10 遊星より愛をこめて
私は耳を疑った。この外星人は今なんと言った。地球を売る?
「さっちゃん」私は呼びかけた。
「その外星人の言ったことならちゃんと翻訳されてるよ。誤差は0.001以下」
私は口がへの字に曲がりそうになるのを堪えて、ウェルズに問いかけた。
「地球を売るというのは、その所有権をあなた方が有してるということですか?」
「もちろんだ。この銀河系で地球に最初に目を付けたのは我々だ。地球人類くんがまだ海にいたころの話だが」
「人類もあなた方の所有物にあたるのでしょうか?」
「それはない。われわれは地球人類くんを高く評価している。君たちとはそう、友人になりたいと思う」
「結構なことで」私はひとまずは話を聞いてみることにした。「して、その対価は?」
「1700ロンド。月はオマケでいい」
頭がクラクラしてきた。そんな金があれば銀河丸ごと千回は買える。到底人類が払える金額ではない。
話しているうちに私は喉がカラカラになってしまい、さっちゃんにお茶をお願いした。一息つきたい思いもあった。そこにきて、ようやく私はウェルズに飲み物一つ出していないことに気が付いた。いくら突拍子もないことを言っているとはいえ、客人には変わりない。
「なにか飲まれますか?」
「ではコーラを」
ウェルズと私に挟まれたテーブルに二つのグラスが置かれ、飲み物が注がれる。なぜか二つともコーラだった。二種類も持ってくるの面倒くさいという、さっちゃんの無言の主張のようだ。私とウェルズは喉を潤した。熱くなった頭が冷えていくのを感じた。
「人類も地球を自分のものと考えています」私は思い切って言った。「人類はその個体数を銀河を超えて広げていますが、故郷と呼べる星は地球だけです。実際に占有していたのも我々です。それを売りつけられる道理はありません」
「なるほど」ウェルズは落ち着いた声で言った。「それは地球人類くんの総意と捉えてもかまわないかな」
「私の権限が及ぶ範囲では、そうです。公式な証書も出せますが、時間が要ります」
「どれくらいかな?」
「地球時間で一時間ほどです」
ウェルズはオレンジ色に光る眼を細めて考えこんだ。私は努めて余裕を見せようと、手持ち無沙汰にコーラを口に含む。
「証書をお願いできるかな。如何せん我々は文面が好きなものでね」
「構いませんよ」私は立ち上がった。「そのままお待ちください。コーラのおかわりはいかがです?」
「結構」
部屋を後にすると私は思い切り舌打ちをした。
「さっちゃん!」大声で彼女を呼び寄せる。
「騒がなくても聞こえるって」
「なんなのアイツ!ズケズケと船に入ってきて!こっちが下手に出てるからって!!」私は壁を拳で叩きながら歩いた。「宇宙人が!コーラを!飲むな!」
「偏見レベル4の発言を確認」
「そんなレベルはない!」
落ち着きを取り戻すまで、私は怒りを発散し続けた。
「一時間もかからないよね?」さっちゃんが肩で息をする私に言った。
「休憩したかったの。骨が軋みそうなんだよ」
「だから重力下でのトレーニングを勧めてるのに」
「それは後」私は廊下の隅に座り込んだ。「それで、もう送ったんでしょ?」
「七分前に送信済み。回答も来てるけど読み上げる?」
「お願い」
「『地球ってなに?』これが過半数の意見だってさ。証書は印刷する?」
「いらない。それよか吐きそう」私は辛うじて言った。
「あらそ。それじゃ報告もいらない?」
「なんの報告?」
「ウェルズが乗ってきた船について」
私は顔を上げた。別にさっちゃんがそこにいるわけじゃなかったけど、なんとなく側に来てくれてる気がしたのだ。
一時間後、私が戻るとウェルズは出ていく時と全く同じ姿勢で座っていた。光る目だけを動かし、彼は私の姿を捉える。
「お待たせしまた」
「いえ、それで証書のほうは」ウェルズは一時間待ったとは思えないほどすんなり本題を進めようとした。
「証書は出せないそうです」冷や汗一つ流さず私は言った。「地球が人類に帰属することに疑いの余地はなく、その手の取引にはそもそも応じられないと」
