9 サンダーバード

 地球の日本という場所の暦で、私は4096年2月29日に生まれたらしい。子どものころ、両親(私の遺伝子上の父母という意味)はことあるごとにそのことに触れて「ラッキーガール」と私の頭を撫でるのだった。

 その意味が分かるくらい成長してからは、両親はそんことしなくなった。代りに氷見家の長い歴史と、その誇りを受け継ぎ、氷見家の人間として振る舞うことの大切さを滔々と言って聞かせるのだった。

 その意味も今では分かる。短い命を全うするには貴族のような崇高な使命感が必要なのだ。両親の優しい表情の裏にはいつだって死への恐怖があったことを今では知っている。そして私も。

 氷見家の者ならばその生き方には二通りしかない。子を産むか、ある一つのことに人生のすべての時間を費やすかだ。その選択は十歳のころ親が決める。私の両親は前者で、私は彼らの五番目の子どもだった。

 私は病弱な子どもだった。そのことで両親は酷く気をもんだらしい。医療がどれだけ発達しても、氷見家の子どもだけは大人を待たずに死ぬことがよくあったのだ。現に両親の八番目の子どもは熱病に罹患して死に、九番目の子どもは母の胎内で死んだ。そのころの両親の気の落ちようは想像するに余りあるものだ。だが、大方の予想を裏切り私は寝室で一人本を読み続け、十歳まで生存した。

 氷見家では十歳の誕生日は特別なものだ。人生の四分の一を生き抜いたことを祝福し、残りの四分の三を決める大切な儀式になる。私は偏執さ、恐怖と孤独に耐えうる適正、それから追い込まれたときに軽口を叩く傾向を評価された。(失礼な話だ)後になって分かったことだが、それは宇宙空間で活動する上で欠かせない要因だった。だけど、当時の私はそんなこと知りもせず、言われるがままに宇宙工学などの勉強を始めた。


 人類はついに宇宙航行を実現させ、住みよい惑星をいくつも発見していた。人類がなぜ宇宙に散らばる必要にせまられたのか。明確な答えはいまだ誰も知り得ないが、ある滑稽な一面を私は知っている。それは、アフリカ大陸で生まれた梅毒が、電車も車もない時代にわずか四十年で日本にたどり着いたという事実だ。キリスト教的に言うならば、生めよ、増えよ、地に満ちよとなる。いまや、そのアフリカも、日本も名前だけしか残っていない。

 地球は七百年ほど昔にそのすべてが自然保護区に指定されて、監視衛星一つ残して動植物たちに返還?譲渡?された。(氷見家専属の先生はそのことを説明するときいつもこう言っていた「人類は地球よりいいおもちゃを見つけました。そのおもちゃはどれも地球より頑丈で、保証書付きでした」)

 私は十五歳の時、その監視衛星の艦長に就任した。

 この仕事は私にとって天職だと思う。基本的に仕事は全てAIがこなしてくれるので、私は電力の管理だけしていればいい。管理と言っても計器を何分かおきにチェックするだけだ。あとの起床時間中は、氷見家の人間でなくても読み切ることができない電子図書館と格闘していればよい。そして簡易コールドスリープで眠る。船内の気温は常に二十五度に保たれていて、服を着る必要もない。私は皺のついた制服につけられたバッヂを指で撫でた。純金で作られたそのバッヂには「地球軌道上地球監視衛星五号艦長 氷見 KYK」と黒く掘られている。(KYKとは古代語で地球の気象の一つである「こゆき」を表すらしいが、それがどんなものなのかは見たことがない)このバッヂを見る度に私は、私が銀河会計士になって、企業惑星を飛び回り十円の粉飾のために命を落としていた可能性もあるのだとゾッとするとともに、自身の置かれた状況に満足と優越感を感じるのだった。

 ピピッと私は時間に気づく。私は皺になるのを厭わず制服を放ると、ゆっくりと体を後ろに回した。目を瞑り、膝を抱ええるようにして回転を速めると、そのまま後ろ宙返りを何回も成功させた。壁が近づくのを直観で感じ取ると、回転を調節して壁につま先から沈み込むようにする。足首、膝、腰の順で力がバネのように蓄えっていくのが分かる。丁度水泳選手がターンを決めるあの要領だ。私は目を開けて体を一直線に伸ばし、自室からコントロールセンターに向かった。

 時々、私は無重力で生まれたのではと錯覚することがある。それほどまでに無重力下の体の動かし方には親しみがあった。コントロールセンターに着くまでの残り二回の曲り道も、フライフィッシングのラインのようなしなやかさでこなしていく。我ながら見事だ!

