高野咲良は亡くなりましたか?
南雲 皋
高野咲良は亡くなりましたか?
ミーンミンミンミンミーン
夏は嫌いだ。代謝が無駄にいいせいで汗だくになるくせにダイエットを決意してから一向に体重は落ちないし、冷感グッズをどれだけ使おうと暑さが和らぐことはない。
早くクーラーの効いた事務所に戻りたい。そう思いながら私は担当している
週に三回、お弁当の宅配と同時に独居老人の安否確認をするのが私の仕事で、瀬川さんはもうすぐ九十の大台に乗ろうという独居男性である。高齢であることと、身寄りがないことから要注意人物としてマークされていた。奥さんが存命中からうちの宅配弁当を利用していて、自分がいなくなったらうちだけが頼りだとしょっちゅう言っていた。そしてそれが現実のものとなったのだった。
奥さんが亡くなってもう三年になる。私と瀬川さんの付き合いもそれだけ長くなったということで。通い慣れた道を配達用バイクで走りながら、熱風を顔に受けた。
「瀬川さーん、こんにちわー!
くたびれたアパートの一階、錆びた赤茶色の玄関脇に、未だ現役の古い呼び鈴が付いている。いつものように声を掛けながら呼び鈴を押すと、玄関の向こうでジリリリリと音がした。普段であればすぐにガサガサと人の動く音がして玄関が開くのだが、もう一度呼び鈴を鳴らしても瀬川さんの気配はない。
まさか。
エアコンの室外機が回る音は聞こえているものの、全ての部屋に付いているわけではない。この暑さだ、これくらい大丈夫と油断して倒れているなんてことも十分に考えられる。
「瀬川さーん! 瀬川さーん!」
ドンドンと玄関を叩く。太陽に熱された扉は叩く拳が火傷するのではないかと思うくらいに熱かった。私はスマホを取り出し、事務所に電話をかける。コール音がしてすぐ、受付の女の子が出た。
「お電話ありがとうございます! とくとく弁当配達サービス小平店です!」
「お疲れ様です、高野です。瀬川さんの返事がなくて、店長に代われます?」
「あ、はいっ!」
保留音が流れる間もなく、店長が出る。現状を説明した後、通話状態のまま預かっている合鍵を使って玄関の鍵を開けた。これまた火傷しそうなドアノブを握る手は、暑さとは別の理由でじっとりと汗をかいていた。
ギャギャギャと嫌な音を立てながら、固い扉を力任せに開け放つ。無意識に止めていた息を吐いて、吸った。覚悟していた悪臭はせず、室内から冷えた風が吹いている。念の為にマスクをして、もう一度瀬川さんの名前を呼んだ。
返事はない。店長に現状を逐一報告しながら靴を脱ぐ。玄関には便所サンダルがきちんと並んで置かれていた。入ってすぐの廊下には、一昨日届けたお弁当の容器が四つ重ねられて置いてある。昨日の夜もしっかりお弁当は食べたのだと分かって少し安心した。
「瀬川さーん、お邪魔しますよー?」
廊下の途中にあるお風呂場の扉は開け放たれていて、瀬川さんの姿はない。トイレの中も確認したが誰もいなかった。のれんの向こう、ダイニングキッチンにも人影はなく、残るは寝室になっている和室のみ。
ダイニングに設置してあるエアコンの冷気を送るためだろう。和室に繋がる
「瀬川さん? 寝てる? ごめんねー、電気点けるねー」
和室に踏み入り、手探りで電気のスイッチをオンにする。天井からぶら下がった蛍光灯が少しの明滅と共に室内を照らした。瀬川さんは、布団の上でタオルケットをかけて眠っているように見えた。
声を掛けながら足を一歩踏み出した瞬間。
バタバタバタバタバタバタッ
瀬川さんの身体が跳ねた。釣り上げられたばかりの魚みたいに、タオルケットも跳ね除けてびたんばたんと。骨と皮だけになった腕と脚が四方八方暴れまわって、私はそれを呆然と見ることしかできなかった。だって、瀬川さんの瞳は白く濁り、頬は
白く濁った眼球がギョロギョロと左右非対称に周囲を見て、顎が外れるほどに開いた口からは叫び声が放たれた。ガラスが揺れるくらいの叫び声を上げた瀬川さんが、突然、糸が切れたみたいに大の字になった。ぴくりとも動かない瀬川さんの口から小さな光の球が飛び出してきて、えっ、と思う間もなくその光の球が私の口の中へ入り込む。
「ちょ、げほっ、うぇ……ッ」
『おい、高野? 大丈夫か?』
