗さのせいか青く見えたくらい。
「雨水さん、それに白露さんも。一体どうしたの?」
「ぁの、美紅パイセン……、部室が……」
か細い声でひまわりちゃんが言う。旧校舎の方に視線が行く。
校門前からでは文芸部の窓を見ても大したものが見えるわけではない。
ただ、誰かがいるということだけは分かった。
「分かった、行ってみよう」
何が起きているのかなんて分からないけれど、何かが起きているのは確かだった。ここまでくれば何もせずにボーっとする気など毛頭なく、旧校舎に駆け込む。
何故だか廊下に人がいっぱいいた。生徒じゃない。何かの業者だろうか。
私は仕事服に詳しくはないけれど、引っ越し業者のように見えた。
なんで、旧校舎にこんな業者が集まっているのだろう。
色々なものを運び出しているのはどうしてだろう。
その疑問の答えがあるであろう、文芸部の部室の前に辿り着く。
そこに立っていたのは、あまり顔を見せない顧問の青ノ村モミジ先生だった。
普段は主に文芸部の件で迷惑ばかりかけてしまっている女教師だ。
「モミジ先生、これってどういうことですか?」
「あら? あなたたち、作業の邪魔になるから下がっててね」
何の答えにもなっていない。たまらず私は文芸部の中を覗いた。
昨日はパーティをしていて、飾りつけの残っている部屋だったはず。
それが、どういうわけか沢山の人が入っていて、外しにかかっていた。
ゆかりが作った飾りはゴミ袋の中に詰め込まれていく。
大量に用意された段ボールに放り込まれていくのは私たちのマンガだ。
キレイにごっそりと収まっていって、本棚を空にしていく。
何もなくなった本棚は運び出されていき、スペースが広がっていく。
「どうして、部室を? 改装するんですか?」
そんな話、全然聞いてない。ゆかりだって何も言わなかった。
「どうしてって、雪村さんから何も聞いてないの?」
「ええ、部長は何も。これって何の作業なんですか……?」
そうこうしているうちにも部室は様変わりしていく。
お気に入りの壁紙もバリバリとひん剥かれていく。
部長と選んだカーペットも乱暴に剥がされて木目の床が露出する。
直したばかりのエアコンも解体されて丸ごと持っていかれてしまった。
「文芸部は移動することになったのよ」
知らない。聞いてない。なんで急に。そんな疑問が湧いてくるが、言葉が出ない。だって、私の部室が目の前で壊されていったから。ゆかりとの思い出も何もかもが、全部まるで最初からなかったみたいに。
言いたい言葉は沢山あったのに、がらんどうの部室を見たら何も言えなくなって、結局私と後輩たち、莉子ちゃんとひまわりちゃんを連れて、帰るしかなかった。
※ ※ ※
あれからゆかりとの連絡はつかなかった。いつまでも部室の前で待っていたけれどこなかったし、バイト先の方にも顔を出したけどシフトも入ってなかった。
もちろん家にも行ったけど留守で、手あたり次第探し回って見つからずじまい。
途方に暮れているうちに日が暮れて、暗い空は夜の帳に上書きされる。
何度もゆかりに電話してもやはり繋がらないし、メッセージアプリも未読ばかり。時間の感覚が薄れていくみたいに、ただただ無感情に過ぎ去っていくばかり。
後輩ちゃんたちももちろん、今日のことは何も聞かされてなかったのだという。
夜の空を窓越しに見上げ、私は空虚な気持ちに浸る。
一体、どういうつもりだったのだろう。こんな大事なことを黙っているなんて。
まだ、心の奥が震えている。部室が消えてしまったのを目の当たりにしたから。
眠気もなく目の冴えていた私は、まだ喪失感に苛まれる。
テーブルに置かれたデジタル時計の告げる日付が変わろうとしていた。
そんな時だ。不意に、去年ネットで流行っていた音楽が無機質な部屋に流れだす。
私の手は咄嗟にスマートフォンへと伸び、確認する間もなく耳に当てた。
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