くねくねの正体に関する一考察

蟹場たらば

くねくね=江戸時代の妖怪説

「くねくねって知ってるか?」


 ずっと黙っていた兄貴が、急にそんなことを尋ねてきた。


 今年の春、僕より一足早く大学を卒業した兄貴は、東京の会社に就職したことで実家を出ていた。だから、今回の盆休みの帰省で、約四ヶ月ぶりに帰ってきたことになる。


 ただ、実家があるというだけで、それ以外は娯楽施設の少ない地方の町に過ぎない。そのせいで、まだ真っ昼間だというのにやることがなかったのだろう。一緒に住んでいた頃のように、兄貴は僕の部屋にやってきて、好き勝手に漫画を読み始めた。


 かと思えば、今度は「くねくねだよ、くねくね」と妙なことを言い始めたのである。


「ネット発祥の怪談でしょ? くねくねを見ると頭がおかしくなる、みたいな」


「大雑把に言えばそうだな」


 そう頷くと、兄貴は詳しいあらすじを語りだした。


 とある兄弟が子供の頃に、母方の実家に遊びに行った時のことである。ふと家の窓から外を眺めると、くねくねと奇妙な動きをする、真っ白い何かが見えた。最初は白い服を着た人間が踊っているのかとも思ったが、その動きはどう考えても人間には不可能なものだった。


 薄気味悪く思った弟は、あれは何かと尋ねるが、兄にも分からないという。そのあと再び同じことを尋ねると、今度は「分かった。でも、分からない方がいい」とだけ返ってきた。それだけしか話を聞けなかったのは、その時以来、兄が知的障害者になってしまったからである……


「それがどうかしたの?」


「お前はネットが発祥って言ったけど、確かにその通りなんだ。元は怪談投稿ってサイトに『分からない方がいい・・』というタイトルで掲載されていた話が、匿名掲示板の2ちゃんねるに転載されて。さらに2ちゃんねる内で、元の話と自分の体験を混ぜたを投稿する人物が現れて、その結果『くねくね』という怪談が生まれたんだよ」


 双眼鏡ではっきりと見てしまったことが原因で兄だけが発狂して、くねくねのような動きをするようになる。「いずれ田んぼに放ってやるのが一番だ」と、兄は祖父母に引き取られることになる。帰り際に、兄の形見の双眼鏡を使ったせいで、語り手である弟もくねくねの姿を見てしまう…… 『分からない方がいい・・』のを投稿してもいいか事前に相談があった上で、これらのエピソードの加わった『くねくね』が書き込まれたのだそうである。


 また、『くねくね』の誕生以降、くねくね(らしきもの)の目撃証言がいくつも2ちゃんねるに投稿されたが、それらも純粋に情報提供のつもりの体験談なのか、単に人気に便乗した作り話なのかは判然としないという。


「ただ俺は、少なくとも元の話は実話じゃないかと思ってるんだ」


 兄貴は昔から勉強(それも理系科目)が得意だったくせに、何故か妖怪だの幽霊だの都市伝説だのが好きだった。僕の部屋に漫画を読みに来るのも、オカルト関係の本を買うのに小遣いやバイト代を使ってしまうのが原因だったほどである。


 しかし、今日兄貴が読んでいた漫画は、いわゆる異世界ものだった。出てくる化け物といえば、スライムやゴブリン、ドラゴンの類である。いくら好きだからといっても、くねくねの話を始めるのは唐突過ぎるだろう。


 もしかしたら、長らく顔を合わせていなかったせいで、弟と何を話したらいいのか分からなかったのかもしれない。それでつい自分の趣味の話題に逃げ込んでしまったんじゃないだろうか。