店長の声に我に返ると、目の前にはタオルケットの中で眠ったように見える瀬川さんの遺体があった。頭の中を疑問符が駆け巡る。あんなに暴れていたのに、そんなことなかったみたいに綺麗に、横たわっていて、顔も穏やかで、どうして。
「高野ー?」
「あ、いや、えっと、瀬川さん……亡くなってます……うっ」
突如込み上げる吐き気に、慌てて外まで走った。玄関の外、照りつける太陽の下でアパート前の排水溝に胃の中の物を全て吐き出す。消化しきれていなかった肉や野菜が、胃液に混じって地面を汚した。光の球は、吐き出されなかった。
一度外に出たら、もう家の中に戻る気にはならなかった。警察への連絡は店の方でしてくれているそうで、私は店長に礼を言って電話を切り、日陰になっている地面にしゃがみ込んだ。
震える身体を抱きしめるように丸まって目を閉じると、瀬川さんの暴れる姿が
店長には、瀬川さんの叫び声は聞こえていなかったみたいだった。あんなに大きな声で叫んでいたのに、どうして私の声以外聞こえていなかったのだろう。やっぱり見間違いだったのだろうか。
幻覚?
昨日観たホラー映画が怖かったから、何か影響されたとか?
それにしたって悪趣味すぎる。優しく笑って、時々お菓子をくれた瀬川さんを思い出して、涙が零れた。
タララリラララン
ミーンミンミンミンミーン
リリリリリリリリリリ……
タララリラララン
ミーンミンミンミンミーン
リリリリリリリリリリ……
ゲームの音と、蝉の声に混じって電話が鳴っている。スマホの電源を切って、アパートに目を向けた。いつまでも鳴り響く電子音は、瀬川さんの家の中で鳴っていた。
どうして留守番電話に切り替わらないのだろう。瀬川さんが消さずに取ってあった奥さんの声の留守番電話。瀬川さんが電話に出られない時には、数コールの後に柔らかな声で『ただいま電話に出られません……』と、彼女の声がするはずなのに。
ミーンミンミンミンミーン
リリリリリリリリリリ……
ミーンミンミンミンミーン
リリリリリリリリリリ……
誰でもいい。電話の音を止めてほしい。もう私はあの家には入りたくないから、誰でもいいから。
隣の家の人は、イライラしないのだろうか。これだけ長いこと電話の音が鳴っていて、誰も、何も反応しないなんて。電話を掛けてきている方だってそうだ。普通なら
誰よりも先に、私の我慢の限界が訪れた。もうこれ以上、電話の呼び出し音を聞いていたくない。立ち上がり、耳障りな電子音に突撃する勢いで玄関の扉を開けた。
家の中は電話の音しか聞こえなかった。蝉の声は扉に遮断され、ひんやりとした空気と呼び出し音だけが私を包む。廊下に置かれた電話台の上、白い固定電話の呼び出しランプがピカピカと赤く明滅していた。
行くしかない。私は唾液をごくりと飲み込み、靴を脱いだ。冷えた床を踏み締める湿った足の裏が、どうにも気持ち悪い。電話は目の前に見えているのに、短い廊下なのに、やけに遠く感じられた。
「もしもし、諸事情により代理の者が取りました」
『ザーーーーー……ザザ……せ、がわ』
ノイズが
「はい? もしもし? すみません、電波が良くないみたいで。こちら瀬川さんのお宅ですが、瀬川さんは」
『せがわふみひこはなくなりましたか』
「は?」
急にクリアになった声に、放たれた言葉に、一瞬思考が停止する。今、なんと言った?
聞き間違いかと思いたかった私の耳に、追い討ちを掛けるように再び声がする。
『瀬川文彦は亡くなりましたか?』
「あの、どちら様ですか? 失礼じゃありませんか、いきなり」
『瀬川文彦は亡くなりましたか?』
心配しているような印象は全くない。むしろ嬉しそうだとさえ感じる声で瀬川さんが亡くなったかどうかだけを聞いてくる声にパニックになる。瀬川さんのことを知ってはいるらしいが、こんなの、あまりに非常識だ。
受話器の向こう側、誰かの声はもう言葉の切れ目も分からないくらいの早口でまくしたてていた。
『瀬川文彦は亡くなりましたか瀬川文彦は亡くなりましたか瀬川文彦は亡くなりましたか瀬川文彦は亡くなりましたか瀬川文彦は亡くなりましたか瀬川文彦は亡くなりましたか瀬川文彦は』
「亡くなりました!」
ガチャン!
