怖がらない人

遠部右喬

第1話

 僕の数少ない女友達Yと居酒屋で飲んでいた時のこと。


 Yはしょっちゅう不思議なものを見たり体験したりしているような奴なのだが、この日の話題はYの体験談ではなく、彼女の婚約者K君についてだった。


「婚約者がいる身で、僕とサシで飲んでて大丈夫なのか?」

「戸籍上は男でも、あんたは私にとって男じゃないもん。それに、彼もそういうの気にしないみたい。今日も、あんたと飲みに行くって言ったら、『俺も分もよろしく言っといてよ』ってさ」

「けど、内心は面白くないんじゃないか?」


 K君とY、僕は三人とも同じ中学校出身だ。K君とはクラスが違った為に付き合いは無かったが、抜群に頭が良いと校内でも有名で、当時から名前と顔だけは知っていたから、やっぱり気になってしまう。


「本当に気にしてないと思う。独自の判断基準がある人だから」


 僕の知るK君はいかにも真面目な優等生という印象だったが、Y曰く、真面目というより、真面目が行き過ぎてたまにおかしなところに着地するタイプなんだとか。

 K君が気にしないというなら、僕があれこれ言うのもおかしな話だ。僕は大人しくYの惚気話を聞くことにした。まあ結果的に、惚気話とはちょっと違った展開になったのだが。



 YとK君が付き合い出したばかりの頃。

 カフェデートの最中に、Yは自分の体験談をK君に披露することにした。実はそれまで、K君に自分の見たものの話を聞かせたことが無かったのだ。Yも僕同様、中学時代はK君との接点は殆ど無く、一年ほど前に駅で再会してから付き合うようになった為に、そんな話をする機会がそれまで無かったらしい。

 今迄自分が体験してきた不思議を聞かせたら、彼はどんな反応をするのだろう。その反応次第では、今後の付き合い方に気を付けなければ……そんなことを思いながら、恐る恐る幾つかの話をしてみたそうだ。

 聞き終えたK君は暫し考え込み、深く何度か頷いた。


「今の話が幽霊の仕業と決定づけるのは、ちょっと違うかもしれないね」

「んえ?」

「例えば見間違いとか、君の脳だけが見ているとか、事前情報の有無とか、そういったあらゆるノイズを取り除き、それでも真実不可解な現象が残らない限り、本当に幽霊が存在しているという結論は得られないと思う」


 理屈っぽいと言えばそうなのかもしれないが、K君は至って真面目に話の内容を検討しているだけなので、Yも別に腹は立たなかったし、彼にドン引きされたりしなくて内心ほっとしていた。


「そっか、K君は幽霊は信じてないのか。でも私、嘘は言ってないんだよ」

「うん、君の話は信じる。ただ、俺は見たことがないし、幽霊の有無を決められないってだけだから。それに、不思議な体験なら俺にもあるよ」

「えっ?」



 ここに来て、話を聞いてた僕も思わず「えっ」となった。あの堅そうなK君にもそんな体験があるとは驚きである。


「意外でしょ? けどさ、流石はK君よ。これが、どういう感性してんだよって話なんだよね」



 話は僕等が中学生だった頃まで遡る。


 お盆も間近のある夜、塾帰りで腹ペコのK君は、家への一番の近道を自転車で爆走していた。

 この道というのが、住宅街を少し外れているせいか街灯も殆ど無く、田舎でよく見掛ける墓石が十基もない小さな墓地が点在しているような、怖がりの子なら遠回りをしてでも避けて通る道なのだ。

 やがて十五メートル程前方に、K君の家に一番近い墓地が見えて来た時のことだ。時刻は既に八時を廻っていたにも拘らず、数人の喪服を着た大人達が、誰も明かりも持たず一基の墓石の前に並んでいたのだそうだ。

 線香の匂いが、K君にまで届く。

 それを見たK君は考えた。


(へえ。こんな時間でも葬式なんてやるんだな)



「……いや、なんでだよ!」


 思わずツッコんだ。何をどうしたらそんな感想が出てくるのか。寧ろ、何故そんな感想しか出て来ないのか。明かりも用意せず、そんな時間に葬式だか法事だかなんて、明らかにおかしいだろうに。

 Yが頷く。


「でしょ? それでね、K君は自転車をこぐ速度を落としたんだって」

「……いや、なんでだよ!」


 再びツッコミを入れる羽目になった。

 K君は、車輪の音と自転車の明かりが、葬式の邪魔になったら悪いと思ったのだそうだ。


「……いや、なんでだよ!」


 絶対に、気にするところはそこじゃない筈だ。僕の三度目のツッコミにも首肯するY。


「彼、良識はあるけど、常識は無いんだよねえ……まあ、もう少しだけ続きがあるから聞いてよ」



 K君がいよいよ墓地に差し掛かった。喪服の集団はとても静かで、皆俯き加減だったそうだ。彼等の脇を通り過ぎたK君は、背後から一斉に視線を浴びた……様な気がして、自転車を停めて振り返った。すると、お察しの通りというか、喪服の集団など見当たらなかったのだ。いつの間にか線香の匂いも消えていた。

 足を止めたことで自転車のライトは消灯し、少し離れたところに立つ街灯のぼんやりとした明かりだけが頼りとは言え、すぐそこに人が居ればシルエットくらいは見えるだろう。まさしく、線香の煙と共に彼等は掻き消えていたのだ。

 K君は首を捻った。


(随分と急いで帰ったんだな。どっかの家で会食でもするのかな)



「……だからもう、なんでだよ!」

「ね? そう思うでしょ」


 そんな状況に出くわした中学生の感想が「会食でもするのかな」って、そりゃ無いだろう。僕なら確実にチビる案件だ。


「一瞬で消えるって、そいつ等どんだけ足が速いんだよ。それに、線香の匂いも消えたんだろ?」

「風向きの関係で匂わないのかなって思ったんだって」

「いや、なんでだよ……」


 突っ込み疲れた頭に、ふと疑問が浮かんだ。


「K君は、それを『不思議な体験』って思ってはいるんだろ?」

「うん」

「そんな体験があるのに、まだK君は『幽霊を見たことない』って言ってんの?」

「うん。一回くらい見てみたいって言ってた」

「……見てんじゃん! がっつり見てんじゃん!」

「私もそう言ったんだけどさ」

 

 K君にとってその出来事は、あくまで「夜に行われていた不思議な葬式を目撃した」という認識らしい。喪服の集団とやらも、まさかそんな対応をされるとは思ってもいなかっただろう。いや、もしかしたら、K君は幽霊を見たという事実が怖くて、そう思い込もうとしているのだろうか。

 僕がそう言うと、Yが笑って、


「違うと思う。だって『幽霊って、もっと怖いもんなんでしょ? 俺が見たのは怖くなかったよ。だから、あれは幽霊じゃない』って言ってたから」


 ……確かにK君には、独自の判断基準があるようだ。

 K君のその言葉に、Yは「なんて面白い男なんだ。よし、こいつと結婚しよう」と心に決めたんだそうだ。こいつもこいつでよく分からない感性をしている。

 それにしても、K君の基準を満たす「怖い幽霊」とは、一体どんな存在なのだろう。Yと一緒に暮らすようになれば、K君もいつかそれを目にする機会があるのだろうか。


 僕ならば絶対に見たくないと思った。

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怖がらない人 遠部右喬 @SnowChildA

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