 そういうことなら、くねくねが実話だとかいう珍説に付き合ってやるのもやぶさかではなかった。


「何か根拠はあるわけ?」


「くねくねにはもっと古い報告例があるんだよ。江戸時代の『百器徒然袋』に出てくる、白容裔しろうねりという妖怪がそうだ」


 兄貴はスマホで検索した画像を見せてくる。


 その姿はまるで龍のようだった。白い服を着た人間には正直見えない。


 けれど、細長いボロ布が、くねくねと身をよじっているように見えるのも確かだった。


「これはどんな妖怪なの?」


「古雑巾が化けたもので、悪臭で人を苦しめると言われているな」


「それじゃあ、くねくねと全然違わない?」


「ただ、今の話は後世の創作で、『百器徒然袋』には単に古い布巾ふきんが化けたものとしか書かれていない。だから、実は見たら発狂する妖怪だという可能性もある」


「それはいくらなんでも強引過ぎるでしょ」


 話に付き合うと決めたばかりだが、さすがにこの主張には反論せざるを得なかった。兄貴の論法を使えば、極論伝承の残っていない妖怪は、なんでもくねくねということにできてしまうからだ。


 しかし、それ以前の問題のようだった。


「そもそも他の作品には出てこないから、白容裔の存在自体が創作だという指摘もある。『徒然草』に出てくる〝しろうるり〟という謎の言葉と、布巾が風で〝うねる〟のを掛けたものじゃないか、と」


「は?」


「実際『百器徒然袋』には、他にも作者が考え出したと思われる妖怪がたくさん載ってるんだ。たとえば文車妖妃ふぐるまようひ塵塚怪王ちりづかかいおうは、同じく『徒然草』の〝多くて見苦しからぬは、文車の文、塵塚の塵〟という一節が元ネタだと言われている」


「いや、くねくねは実在するって話じゃなかったのかよ」


 創作妖怪では過去の事例とは言えないだろう。これまでの長ったらしい説明が、全て無意味になってしまった。いったい兄貴は何を考えているのか。


 好意的に取れば、話題に困りはてて、無理矢理くねくね=白容裔説を捻り出したというところだろう。しかし、僕に対して気まずさを覚えているにしては、兄貴はあまりにも饒舌だった。


 まさか兄貴は、漫画に登場したドラゴンから布巾の龍である白容裔を連想して、さらにくねくね=白容裔説を思い出しただけだったんだろうか。穴のある仮説だから、弟くらいしか披露する相手がいなかったということだろうか。


 ……なんだか急に今の状況が馬鹿馬鹿しく思えてきてしまった。台所にアイスでも食べに行こう。


「待てって!」


 立ち上がりかけた僕を、兄貴がそう引き留めてくる。


「まだ続きがあるんだ。というか、ここからが本題なんだよ」


 少し迷ったが、結局僕は座り直していた。こんなことで兄弟喧嘩をする方が、よほど馬鹿馬鹿しいと思ったのだ。子供っぽい兄貴に代わって、僕が大人になってやろう。


「本題って何?」


「『百器徒然袋』の話からも分かるように、江戸時代には『徒然草』はもうかなり広まっていたみたいだ。その結果、正体不明の〝しろうるり〟にも関心が集まって、妖怪・白容裔だけでなく、俳句や謡曲なんかの題材にされることになった。あの井原西鶴も、小説の中で〝現代のしろうるりといったところか〟みたいなことを書いてるらしい。

 それどころか、同時代の他の作品には、しろうるりから名前を取ったと思われる別の妖怪まで出てくる。それが白うかりだ」


 兄貴は再びスマホを見せてくる。


 今度の妖怪は――白うかりは、写実的な幽霊とデフォルメされたおばけの中間のような姿をしていた。


 髪や眉はなく、全身がただただ白い。二つの目は円の形をしており、二つの腕は左右にそれぞれ突き出されている。これなら「白い服を着た人間のように見えた」という証言に、ある程度合致していると言えるのではないか。


 胴体の先が蛇の尾のようになっている点は気になるが、「最初は案山子かかしかと思った」という話もあるようだから、足がないことは大きなマイナスではないだろう。


「僕のイメージとは違うけど、それはまぁいいよ。でも、しろうるりから名前を取ったってことは、これも創作なんじゃないの?」


「『百鬼夜行絵巻』のものが有名だけど、『百物語化絵絵巻』とか『ばけ物つくし帖』とか、他の作品にも白うかりは載ってるからな。当時の人たちの間では、それなりに知られていた妖怪だったんじゃないか」