私は受話器を叩きつけた。滝のような汗が吹き出し、心臓が痛む。
なんなの。何が起きてるの。瀬川さんといい光の球といい、ここに来てから訳の分からないことばかり起こる。
リリリリリリリリリリ……
リリリリリリリリリリ……
リリリリリ、ブッ…………
再び鳴った電話に飛び上がった私は、
非通知からの着信。当然、出る気にはならない。留守番電話への切り替えボタンに触れようと指を伸ばしたのに、何故か通話状態になってしまった。慌てて切ろうとするも、スマホは私の指を認識しないみたいに操作を受け付けない。スピーカーになんてしていないのに、スマホからはザーザーとノイズ音が聞こえている。
強制的にスマホをシャットダウンしようとボタンを押す私の耳に、先ほど固定電話から聞こえたものと同じ声が聞こえた。
『ありがとうございます。そちらへ伺います』
ツーツーツーツー…………
それだけ言うと、電話は切れた。同時にスマホの電源も落ちる。真っ黒になった画面には、青い顔をした私の顔が映っていた。
「なに……今の……」
立ち
今起きたことを
「はひぃっ!」
ほとんど叫ぶように声が漏れ、家から飛び出すように扉を開けると、そこには警官が二人立っていた。驚いたように私を見て、遺体を見て動転したと思ったのか一人が
我に返り、瀬川さんの遺体を発見した時の報告をした。独居老人向けの弁当宅配サービスを行なっていることは知られていて、事情聴取はスムーズに済んだ。店長から遺体発見時の通話記録や、録音データも提出されることになっていて、私がどうこうということにはならないそうだ。
家の中の様子を見に行っていた警官から電話線のことを聞かれたので、瀬川さんが亡くなったのかとしつこく聞く電話が掛かってきたという話だけはした。しかし私の言った時間の通話記録はなかったそうだ。警官は首を傾げていたけれど私はそうだろうなと思った。きっと瀬川さんが動いたのも、電話も、生きた人間の仕業ではないのだ。私のスマホに掛けてきたのも、きっと。
顔色は一向に良くならなかったらしく、警官たちに心配されながら私はバイクを押して事務所に帰った。瀬川さんの家の次に回る配達先には、すでに別の従業員が回ってくれたらしい。大変だったな、と労いの声を掛けてくれた店長は、明日も休んでいいと言った。
ロッカーで私服に着替え、ホワイトボードの勤務表を書き換えてから事務所を出る。店長に頭を下げると、安心しろといった顔で手を振られた。
まだ、太陽は高い位置でじりじりと世界を焼いている。私は自分の身体を観察した。どこも光っていないし、気分の悪さも引いていた。むしろ最近感じていた身体の不調がなくなっていて、肩も腰も足まで軽かった。けれど、嫌な気持ちは晴れなくて、背筋が粟立って仕方なかった。
とりあえず神頼みでもしてみるか、と思った。家に帰るまでの道すがら、こじんまりとした神社があるのだ。三ヶ日を過ぎてからの初詣くらいでしか足を運んだことはなかったが、少しでも気が晴れればと行ってみることにした。
住宅街の只中にある神社は、少しの石段を登った先にある。軽快な足取りで階段を登った私は、鳥居をくぐろうとして違和感に気付いた。足が、重い。たった一歩踏み出すだけで神社に入れるというのに、その一歩が恐ろしく遅い。進みたいと思うのに、身体が勝手に後退を命じているようだった。
「くっ……この……!」
結局、神社には入れなかった。散々頑張ったけれど、ちっとも前に進めなかったのだ。鳥居の向こう、宮司さんが申し訳なさそうな顔をして頭を下げているのが見えた。
何かを言っているようだが、声が聞こえない。私に声が届いていないことに気付いたのか、途中で宮司さんは文章を口にすることをやめ、大きく口を動かした。何か、単語を叫んでいるようだった。
『き』『せ』『い』
「帰省……? 実家に帰ったらいいのかな……」
山形から東京に出てきて早十年。母と折り合いの悪かった私は一度も実家に帰っていない。祖父母が亡くなるようなことがあれば帰るだろうが、そういう特別なことがない限りもう二度と帰らないだろうと思っていた。
少し悩んで、父に電話をかける。出てくれなくても仕方ないと思っていたけれど、意外にも3コール目で声が聞こえた。懐かしい父の声に、張り詰めていたものが少し、緩む。