「傲慢な」ウェルズは信じられないといった様子だった。「君たちが買わないなら、別の者に売るだけだ。後になって後悔しても遅いぞ」
「具体的に誰に売るおつもりで?」
「フンッ。誰にでも売れるだろう。地球は今かつてないほど美しい星になった。そうなるように我々が仕向けたのだ。惑星コレクタ―だって目をつけるかもしれない」
聞き捨てならないセリフがまた飛び出した。
「仕向けたって?」私は言った。思わず古式敬語を使い忘れてしまった。
「君たちの地球はプラスチックだけを溶かす魔法の水を使い、環境問題を解決した。それから、液体コンピュータと水分子燃料は宇宙航行に欠かせないものとなっている。どちらもあの液体がなければ成し得なかったことだ。そしてそれを君たちにもたらしたのは、他ならぬ我々である」ウェルズは本を引用したみたいにつらつらと喋った。初めからそれを言うことを想定していたのだろうか。
「ちょっと待ってください。それについては私にも学があります。確かあの液体は人類の核実験によって自然発生したはずです。あなた方とはなんらつながりがない」
「そういう捉え方もあるというだけだ。地球売ろうというのだ。その価値を高めるためにそれなりのことはさせてもらったさ。特に地球人類くんは海を汚し過ぎるからね」ウェルズは淡々と言った。「本題に戻ろうじゃないか、買うのか買わないのか」
荒唐無稽な言い分に私は信憑性を持てなかった。よし、聞かなかったことにしよう。それにそんなことはもうどうでもよかった。
「ウェルズさん。何度聞かれても、私たちの答えは変わりません。地球は人類のものです。誰かに渡すことも、ましてや売られることも未来永劫あり得ません。そこで起きる一切の責任と恩恵は人類のものなのです」
ウェルズはしばらく黙っていた。体を震わせて怒っているかにも見えた。しかし、次に発された声は実に落ち着いていて、交渉の決裂を受け入れていた。
「分かった。しかし、地球人類くんとはこれからも友好的な関係を築いてゆきたい。その点了承してくれるかな」
「私の責任の及ぶ範囲でなら、喜んで」
ウェルズは縦に二本手が並んだ腕を出した。握手を求めているらしい。私は悩んだ末、両手で二つの手を握手をした。
「それでは、ごきげんよう」
ウェルズはそういうと、腕のダイヤルを回した。彼の体は靄に包まれ、次の瞬間には跡形もなく消えている。私はどっと疲れて、椅子に倒れた。帽子が床に落ちる。
「ウェルズの船が出るみたい」さっちゃんが言った。
「ご愁傷様」と私。
人類の地球に置いて行った土産がもう一つある。地球観光に来た外星人のための駐車スペースだ。地球の環境に配慮して、それは月面に作られた。しかし、度重なるデフレとインフレを繰り返すうちにその料金は法外な値段にまで吊り上がってしまっていた。それを是正するのも私の仕事だったのだが、めんどくさくて後回しにしていたため、観光客が来たときはさっちゃんが最寄りの安い駐車場を紹介するのが常になっていた。
ウェルズは強引に地球に来た。そして月に船を停めていた。
「いくら?」私はさっちゃんに聞いた。
「地球を百個買ってもお釣りがくるくらい」
ウェルズたちはたったの二時間ほどで、人類に対し有り余る負債を抱えることになった。今頃、彼らの船には請求書が届いているはずだ。踏み倒せば種族ごと牢屋にぶち込まれかねない悪魔の請求書が。この広い宇宙において、支払うべきものを支払わないことほど重い罪はないのだ。
「さてと」私は制服を脱いで裸になった。
「いい機会だから運動していきなよ」とさっちゃん。
「いや、いい機会だから地球に降りてみようかな」
「やった!」
これも言い忘れていたけど、さっちゃんは地球が大好きらしい。AIのくせにね。
「地球なんて毎日見飽きてるでしょ」
「直接見ると違うんだよ。カメラ忘れないでね」
「おっけい」
無重力を壁を蹴りながら私は進む。さて、あったかい所とすずしい所どっちに行こうか。地球は以外と広いからな。
液体人間現る!!! Φland @4th_wiz_u
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