 そのため、白容裔のように個人が意図的に作ったものではないと思われる……ということらしい。


「で、見たら発狂するわけ?」


「いや、名前と外見しか伝わってないから、何をする妖怪かは分からないんだ」


「だから、それじゃあ強引過ぎるって」


 創作妖怪の白容裔説よりはマシというだけで、外見だけの白うかり説も相当に根拠薄弱だろう。「茶色くて六本足だから、カブトムシとゴキブリは同じ生き物に違いない」と主張しているようなものである。


 しかし、そんなことくらい、兄貴も百も承知のようだった。


「今までずっと、しろうるりは謎の言葉だって説明してきたけど、どんな話に出てくるか知ってるか?」


「いや、知らないけど」


「仁和寺の盛親じょうしん僧都そうずという賢いが変わった人物が、ある坊さんを見て〝しろうるり〟というあだ名をつけた。他の人がどういう意味なのか尋ねたら、僧都は〝そんなものは自分も知らないが、もし存在するとしたら、彼の顔にそっくりなんだろう〟と答えたんだそうだ」


「何だよ、それ」


 単語どころか、話まで意味不明だった。僕は思わず険しい顔になる。


 けれど、兄貴はまったく動じていなかった。


「仮説ならいろいろあるよ。白瓜しろうりと言い間違えたのを誤魔化したとか、白痴みたいにうるけているとはさすがに言えなかったとかな」


「……白痴って?」


「ああ、差別的ってことで最近はめったに使われないが、を意味する言葉だな」


 その形でなら、つい先程、僕たちの会話で使われたばかりだった。


 くねくねを見たら、知的障害者になってしまう、と。


「ちなみに、頭が鈍い人のことをぼんやりした人と言ったりするけど、〝うかり〟や〝うかりひょん〟という言葉には、ぼんやりするという意味があるらしい」


 つまり、白うかりという名前は、知的障害者という意味の言葉を二重に重ねたものだということになる。


「江戸時代にはすでに、人を知的障害者にする妖怪の存在が認知されていた。そこで白痴という意味の〝しろうるり〟と、ぼんやりするという意味の〝うかり〟を組み合わせて、〝白うかり〟と名づけた。

 ところが、白うかりの詳しい特徴について記録したものがなかった、あるいはあっても後世に残らなかった。そのせいで、現代で〝くねくね〟として再発見されることになったのだった…… そんな風には考えられないだろうか?」


 これまでの話の総括を、兄貴は一気にまくし立ててきた。


 かと思えば、今度はすがるような目つきで僕を見てくる。自分の説が受け入れられるかどうか、期待するような不安がるような気持ちなのだろう。


「なるほどね。話が飛躍してる気もするけど、なかなかよくできてるんじゃない」


 そもそも僕は今まで白うかりの存在自体知らなかった。メジャーとは言えない昔の妖怪を引っ張ってきて、上手いこと現代の怪談に結びつけたものである。……さすがに兄貴の説が正しいとまでは思わないが。


 やはり具体的な伝承が残ってないのをいいことに、無理矢理こじつけているという印象は拭えなかった。名前の由来がしろうるりというところまでは認めるとしても、人を白痴にする妖怪というくだりは推測の域を出ていないだろう。兄貴の論法を使っていいなら、たとえば〝白うかりという名前は、白くて宙に浮かんでいる様子を指している〟という説を唱えることだってできてしまう。


「そういうわけで、俺はくねくねが実在していてもおかしくないと思うんだよ」


「分かった分かった」


 くねくね=白うかり説によほど自信があるのか、それともくねくねの存在を信じているのか。何にせよ否定したら面倒くさいことになりそうなので、適当に聞き入れたようなふりをしておく。


 すると兄貴は、僕から僕の背後に視線を移した。


「だから、お前も窓の外のものを見るなよ」






(了)

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