『咲良、どうした。元気か』
「お父さん……」
今さっき起こったことを全て説明する気にはならなかった。仕事の最中に担当していたおじいさんのご遺体を発見してしまい、気分が落ち込んでいるのだと、それだけを告げた。
「…………今、母さんは友達と沖縄に行っててな。来週まで帰ってこないから、少しだけ帰ってくるか?」
母との確執を父に言ったことはなかったが、取り立てて隠してもいなかったから察していたのだろう。父はそんなことを言った。
母がいないのなら、いいか。
私は父の提案に乗ることにした。
実家に帰ることを決めると、途端に心細くなってくる。今夜、一人で寝たくない。私はその日のうちに帰れる新幹線のチケットを取った。急いで家に帰り、一泊分の着替えと充電器と財布を鞄に突っ込んで出発する。
とにかく、一人で居たくなかった。大勢の人に囲まれていたかった。新幹線の時間まで東京駅で時間を潰すことにする。いつもなら不快で堪らない人混みが、今はまるで私を包んでいるみたいに安心できた。
お盆はもう少し先だったが、早めに帰省する人も多いのか新幹線内も空席は少なかった。生きた人の力強さを分けてもらいながら、山形に到着する。
実家の最寄り駅に着く頃にはもう運転手さんと私だけになっていたけれど、無人改札の向こうには父がいた。
「お父さん! ありがとう、ごめんね急に」
「いや、久しぶりだな。大きくなったか」
「はは、子どもじゃないんだから。大きくなるとしても横にだよ」
「そうか」
軽口を叩きながら父の乗ってきた車で砂利道を走る。もう記憶も薄れていると思っていた田舎道の風景が、過去の記憶と共に蘇った。父の運転もあの頃と変わらない。絶対にこんなところから出て行ってやると思っていたはずなのに。
「俺しかいねーから、大したもん出せねぇぞ」
「いいよ別に」
記憶の中よりもだいぶ
私の部屋は、もうほとんど物置になっていた。元々持ち物の多い方ではなかったから、部屋には勉強机と洋服箪笥、小さな本棚しかなかったが、それらは埃をかぶったガラクタに阻まれて少しも見えなかった。
先に入れと言われたので、ありがたく風呂を借りることにした。古いものと新しいものが混在している脱衣所で服を脱ぎ、スマホの音楽アプリを立ち上げてお気に入りのプレイリストを再生した。一人で、静かな空間にいることが耐えられなかった。電話がかかってくるのも嫌だったから、機内モードをオンにして、スマホ本体にダウンロードされている曲だけを流す。防水タイプであるのをいいことに風呂場の中まで持ち込んで、なるべく素早くシャワーを浴びた。
シャンプーを流している時だった。スマホから流れるアップテンポの洋楽がプツプツと途切れて聞こえた。防水とはいえ無遠慮にシャワーを飛ばしすぎただろうか。スマホの位置を変えようと思い、髪に通していた手を抜いた。
ずる
私は、ショートカットだ。長い髪をまとめているとヘルメットを被るのに邪魔だし、暑いからという理由で。だから、こんなに長い髪が手に絡むことなんて、ない。
自分の手を見るのも嫌だった。目を瞑ったまま手から髪の毛の感触がしなくなるまで洗い流す。さっさとあがろうとボディソープに手を伸ばす視界の片隅で、長く黒い髪が排水口に飲み込まれていった。
ドライヤーもそこそこにリビングに向かう。台所に立つ姿など想像もしたことのなかった父がフライ返しを握り、肉と野菜を炒めていた。炊飯器はすでに保温状態になっていて、テーブルの上には味噌汁が置かれている。鼻をくすぐる匂いに、消え失せたと思っていた食欲が顔を覗かせた。
「もうできるから、メシよそってくれ」
「おっけー」
炊飯器の横に置かれていた二つのお椀に軽く白米をもりつけた。来客用の箸の側に座り、父を待つ。大皿に盛られた肉野菜炒めが湯気を立て、テーブルの中央にやってきた。
「いただきます」
父は、詳しい話を聞かなかった。グルメ番組の流れるテレビ画面に目を向け、時折これ美味そうだなと呟くだけ。私が家から出て行った後のことさえ聞かず、あの日、高校を卒業した日の翌日みたいな温度で。
これから、どうしたらいいかは分からない。分からないけれど、父の隣にいられるうちに、何か策を練らなくてはと思った。