「さっちゃん!報告!」

 私は無重力を泳ぎながら呼びかける。すると、どこからともなく気だるげな女性の声が聞こえてくる。

「異常なし。異常なし。異常なし」

 これはそれぞれ、地球が、五号が、自身が、という意味だ。それを聞いて私は満足する。あとはアナログチェックを済ませれば、本日の業務は終わったも同然だ。私は流れ作業の最短記録を狙うべく、最後の曲り角を強く蹴った。

 いちいち前を見ない癖がついていたせいで、次の瞬間私は頭から何かにぶつかった。運動の力は一気に首に集まり、グエッっと情けない声をあげて私はひっくり返った。首を庇いながらぶつかったものを睨みつけてやると、それは人型をした何かだった。

「誰!?」私は叫んだ。

 その人型の何かは黒いビロードを頭からすっぽりかぶったような服を着て、ゆっくりと無重力下で横回転していた。頭の先からつま先までが、丁度通路の端から端までの距離で、目算でも身長は2メートル近かった。顔に当たる部分も真っ黒で表情すれ読み取れないが、夜時間に使うオレンジの灯のような目が二つ、煌々と光っていた。

 間違いなく外星人だと私は思った。私はこっそり手を伸ばすと、壁に備え付けられた緊急用ボタンを押した。ボタンの上に『異常なし』の文字が浮かぶ。あのポンコツAIめ。

 その人型の何かはおもむろに手を伸ばすと、縦に連なったもう一つの手で腕に付けたデバイスをいじった。そのデバイスは信じられないくらい無骨で、ボタンやつまみが三千個もついてるように見えた。

「この言語で合ってるかな?地球人類くん」

 その昔、液体人間とコミュニケーションを取るために、KYKの祖先がそれなりの苦労をしたという話を聞いたことがある。今、この外星人はダイヤルを一つまみ回すだけでその苦労を乗り越えてしまった。

「私の名前は発音が不可能だろうから、仮にウェルズと呼んでくれたまえ。お招きに預かって感謝するよ、地球人類くん」

「あ、ああ。それはどうも」

 相手に敵対する意思がないのが分かると、私は裸でいるのが途端に恥ずかしくなり両手で恥部を隠した。

「気にすることはない、地球人類よ。君たちが進化の過程でサルだったことは知っている」ウェルズは快活な声で言った。


「聞いてないんだけど」

 着替え終えた私は文句を言いながら歩いた。艦内の重力スペースにウェルズは待たせてある。重力下で着る制服はダンベルくらい重かった。

「いちいち報告すんなっていったのはアンタだよ」さっちゃんが言った。

「だからって勝手に約束を取り付ける権限はないでしょ。びっくりしたなぁ」

「向こうが強引なんだよ。ホラ、これ見て」

 さっちゃんが言うと、近くのモニターに文面が映る。それはウェルズが五号に送ったアポのメールだった。

「メールって、エライ古風な」私は呟きながらそれを読んだ。


 地球人類くんの奥ゆかしい文化に乗っ取り、書面にて失礼する。

 我々は、地球人類が何もないと踏んだ方角にある惑星に住んでいる。

 以前より君たちを観測はしていたが、政治的理由により接触は叶わずにいた。

 この度政権交代に伴い外宇宙への進出が決定された故、その記念すべきファーストコンタクトを君たちとともに果たしたい所存だ。

 君たちと是非話したい。

 近々会いに行く。

 

 残念なお知らせが一つ。人類はすでに外星人とのファーストコンタクトを済ませてしまっていた。それはミドリムシを煮詰めたような知性の欠片もない生命体だったが、セカンドコンタクト以降は冗談の通じる奴にも出会うことができていた。

「あらら、FCV(ファーストコンタクトヴァージン)か」私は言った。

「節操がなくて嫌。すぐに済ませてね」さっちゃんは投げやりになっていた。

「へーい」力なく答えたあと、私は襟を正し深く帽子をかぶった。

 地球を監視するだけの仕事を恋しく思いながら、私はウェルズの待つ部屋のドアを開いた。ウェルズは椅子に座らず、立ったまま光る目で宙を見つめていた。私が部屋に入ると体ごとこちらを向き、ぎこちなく体を曲げた。一生懸命覚えた地球の挨拶のつもりなのだろう。ウェルズはいささか緊張してるようにも見えた。

「どうぞ座って」私は言った。

「座る?ああ、これはあれか」ウェルズは納得と感動が混じった声をあげて、椅子に腰かけた。心地よさそうな声が漏れ聞こえる。

「それで?」私は言った。

「それでというのは?」ウェルズは聞き返してくる。

 何から何までこちらでお膳立てしなければいけないらしい。私はため息をつきそうになるのをグッとこらえ、威厳たっぷりの声で続けた。

「あなた方の目的であるファーストコンタクトはもう叶ったはずです。私たちが出会っているのですから。その先のことで何か話すべきこと、するべきことがあるのならばお伺いしたい」

「ならフォトを一枚撮りたい」

 ウェルズの言った『フォト』の部分は翻訳にノイズが混じっていた。おそらくは彼らの言う『フォト』と、我々の思う『フォト』に相違があるのだろう。私は注意深くその『フォト』が何を指すのかを探った。というのも、人類は『ハロー』に『隷属』の意味が含まれてる種族と外交上の失敗をした苦い経験があるのだ。

 しかし、なんのことはなかった。『フォト』とは我々の『フォト』の立体版程度のものだった。私は部屋の中での『フォト』を撮るのを許可した。

 ウェルズはもはや観光気分だった。これなら早く帰ってくれるかもしれない。

「他にはなにもありませんか?」私は部屋を隅々まで記録しているウェルズに向かって言った。

「他…」

 ウェルズは考え込んだ。何かを必死で思い出しているようだった。部屋の中に沈黙が訪れる。やがてウェルズは私に向き直りこう言った。

「地球人類くんに地球を売りたい」

 

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