誰もあいつを疑わない

無雲律人

誰もあいつを疑わない

 私の前腕と二の腕には、無数の生傷がある。もちろん自分で付けた傷ではない。


 これらの傷は、私が愛するに付けられたものだ。


 あいつは、私の腕に容赦なく爪を立てて来る。楽しい時も、怒っている時も、悲しい時も、いつだって私の腕に爪を立てては生傷を残していくのだ。


 しかし、私はそれを怒ってあいつを非難する事は出来ない。何をされても痛くはない。苦しくも無い。ただ、あいつが生きてさえいてくれたらいいのだ、と。それほどに私の愛は狂おしくも強いものになっていた。


 それは恋愛感情なのか、母性なのか、友愛なのか、私には分からない。色々な愛情が複合的に重なり、あいつは私に無くてはならない存在になった。


 夫であるおいたんへの愛とは違う感情。もっと、包み込むような愛情。熱いというよりは微笑ましい愛情。しかし、庇護欲を掻き立てられずにはいられない愛情。そんなものをあいつには感じていた。


 もしも今私が不審死をしたとしたら、検視官は私の生傷に目を向けるだろう。誰が、何の目的で私に無数の傷を残したのか。私はDVの被害者なのか、もしくは傷付けられる事で快感を覚える変態性癖の持ち主なのか。検視官はきっと悩むだろう。


 あいつに疑惑の目を向ける人間はそう多くは無い。あいつは、その愛くるしい見た目で他人を欺いて来たやつだ。


「可愛いね」

「綺麗だね」

「愛らしいね」


 全ての美辞麗句を好きなようにしてきたのがあいつだ。あいつが私に無数の傷を負わせていた犯人だなんて疑う人間はいないだろう。


 毎日風呂に入るたびに、湯が傷に染みる。風呂の後に赤く腫れあがった傷を見て、両親も言葉を合わせる。


「お母さんもこんなに赤くなっちゃって」

「俺も血が出て来ちゃって」


 何と、あいつは私の両親にまで傷を負わせていた。私が何よりも大切にしている家族にも、あいつは爪を立てるのだ。


 しかし、やはり私はあいつを非難する事が出来ない。あいつは家族同様に私の愛を受ける存在なのだから。


 もしも今私と両親が不審死をしたら、疑われるのはおいたんだろう。


「あんなに優しそうな顔をして、家族にこんな傷を負わせていただなんて」


 そんな風においたんが検視官や近隣住民に言われるのは絶対に許せない。おいたんは優しいし、暴力なんて絶対に振るわない。だが、あいつに疑いの目を向けてくれる人間がどれだけいるというのだ。


 あいつは、その愛くるしい見た目で全ての人間を虜にしてしまう魅力がある。その魅力の前で人間はひれ伏すしかないのだ。


 だから、私と両親は今不審死するわけには絶対にいかないのだ。せめて傷が付かなくなる長袖の時期までは、絶対に生き抜かなければいけないのだ。


 そう、長袖の時期には傷は付かない。あいつの爪も、そこまで深くは届かない弱弱しいものなのだ。


 あいつ……そう……私が愛するあいつは……オカメインコのチャコだ。


 チャコは私と両親の素肌に容赦なく爪を立てて上って来る。その度に私たちの腕には傷が付き、時には血が流れるのだ。


 しかし、オカメインコのあの愛らしい丸いほっぺに加えて、あの可愛らしい歌声を聞いてしまったら、その暴挙も何のその、結局可愛い可愛いと全てを許してしまうのである。


 おいたんにだけ傷が無いのは、おいたんは日中仕事に行っていて、そこまでチャコと触れ合う時間が無いからというだけだ。決して腕のムダ毛が濃いからではない。


「いっそアームカバーしようか」


 そんな案も出た事は出たが、今年の夏はとても暑い。エアコンの効いた部屋とはいえ、アームカバーをしていたら暑苦しいと思われる。


「ま、夏の間だけだから」


 結局私と両親の三人は、チャコが何をしようが可愛くて仕方が無いのだ。チャコが我が家の家族になって七か月。すっかりチャコは我が家のヒエラルキーのてっぺんに君臨している。


 しかし、真面目に今路上で行き倒れなどにはなりたくない。この生傷の多さで無駄な憶測を呼びたくはない。


 だからこそ、熱中症で倒れないように対策をして出歩きたいと思う。


 だって、オカメインコに疑いを向ける人間なんていないのだから……。



────了

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