客間に布団を敷いて、横になる。本音を言えば、父の隣で寝たかった。けれど布団を用意してくれている父に、一緒に寝ようとは言えなかった。ワイヤレスイヤホンを両耳に突っ込み、ノイズキャンセリング機能をオンにする。世界から自分が隔離されたみたいな気持ちになって、少しだけ安心できた。
金縛りにあっていると気付いたのは、しばらくしてからだった。恐らく深夜二時を回った頃だろう。私の身体は指先つま先までピクリとも動かせなくなり、唯一、両方の目だけが自由だった。
視線を巡らせると、自分の胸元がぼんやり光っているように見える。あの時に吸い込まれた球が、光っているのだろうか。光っている部分から、少しずつ何かが出てきているように見える。輪郭がはっきりせず、しかしモヤにしては存在感のあるそれは、髪の毛のようだった。
お……おぉ……ぁぁ……あ……。
高音と低音が入り混じった不快な声が、私の内側から響いている。光る胸元から出ている何かはしゅるしゅると私の外側をコーティングしていくかのように
それは、私の中にいる。私を、乗っ取ろうとしている。
そのことに思い至った瞬間、視界がぐるりと回転した。自分の身体が見える。まるで、身体の中から
そして、気付いた。もう私の身体の中身は、空っぽだった。あれがみっちりと詰まっているだけで、本来の私が持っていた何もかもは喰われてしまっていた。骨と皮だけが残されて、まるで血液のように全身を巡る何かに満たされていく。胸元の光は、呼吸しているみたいに強まったり弱まったりしていた。
あの光は、調整しているんだ。私の身体があれを受け入れられるように、ラジオの周波数を合わせるみたいにして。私を食い尽くしたあとは、次の獲物を狙って私の身体を動かしている。
あの時の瀬川さんもそうだったんだ。骨と皮とこいつだけになって、もう死んでいて、私が、次の獲物が来るのを待っていたのだ。死体を見せるだけじゃ不安だから瀬川さんの身体をめちゃくちゃに動かしたりして私の心に隙を作って。
そうして光を飲み込んだ私の身体の周波数を合わせて、電話の音が聞こえるようにした。会話をさせて、受け答えをさせて、あれが私に入り込めるように条件を整えた。
ああ、もう何もかも遅いのに。どうして。
知りたくなんかない。訳が分からないまま死んでしまいたかった。
だって、朝になれば、なかなか起きてこない私の様子を見に父が来てしまう。光を飲み込んでしまう。殺されてしまう。
そんなの、見たくない。
父に伝えたくても、何もできない。考えることはできていても、浮遊する私は風に揺れることもなくただここにいるだけで。せめて、父が飲み込まれる様は見たくない。それまでに消えてしまいたい。そもそも私はどうして死んでいないのだろう。肉体的にはもう、絶対に生きていないと分かるのに。
ああ、あれは私を最後の一滴まで絞り尽くすつもりなのだ。全てを理解させて、次の犠牲者を目の前で取り込んで、絶望した宿主を喰らってから、次の宿主へ移るのだ。
帰省じゃなかった。寄生だった。あの時私はもう寄生されていたんだ。宮司さんもきっと何もできなくて、それでも教えてくれていたんだ。
ああ。本当はお礼を言うべきなのかもしれない。だけど、あなたが『きせい』と言わなければ、私を一番に見付けるのは父ではなかったはずなのだ。
ああ、ごめんなさい。私に父を殺させたあなたを、怨んでしまうかもしれない。私一人が怨んだところで、あの人がどうにかなるとは思えないけれど。
時の流れは感じられなかった。永遠にも似た時間が経過した頃、カーテンの向こうから朝陽が差し込んできていることに気付く。
ああ、もう朝なのだ。もう少ししたら、父がここに来てしまう。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
お父さん。
お父さん。
泣き喚くこともできなかった。私の
「咲良ー? 朝メシできたぞー? 咲良ー?」
ああ、父の声が近付いてくる。
ダメだ。扉を開けてはダメ。
お願い。やめて。
お父さん。
お父さん!
ガチャリ
私の身体は、大きく、跳ねた。
高野咲良は亡くなりましたか? 南雲 皋 @nagumo-satsuki
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